『機動警察パトレイバー the Movie』/エンタメとして成立した時代(映画感想文)
大学で出会ったK(前回の映画オタクのとは別の人物)から僕は多くのことを学んだ。映画についてはほぼすべてを。演劇や絵画についても多くのことを。p.k.ディックについても。いちばん大きかったのは作品を鑑賞する際に「誤解してもいい。受け取った側の主観でいい」と教えられたことだ。それで僕は無知の呪縛から解放された。代わりに僕は彼に、洋楽を、日本文学を、邦楽も教えた。僕が教えることが出来たものは彼から受け取ったものと比べればほんの僅かだ。
Kとはいろんなことを話したし教えてもらったが、頻繁に話題に出るキーワードのようなものがいくつかあり、そのうちのひとつが「不在」だった。
「不在の人物」をめぐる物語を僕らは好み、その不在の証明の不可能に惹かれた。「『存在するもの』が『ある』ことを証明するのは容易だが『そこに存在していないもの』を本当に『ない』と証明するのは難しい」といったことだったり。不在の人物については見方が見るものの数だけある、ということのおもしろさについてだったり。
青臭い中二病の男子二人がこねくり回しそうな机上の空論だが、楽しかった。
未来についてよりも少しだけ未来、現在と地続きの至近未来や当時流行だったレトロ、至近過去についてもどうでもいいような理屈や例を挙げて語り合った。そこから僕はいくつかの企画を考え映画や小説のプロットをでっち上げして、Kに付き合わせようとして、いつも彼を困らせ呆れさせた。
『機動警察パトレイバー/the Movie』が公開されたのはそんな頃だ。89年。寮の僕の部屋にもKの部屋にもパソコンはなく、映画の編集はまだテープで切り貼りしていた。インターネットが普及するまでにはまだ間がある。「パトレイバー」については「ゆうきまさみがサンデーで連載しているマンガ?」程度の知識しかなく、ほとんど何も知らなかった。「うる星やつら」も(中学時代に高橋留美子マニアの級友がいて、オッサン顔のうっすら髭を生やしたそいつが何かにつけ語尾に「~だっちゃ」をつけて話すことに辟易して虫唾が走り、そのせいで)嫌いだったので映画版も興味なく未見。押井守についても僕は知らず、これもKに教えてもらったのだ。
基本的にKは何かを他人に勧めるということを当時はしなかったが、僕は彼の話で興味を持ち劇場に観に行った。
映画はひとりの天才の「不在」を軸に展開する。公開時より十年先の1999年、至近未来の世界が舞台で、ロボット技術を応用した歩行式作業機械レイバーがあたかも自動車のように日常的な「道具」として用いられている。レイバーはオペレーションシステムで作動する。当時まだわれわれの身近に登場していなかったウィンドウズのごときオペレーションシステムで、映画はそのオペレーションシステムを巡る事件を描く。
物語と設定の先見性もさることながら、映画は89年より想定の範囲内で進化し、そしてまだ進化し続ける街を描く。と同時に変わりゆく街の中で解体され、壊されていく古い町並みをも描く。映画のなかの東京は至近未来であり、壊されていく街は89年においても古い過去の遺物としての町だ。本筋においては脇役である二人の刑事が、その二つの時間の間を彷徨い「不在」の人物を探して歩く。
当時僕とKとが拘泥し、魅了されていた多くのものがここには詰まっていた。全国でもっと多くの僕に似た誰かとKと同じ趣向を持つ誰かとが、やはり同じようにこの映画に魅了されたに違いない。
当時のサブカルチャーの分野において「不在」や「至近未来・至近過去」は特別レアでも進んだ話題でもなかった。ロフトや東急ハンズに行けばレトロを売りにした商品は溢れていた。椹木野衣が初の評論集『シュミレーショニズム』を刊行するのは91年だが「新しいものはもう何もなく、カットアップやサンプリングといった手法を用いて複製、盗用することだけが新しいものを生み出す手段だ」といった言説はもう語られ出していた。僕とKとに優れた先見性があったのではなく、映画や小説などの物語媒体では黎明期だったとはいえ、音楽や美術、映画のなかのファッションでは既に登場していた価値観で、だがそれがエンターティメントの物語に上手に落とし込まれていたことが、刺さったのだ。
