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節分に聞いたハハの留守電
節分は季節を分ける日。
明日から春が始まるという日。
その節目にやろうと決めていたことがある。
それは『亡母の留守電をきく』ということ。
母が緊急入院してすぐに、あっさりと逝ってしまったのが2年前。駆けつけたかったけれど、コロナで帰国はできなかった。
(母の姿を最後に見た日のこと)
この2年間で、
入院、臨終、葬儀、納骨に法要、
実家の取壊しと、つどつどで
『帰国する・しない』の決断をしてきた。
2年経った今も帰国していないのだから、
結果、全ての場面で『帰国しない』を選んだということになるけれど、
同じ選択でも、
静かに決断した時もあれば、
床をダンダン蹴りながらした決断もあった。
葬儀式って、実によくできていると思う。
17年前の父の葬儀で感じたのは、お通夜から初七日、四十九日と、弔い事を一歩一歩進めるたびに、遺族も心の整理がついてくるということ。
母親の死をなかなか受入れられないのは、
それらを経ていないせいだろうか。
日は遡って、母の訃報のすぐ後。
ふと気づくと家の留守電が点滅していた。
普段は携帯しか使わないので、全く気がつかなかった。
再生ボタンを押してみた。
「あ、お母さんだけど…」
母の声がしてあわてて止めた。
入院直前に入れたのだろうか。
どうしても聞くことができない。
その後、何回か電話の前に立つが再生ボタンを押せない。
聞こう、聞こうと思いながら、
明日聞こう、いや来週に。
年が明けたら、いやいや1周忌がいいかも。
と何だかんだ理由をつけながら、延ばし延ばしで2年近くが経ってしまった。
でも聞きたい、という気持ちもある。
いつかは聞かねば。
では、節分はどうだろう。
節分は、冬が終わる日。
「春が始まる前日」なんて前向きでいい。
年明けにそう決断したら、
あっという間に節分はやってきた。
節分の当日
「あ、お母さんだけど…」の後を聞くために、覚悟を決めて電話の前で、ひとり正座した。
ボタンを押してみる。
「あ、お母さんだけど…
あー、えっと。ふふふ。息子ちゃんお誕生日おめでとう。そっちは夜だろうけど、1番に言いたくて…。ははっ..、学校がんば…」
ピー
なんだこれ。
一気に力がぬけた。
こんなことに2年もぐずぐずと。
そりゃそうか。
「母さん、これから死んじゃうけど…」
なんて入っているわけないじゃないか。
本人も死んじゃうことを知らないんだから。
しかも、その留守電が残されていた日は、うちの息子の誕生日でもない。息子の誕生日のぴったり1ヶ月前。で、何が面白いんだか、ひとりで笑っちゃってて。ははっじゃないよ。最後も切れてるし。
そうだ、こんなトボけた人だったと思いだしたら可笑しくて泣けた。
追記:
なんだよ、母さん。
そう思いながら、
この日はいつもより長く母の写真を拝んだ。
険しい顔で拝むわたしをみて、14歳の息子が言った。
「大丈夫か、母さん!眉間がレイクだよ!」
眉間がレイクだよ?
……
レイク?
レイクって湖…
眉間に…湖…
眉間のシワが、湖…
あ…
川?
川か。川のことか。
私の眉間のシワが漢字の「川」であると。
あ、アンタ…
あんなに一緒に漢字の練習をしたのに、
「湖」と「川」もわからないなんて…
日本の教科書を取り寄せて、
山山山だ、川川川だ、豊だ、と
あんなにあんなに漢字練習をしたのに。
小さい頃は壁一面に黒板塗料を塗って
漢字を書きまくったじゃないか。
いや違う。
書きまくったのは娘だけで、
息子は隅っこにウンコとか書いていた…
息子に漢字を教えねば。
このおバカ息子が独り立ちするまで、
落ち込んでいるヒマはない。
そうだ、そうだと思って、
「アンタは、物覚えが悪くて偉いねぇ」
と言って息子の頭をなでた。