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ショートストーリー劇場〜木曜日の恋人〜㉛ 『九月が終わったら起こしてくれ』

 人間は人生の三分の一を眠って過ごす。

 そんなことは誰だって知っている。

 毎年、年の瀬になると皆が口を揃えて言う「いやあ、今年ももうあっという間に、ねえ」という台詞だって、考えてみれば、一年の内四ヶ月は眠っているわけだから、早いのも当たり前だ。

 睡眠については六十年以上世界中で研究されているが、我々がどうして眠らなくてはならないのか、その理由はいまだにはっきりと分かっていない。最近では、生き物にとって眠っている状態が正常であり、起きていることが異常なのだ、という説を唱える研究者もいる。

 と、なぜこのようにわたしが睡眠についてくどくど語るのかというと、わたしは人よりも多く睡眠について考えているからで、なぜ睡眠についてよく考えるのかというと、わたしにはちょっと、いや、かなり変わった睡眠習慣を持つ恋人がいるからだ。

 わたしの彼は、一年の内四ヶ月眠る。というと、普通じゃないか、と思うだろうけど、普通じゃないのは、四ヶ月間、ぶっ通しで眠る、という所。そして残りの八ヶ月、彼は一睡もしない。

 彼のその睡眠習慣は、生まれつきのものらしく、七月に生まれた彼は、その後半年間泣くこともなく眠り続けた。彼のご両親は大層心配したが、医者にも、この赤ん坊が昏睡ではなくただ眠っているだけ、ということしか分からず、どうしてこれほど眠り続けるのか、その理由が分からなかった。世界中の研究者が興味を持ち、調査をしたが、彼の睡眠の謎は誰にも明かせなかった。もっとも大きな謎は、彼が飲まず食わずで健康的に眠り続けるという点だ。

 彼の眠りの周期は、はっきりと決まっていて、大体五月の半ばか終わり頃から、十月のあたまにかけてまで。

「じゃあ、仕事はどうするんだろう? 収入は?」

 あなたはきっと、こんな疑問を持ったんじゃないだろうか。

 幸い、彼には特別な才能があった。

 彼は十月に目を覚まし、準備を始め、一冬かけて小説を執筆する。

 彼は嫌がったが、出版社は彼が不思議な生活リズムを持つ特別な人間であるということを大々的な売り文句にした。おかげで彼の小説はどれもよく売れて、何作も映画化され、本の印税だけで生活できるほどになった。


 眠りにつく前、彼は、住み込みで家の管理などを任せる、ハウスキーパーを雇う。

 わたしが初めて彼に会ったのは、小説家とハウスキーパーとしてだった。

「書斎の掃除は必要最低限でいい。本や書類の束は動かさないでくれ。乱雑に置いてあるように見えるけど、僕にとっては整然と並んでいるのだから」

 取っ付きにくく、気難しそうな人だな、とわたしは思った。

「書斎以外にある物はなんだって好きなように使ってくれ。自分の家だと思ってくれていい。僕が眠っている間に、恋人を呼んでイチャついたって構わない」そう言って彼はほんの僅かに口角を上げた。

「それから、このスイッチを渡しておく。大きな地震や火災といった有事の際に押してくれ。警備会社のスタッフが五分以内に駆けつけて、我々を安全な場所へ非難させてくれる。分かったね?」

「はい」

 彼は大きな欠伸をした。

「じゃあ、そろそろ眠るよ。九月が終わったら、起こしてくれ」


 彼は普通の人と同じように眠った。時々寝返りを打ったり、何事かを呟いたりしながら。どんなに大きな音を立てても、身体を揺すってみても、決して目覚めなかった。

 その夏、わたしは空いた時間に彼の著作をすべて読んだ。わたしは深い感動を覚えた。どうしてこんなお話しを書けるんだろう? この人は、どういう眼差しでこの世界を見ているんだろう? わたしは、彼という人物に興味を持ってしまった。

 秋が来て、彼が目覚め、任期は終わったのだが、わたしは残って、彼を小説について質問攻めにした。はじめは面倒くさそうにしていた彼だが、すこしづつわたしに心を開いてくれた。

「ああ、その通りだ。そこに気づいたのは君が初めてだよ。君は実に丁寧に僕の作品を読んでくれたんだね」ぶっきらぼうにそう言って彼は顎を掻いた。あとで分かったことだが、それは彼が嬉しい時にする癖だった。

「ねえ先生、来年もわたしを雇ってください」

「先生と呼ぶのはやめてくれ。うん、君は本当に言われたことしかやらないようだね。それが気に入った。来年も頼む」

 でも、再び彼に会うのに、八ヶ月待つ必要はなかった。彼から連絡があり、わたしたちは何度か食事に行った。何度目かの食事のあと、彼の家に行き、わたしたちはそこで初めてキスをした。彼はすぐにわたしから身を離し、

「すまない。忘れてくれ」と言った。

「どうして? だってわたし、先生のこと……」

 彼は慌ててわたしの唇に人差し指をあてた。

「駄目だ。それ以上は」

 わたしをソファーに座らせ、彼はソファーの前を行ったり来たりした。

「誰にもしたことがない話を、君にだけ打ち明けさせてほしい」

 彼は呼吸を整えて話し始めた。

「僕の両親は、夏に事故で死んだ。僕が目覚めた時にはもう、二人は小さな壷の中に入って、墓の中にいた。僕の愛した女たちは、夏の間に、みんなどこかへ行ってしまった。僕の愛する人々は、僕が眠っている間に、みんないなくなってしまう。眠るのが恐くてたまらないんだよ。君もいつかきっと、いなくなってしまうんじゃないかと思うと、これ以上は近づけない。こんな孤独、君には分かってもらえないだろ」

「ええ、分かりません。分かりたくもありませんね、そんな孤独」わたしはきっぱりそう言った。彼は驚いたようにわたしを見た。

「あなたがそんな孤独に苦しんでいる姿なんて、想像したくもありません。わたしは絶対に、そんな寂しい思いはさせない。あなたに、そんな寂しい思いは絶対にさせません」気がつくとわたしは涙を流しながらそう言っていた。

 それが三年前のこと。

 本音を言うと、六月と七月のわたしと彼の誕生日を一緒にお祝いできないことや、お祭りや花火大会だとか海だとか、二人だけの夏の思い出がないことは、ちょっぴり寂しい。

 でも十月になり、目覚めて、わたしの顔を見た瞬間、にこっと微笑み顎を掻く彼の姿を見ると、そんな思いはどこかへ吹き飛んでしまう。

 わたしはカレンダーを見る。もうすぐ彼が起きる頃だ。次の夏まで、どんな思い出ができるんだろう。九月の終わり頃、わたしはいつも、そんなことを考え胸を弾ませ過ごしている。



・曲 Green Day / Wake Me Up When September Ends


SKYWAVE FMで毎週木曜日23時より放送中の番組「Dream Night」内で不定期連載中の「木曜日の恋人」というコーナーで、パーソナリティの東別府夢さんが朗読してくれたおはなしです。
上記は9月29日放送回の朗読原稿です。

どういうわけか、九月を題材にした名曲というのは数多く、なにかひとつお話をかこうと思いました。どの曲にしようか考えた時にぱっと出てきたのがグリーンデイのこの曲でした。好きなんですよねこの曲。

朗読動画も公開中です。


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