『機動警察パトレイバー/the Movie』は(当時は込み入った設定やガジェットの使い方を織り込みながらも)物語が非常にシンプルでエンターティメントのお約束をしっかり踏まえて作られている。
これには「劇場版3つの誓い」なるものがあり「娯楽の王道をいくこと」、「主役でありながらOVAでの活躍が少なかった遊馬と野明が大活躍すること」、「レイバー対レイバーの戦いを描くこと」が掲げられていたというのだが、監督・押井守は「そんなことは制作が始まったらそんなことは忘れていた」とのちに述懐している。真相はどうあれよく守ってくれたものだと思う。ある(中心軸となる人物の)「不在」について劇中では「本当にいたがすでに死者」と結論づけをしているが、監督は「本当に不在だった。正体も判らないし、何だったのかも判らない。いたかどうかも判らない」という設定にしようとしたらしい。食い止めたのは脚本家の伊藤和典。彼はそのとき「映画の次元は上がるが、観客が混乱する」といったそうだ。本当だろうか? 映画の次元が上がる、という言説は映画版のファンとしてはちょっと聞き捨てならない。認めれば、われわれ観客が喜んだは次元を一段階下げた作品、ということになってしまう。
まあ、そんなことはどうでもいいか。そこにこだわることこそ、マニアのごとき木を見て森を見ず的行為だ。エンターティメント作品ならただ楽しめばいい。
この「ただ楽しめる」ことが重要なことなのだが、はたと思い返してみると、当時の(89年の)僕も、本当にこの映画をただ楽しめていたのだろうか。訝しく思うのは、先に書いたようにコンピュータを使いやすくするオペレーションシステムは身の周りにまだなかった。その概念も。映画のなかで悪者はそのOSに罠を仕掛けて悪用し都市の壊滅を図る。その悪巧みが理解できていたのだろうか。正直にいえば、多分公開当時の初見時にはスムーズに理解出来ていなかったと思う。それが20年以上を経てアップ・トゥ・デイトな話題として理解されるというのは、なんとも奇妙な作品ではないか。それこそ、帆場のごとき押井(と伊藤)のつぶやきが聞こえてきそうだ。あの頃は判らなかったものが、いまになってようやく判るようになるなんて。
この映画にはもうひとつ、当時の僕らが好きだったものが使われている。
物語が佳境に入ると、舞台は東京湾上に作られた都市開発の拠点「方舟」に移る。大型台風が接近するなか、無人となった「方舟」は最先端の技術で作られた塔の廃墟だ。そういえば、僕らは当時から廃墟も好きだったな、と今回リバイバル上映された映画を観ながら思い出した次第。
(ちなみに僕の廃墟熱は実際に端島に渡り、そこに生活があったこととそれを捨てなければならなくなった人びとのことを知り、上辺だけを調子よく持て囃すことはやめよう、と思ったことで収まった)
89年といえばバブルの真っただ中だ。
いい時代だったのだな、と思う。大規模な都市開発、日常に入り込み道具として欠かせなくなったコンピュータ等、描かれたとおりの華やかな未来は現実にやって来た。だがいざ夢見た世界に暮らしてみると、貧困の二極化が進み、開発によりゆたかになるものが何なのか見えにくい時代になってしまっている。かつては20年後、50年後の世界を夢想することはたのしいことだったが、いまはどうだ。きっと20年経っても50年経っても、瞠目する程変わるものはないだろう。生活が激変することなど。もしかして未来ではなく至近未来を夢想するようになったのは、それだけ未来に希望を抱けなくなっていたからではないか。ならば既にあの時代、何かが歩みを遅くする気配を感じ取っていた、…とは思えないのだが。
エンターティメントである筈の作品に、小難しい理屈はまだしも、哲学やら借り物の神話のディティールやら、暗いリアリティやらを付与しなければ物語が成立させられないのは、想像力の貧困の証拠でしかないような気がしてならない。