この世に投げ返されて 企画書

この世に投げ返されて
〜臨死体験と生きている奇跡〜        ひかる

企画書

 私は2013年の2月に原因不明の心室細動の発作に見舞われました。推定およそ13分間心肺が停止していました。医者からはそのまま死亡すると宣言されていたところ、10日後に意識を回復しました。
身体に障碍が残り、車椅子生活になったものの、知的能力、殊に言語能力をほぼ完全に回復し、現在に至ります。
 私はその際にいわゆる「臨死体験」をしました。
 その「臨死体験」は、無限の安らぎと至福に満ちたものでした。「私」という意識のない「覚醒」が永遠の今ここにひたひたと広がっているという状態でした。
 この書を著すことを通じて私は、その臨死体験の内実を色々な角度から叙述していきたいと思います。
基本的には柔らかなタッチでエッセイ風に書いていきたいと思います。が、それは筆舌に尽くしがたい境涯です。その表現は時には詩的に高揚することもあります。
また、私は仏教学特に浄土教を大学院まで研究してきました。その際に研究した浄土のありさまと臨死体験には重なる部分もあります。
さらに、私はインドやアメリカでグルと呼ばれるような瞑想の師のもとで瞑想などを重ねてきました。そのような経験と臨死体験は重なる部分もあります。
そのような経験を活かし、実際の臨死体験の描写や考究に膨らみをもたせたいと考えています。
あるいは臨死体験を経て、なんとかその真実を解明したいと新たに参照し始めた分野があります。量子脳論や、脳内物質DMTの働きに関連づけた臨床研究などです。そのような最新の臨死体験理論にも触れていきたいと思います。
しかし、この書において私が重点を置きたいのは、臨死体験がいかに深い精神的な世界を切り開くものであるかということだけではありません。
むしろ、そのことを通して、日々の生きてある今をどのようにとらえ返すようになったかということに大きな力点を置きたいと考えています。
そのため仮題を「この世に投げ返されて ~臨死体験と生きている奇跡~」としてみました。臨死体験そのものの内実も詳しく叙述したり、考究したいのですが、それと共にこの世に戻ってきてからの「生きる姿勢」に、それがどのような影響を与えたのかを大事に著していきたいと考えているのです。
私の目的は、死後の世界は至福と安らぎに満ちており、恐ろしいものではないということを書き記すことだけではありません。それはそれとして大変大事なことです。しかし、私は死後の世界を賛美したいわけではありません。
そのような世界を知ることを通して、生きて今ここにあることがいかに耀きに満ちた奇跡的なことであると感じるに至ったか。日々の一瞬一瞬が貴重なものであると感じるに至ったか。死が訪れるその日まで、この一度限りの人生を自覚的に、人や全生命にやさしく、大事に生きていきたいと感じるに至ったか。
そのことこそが、読者に伝えたいことです。
もとより、読者はこの本を読んだとしても、同じ臨死体験を追体験できるわけではありません。しかし、死後の世界について何かしらの味わいやヒントを得ていただければ幸いです。と同時に、生きてある今ここをいとおしむ気持ちを今一度、確認していただければと願っています。

以上のような基本の趣旨を踏まえ、私は以下のように本書のおおよその構想を抱いています。しかし、編集者の視点や、出版するにあたっての留意点などのアドバイスをいただければ、その構想は、膨らませたり、削除したり、付け加えたりすることが可能です。敢えて完成版ではなく、企画書と原稿の一部分をご高覧いただきたいと考えたゆえんです。

1.臨死体験に至る病変から臨死体験、蘇生までのドキュメンタリータッチによる叙述
2.臨死体験そのものがいかなるものであったかの(文学的)表現の試み
3.蘇生して後に感じるに至った生に対する姿勢の変化について
4.リハビリから現在に至るその後の積極的な生活についての叙述
5.臨死体験についての様々な角度からの研究紹介と自分に照らしての感想

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長澤靖浩
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