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『ラストマイル』/立ち止まって、変われたら(映画感想文)

優れた物語の「形」のひとつは、人物の価値観が変わることだ。
異なる価値観を持つ二者が出会い、対立しながら融和する物語も魅力的だが、ひとりの人のなかにある見方や考え方が、何かしらの出来事(や人)と出会い変わる、いい方向へと変化する、それまで思いもよらなかったことに気付く、というのが理想的な物語のひとつの「形」だと思う。

TBSグループの中核会社が制作を務める映画『ラストマイル』(24)を観た。
これまでTBS系の金曜ドラマとして放映された『アンナチュラル』(18)、『MIU404』(20)と世界観を同じにし、それぞれのドラマの人物たちも登場するシェアード・ユニバース形式のドラマということで、どちらも観ていない僕は二の足を踏んでいたのだが杞憂だった。確かに若干の違和感(この人どちらさま? というよりは『ラストマイル』の日常のなかで目立ち過ぎる、といった程度の)はあったが映画への理解や没入を妨げることはなかった。なので僕と同じ理由で躊躇っている人は気にせず観た方がいい。傑作だから。

舞台は、世界最大のショッピングサイト「デイリーファスト」の日本支社・西武蔵野ロジスティックセンター。宅配便が爆発するという事件が連続して起こり、それらすべてが同センターから配送されたものだったことが判る。物語の中心人物はセンターに新たな長としてやってきた舟渡エレナ(満島ひかり)と、やってきたばかりの彼女をサポートする梨本孔(岡田将生)。
センター内のこの二人を中心とした物語に、サブストーリーとしてデイリーファストの下請けで配送を引き受けている羊急便の関東局や、さらにその下請けで荷物をミニバンに積み走り回る年配の父親ともういい年だが失職して配達見習として同乗している息子のエピソードが絡む。物流はどこかひとつの場所で済む仕事ではなく、日常に線として組み込まれたものであることが示される。

物流についてのドラマといえば、コロナ禍に見舞われた社会のなかで皺寄せを食う人びとの悲喜を描いたNHKの超が付く傑作『あなたのブツが、ここに』(22)がある(脚本は櫻井)。宅配ドライバーたちと配達先の人びと(わたしたちだ)の物語だった。マルカ運輸のエースドライバー武田の「なにがエッセンシャルワーカーや。雑に扱いやがって」というつぶやきは、当時の社会にくすぶる格差や不満を鋭く照射した名科白だ。
『ラストマイル』が扱う環はもう少し大きい。
トラブルが起こった。誰かが不審を抱いても、立ち止まって考えている時間がない。立ち止まれば多くの人に影響が出る。刑事がやってきて強制的に何かを、たとえ一瞬であっても止めることはやはりできない。運ばれているもののなかには緊急を要する医薬品もあり、既に社会は大きな一分一秒を争うスケジュール表のなかに落とし込まれているのだ。スケジュールがあまりに緻密に噛み合っているので、どこかで小さな停滞が起これば波及していく先が大きすぎ、その影響の想像がつかない。それが人びとが永きに亘り作り上げてきた、資本主義社会の形だ。多くの人の献身的な協力により多大な便利さが社会にもたらされている。だが、止めようがない、一息つく間がない、何かが起こっても振り返り確かめることができない、という点でいびつだ。社会は走り続けることでしかもう安定を保てなくなっている。

感心するのはTBSというメジャーな大会社が、物流大手のグローバル企業を彷彿とさせる会社を糾弾する物語を作ったことだ。ほぼ名指しで、〇マゾンから訴えられんのなか? と観ていて心配になる。素人の僕が頭で考える以上に〇マゾンのコントロールは根深く、映画一作程度ではビクともしないのだろうか。確かにどれだけ批判しようとも人々は今更〇マゾンなしの生活には戻れない。その点で映画が指摘する「精緻で巨大過ぎるがゆえのどうしようもなさ」は正鵠を射ている。無論、〇マゾンに限らず全世界的に巨大なショッピングサイトは様々にあり、もうひとつの企業をモデルにしているとはいえないのかもしれないが。
こう書いたことで底も割れているだろうが、反物流サイト(の有り様)に対する異議申し立てが犯行の動機に絡んでいる。だが、もしそれだけならここまでおもしろい作品にはならなかっただろう。『ラストマイル』のおもしろさは事件の真相を暴く過程に非ず、進行し真実へ一歩進む度に、関係する人物たちが「これでいいのか」「はたしてあれでよかったのだろうか」と自己に問い掛ける点にある。
思いもよらなかったことに気付き、それぞれの場所にいる多くの人が変わっていく。
映画の性質上、細々と挙げることはしないが、人には複数の面がある、ということをいくつもの場面で気付かせてくれる。
仕事に真面目に取り組むのが是で、怠慢は非だ。だが度を過ぎて働きすぎることで、やがて自分を苦しめ周囲に負担を掛けるようになる。どこでその是と非は転換するのだろう。また真面目に取り組む人は善に違いはないが、その善の人を圧迫し、そのはたらきを利用するものは悪だろう。だが悪もまた、会社の収益を上げ、お客様のためになり、社員を儲けさせているとすれば? その線引きは難しい。
結局は性善説を全員が信じられればいいのだ、と僕個人としては思うのだが、人はときに助長し、私欲に目が眩む。以前いた会社でも、頼りになる優れた社員だった人物が地位的に偉くなった途端に、他人を道具としか看做さない傲慢なクソ野郎に変貌したのを見ている。価値観の線引きが難しいのは、ひとりの人間のなかにもそれは様々に混在し、それが立場や周囲との関係のなかで変わることがあるからだ。ウソもつけば噂話に左右されるヤツもいるしね。

ちょっと立ち止まって社会に目をむけ、自分のことだけでなく他者についても考えることのできる人なら誰もが覚えのある問題を、映画はエンタメという形で提示する。ひとりの力ではどうしようもなくても、多くの人が問題意識を持つことで見えないひずみを変えられるのではないかしら、と希望を持って作られた映画だった。脚本は野木亜紀子、監督塚原あゆ子、プロデューサーは新井順子。三人の女性による社会派エンターティメントの傑作。

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