「土鍋でご飯を炊く」と「人生が変わる(かもしれない)」という話
あなたがもし、人生を変えたいと願うならば。
「土鍋でご飯を炊く」ことをおすすめする。
と、書いてはみたものの、さすがにこれは大げさである。土鍋でご飯を炊いたくらいで人生が変わるわけがない。私もそう思う。
だが。一方でこうも思う。
人生は何がきっかけで変わるかわからない。あの日あの時あの場所で君に出会わなかったら、ぼくらはいつまでも見知らぬ二人のままだったのかもしれないのだ。
とか、あんまりふざけているとJASRACが飛んでくる可能性があるので止めておくが、ともかく、土鍋でご飯を炊くことは人生を豊かにすると言いたいのである。
炊飯器を否定しない
ここで予め先回りしておくけれど、ぼくは決して「炊飯器否定派」ではないし、「スローライフ推進派」でもない。
例えば、小さい子が多かったり、仕事が忙しくて料理に時間をかけられないような人は、炊飯器を大いに使ったら良いと思う。
炊飯器は何しろ、米と水を入れてスイッチを押せば、数十分後にはホカホカの炊きたてご飯が食べられる。しかも、タイマーや保温といった機能まで付いている。至れり尽くせり朴セリである(最後の1つだけ違う。たぶん)。
一方「土鍋でご飯を炊く」のは、そこそこ不便なこともつきまとう。
まず、お米を水に浸けておかなくてはならない。
炊飯器で炊く際には、さっと洗ってそのまま炊飯器に放り込んでスイッチを入れても、そこそこ美味しく炊ける。これは実は、スゴイことだと私は思っている。
どういう理屈かはわからないが、我が家にある二十年選手の炊飯器でも、そんなに米を水に浸けておかなくてもそこそこ美味しく炊ける。恐らく、いま販売している炊飯器ならば、なおのことだろう。
土鍋で米を炊く場合には、そうはいかない。最低でも30分、できれば1時間以上は浸水させておきたい。そうでなくても炊けるのかもしれないが、浸水をしっかりさせた方が間違いなく美味しく炊ける。
さらに、火を使うので、どうしても台所から離れにくくはなる。もちろん、コンロなどについてるタイマーを使って、時間が来たら消えるように設定しておくことは可能かもしれないが、安全面ではあまりおすすめできない。
また、これは炊き方によって色々あるので何とも言えないが、火加減を調整しなければならないケースもあるので、基本的に土鍋で米を炊いている最中はその場から離れられない。
不便である。実に不便である。
一度、土鍋でご飯を炊いてみてほしい
だが、こうした不便を乗り越えてでも、土鍋でご飯を炊いてみていただきたいのである。
「あれでしょ、はじめチョロチョロなかパッパとか、ああいう微妙な火加減しなきゃいけないんでしょ?あー無理無理」と思う方もいるだろう。
でも大丈夫。土鍋で炊く場合は、そのハードルがぐっと下がる。さらに、最近よくある炊飯専用の土鍋を使えば、そうとう簡単にご飯を炊ける。
炊飯専用の土鍋のお値段はピンキリである。何なら、ニトリにも炊飯専用の土鍋が売っていた(今はわからない)。もちろん、こだわったいいヤツを買うのも良いと思うが、最初は「使わなくなっても、まあ良いか」くらいのお値段のものから始めるのがおすすめではある。ちなみに、普通の(料理用の)土鍋でも炊飯はできる。
ぼくは、代々木上原にあるお店「おこん」さんが紹介しているご飯の炊き方を基本にさせていただいている。それは、こんな感じ。
・浸水した米を土鍋に入れて、鍋を揺すって軽くならす
・フタをして強火にかけ、15分タイマーをかける
・沸騰してブクブクしてきたら、弱火にする
・15分経ったら火を止め、厚手のタオルや保温バッグなどを被せて保温する
・そのまま15分蒸らし(放置し)たら出来上がり
ほい。実に簡単である。ブクブクしてきたら火を止めるとかめんどくせー、と思うかもしれないが、おかずを作っている隣で米を炊いていたら、いつの間にかブクブク来ているので、ただサッと火を弱めればいいだけなので、楽ちんである。
これがもし、あなたの家がガス火ではなく焚き火だとか、カマドしかないというのであれば火加減が大変だろうが、ほとんどのお家はガスかIHのはずだ。であれば、そう大変なことはない。
あるいは、鍋肌に火が当たるか当たらないかくらいの火加減にして、ブクブクしてきてから30秒〜1分後に火を止めて保温し、蒸らすという炊き方もある。
炊飯のプロセスを自分の手に取り戻す
土鍋で炊いたご飯は、美味しい。「おかずが要らないくらい美味しい!」とまで言うつもりはないが、美味しいことは間違いない。
そして何より、炊飯器によってブラックボックス化されていた「炊飯」のプロセスを自らの手に取り戻すことができる。
大げさだと言うなかれ。ご飯をガス火で炊けるようになっていれば、電気が止まっても、最悪ガスが止まってしまっても、あなたはご飯を炊くことができるのだ。こんなにありがたいことはないではないか。
そして、あなたは一つの「プロセス」を学ぶことになる。生の米を火にかけ、加熱し、蒸らして「白飯」の状態にする。これはある意味、自分が目指すゴールを描いて、現在地を把握し、そこからどうプロセスを辿っていくか、いかに目的地を目指すのかの「学び」なのである。
あなたは恐らく、何度か失敗をするだろう。芯が残った米が炊けてしまったり、あるいは鍋を焦げ付かせてしまうこともあるだろう(ぼくも当然あった)。でも、それは「成功の母」である。
「失敗から学べ」と先人たちは言うが、現代社会において「失敗」が許容されることは少ない。サラリーマンが失敗すれば、それは即「ダメ社員」のレッテルを貼られる可能性と隣合わせだ。フリーランスもそう。一度の失敗が、顧客からの信頼を失う可能性を秘めている。私たちは、気軽に失敗などできない時代を生きている。
だが、炊飯は違う。芯が残った米を炊こうが、鍋を焦げ付かせようが、人生に大きな影響はない。芯が残った米を炊いたからと言って、誰かから無能呼ばわりされることはないし、鍋が焦げ付いても降格の憂き目にあうこともない。
そう。ぼくらは炊飯で大いに失敗するべきなのだ。そして、失敗からいかにリカバリーするのかを学び、さらには「失敗しないためのプロセス」を導き出すべきなのだ。それはきっと、人生を変えることに繋がる。
と、何かのセミナー風に書いてみたけれど「そんなアホな」と思う人もいるだろう。土鍋で米を炊いて、人生の学びが得られるはずがない。そう思っても構わない。
とにかく、ぼくが言いたいのは「土鍋で炊いたご飯は美味しい」ということであって、それ以上でもそれ以下でもない。そこから何を学び、何を得ようと、あなたの自由だし、ぼくの自由でもある。