三島由紀夫「朝倉」ほか
昭和十九年―一九四四年、三島由紀夫十九歳の作品。
解説から引くと「平安後期の散佚物語「朝倉」を藍本(注:原典)としたもの。」
さて、散佚物語と聞くとついついロマンを感じてしまう。ロマン結構結構。
だが実際は物語に目新しさや個性が少なく単に自然淘汰された作が少なくないとか。
この「朝倉」も同様。朝倉君と中将の悲恋物語だが、この物語特有の個性は感じられず、三島の作品としても強い魅力は見当たらない。
ではなぜ紹介したか。最後に入水した朝倉君の描写を引用したかったのだ。
三島由紀夫は死を書かせたとき、最もその才を発揮する作家でないかと思う。
谷崎潤一郎「美食倶楽部」。「朝倉」の死の気配は欠片もない。食べまくり、生きまくる―人間讃歌のユニークな物語である。
会員五人の美食倶楽部は、すでに飽食の兆しが芽生えていた。メンバーの一人、G伯爵は新たなる美味を求め支那(注:中国)人たちのグループに接近し支那料理の秘伝を探求する―
……話はそれだけだ。中身も何もあったものではない。
ではなぜ扱うかというと、以下の描写を引用したかったのだ。
支那料理のグループには会長と呼ばれる男がいる。彼の許可なくしては支那料理の秘伝は決して外に漏らすことができない。何しろ彼の料理は
中国の人はとても食いしん坊で、「足があるものはテーブル以外、翼のあるものは飛行機以外は食う」という言い回しがあるほどだとか(ただどのくらい実情に即しているのかは分からない)。
◯おいしそうな中国料理
谷崎潤一郎は太平洋戦争について―知る限りでは―ほとんど発言をしなかった。高村光太郎や谷崎と妻を取り合った佐藤春夫のように翼賛体制の熱狂に呑まれはしなかったが、時代に抗して反戦を叫ぶわけでもなかった。
だが、「美食倶楽部」を読んでいると、そこにはただ中国という異文化に対する素直な憧れと驚きだけがある。
筆者は谷崎にはなぜこの美食の国を滅ぼす必要があるのか理解ができなかったと思うのだ。
「美食倶楽部」を読んでいると不思議とほのぼのした気持ちになってくる。そして何かを口に運んで頬張りたくなる。
ぜひ読んでくれると嬉しい。