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ほぼ毎日なにか書く

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記事一覧

ほぼ毎日なにか書く 0610

3年か4年ぶりに、とある集まりで食事をした。江古田のまちで夕方落ち合い、お店をめぐって食材やそうでないものを調達しながらぶらぶら歩き、スープやスープでないものをつくって食べる。
数年前、これはアートプロジェクトの一環で行われていた。制作物をつくることもあったが、必ずしもすべての活動がものをつくることに収斂しているわけではなく、このようなスープの時間をもつこと自体がなかば存在そのものだった。

その

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ほぼ毎日なにか書く 0422

たまたまだ、大抵のことは。

あのときああしたから、あるいはああしなかったから今こうなっている。自分がこうだから、あの人はああだから、こうなってしまった。原因と結果の考え方は、結果から遡って原因を探す。それが役に立つ場面は大いにあるのだが、原因を人に求めていくとしんどくなることがある。ある人が暴力をふるったとする。どうして暴力をふるうに至ったのか、背景を探っていくことはできるだろう。けれど、暴力を

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ほぼ毎日なにか書く 0415

最近、身の回りが妙に静かに感じる。2010年代、さまざまな方向から耳に入ってきたアートによる場づくりやまちなかでの演劇展開、成果主義ではない人材育成の場というのが、気がつくと少なくなっているようなかんじがする。

数としては減っていないのかもしれない。けど、2010年代に自分が関心を寄せていた界隈のプログラムはどこもこれまでの活動のまとめにかかっている気がする。2010年代の後半、そこではオリンピ

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ほぼ毎日なにか書く 0409

数日前に愛媛出身の友人と話していて、年末年始は帰省ができなかったと聞いた。東京(市街地?)に出たらしばらくは自主隔離、そもそも市街地との交流はすべきではない、という感覚が今も強いのだという。東京に暮らしていると、当たり前だが東京を避けることができないのでもはや順応するほか生きる術がないのだけど、東京を生活圏に持っていない場合は、遠ざけ、避けることができる。

ふと、東京は誰にとってもソトなのかもし

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ほぼ毎日なにか書く 0407

どこかに行ったり、誰かと会う用事がない日なので、自転車で長崎にやってきた。天気がいい。最近知り合いが改修のようすをアップしていたはらっぱ公園にきて、やきとりキングで買ったお弁当を食べる。太陽の光が思った以上に強く、黒いジーンズに熱がたまってきたので日陰のベンチに移動する。

読みかけだった、丸山欣也さんの「かたちの劇場」を読む。屋外で読むと書かれていることの意味が倍、三倍に膨らんで感じられるような

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ほぼ毎日なにか書く 0404

「民主主義とは何か」100分de名著「ディスタンクシオン」「資本論」で読んだことをもとに引き続き考えてみる。

資本主義社会は資本の拡大を目指すものであり、会社員の場合は会社に労働力という商品を販売するかたちでそのメカニズムの渦中にいる。本の中には構想と実行の乖離という指摘が登場した。原始社会の場合は、こういうものをつくろうという構想と実際に手を動かす作業はつらなっている。自分で考え、自分でつくる

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ほぼ毎日なにか書く 0403

宇野重規さんの「民主主義とは何か」と、100分de名著だけど「資本論」と「ディスタンクシオン」を読んだ。

民主主義については、人間集団の意思決定の一形態であるということを理解した。民主主義のデメリットが議論されてきた経緯を見ると、無意識に民主主義をよいものあるいは当然担保されるべきと思ってきたことに気付かされる。少数のエリートが支配したほうが効率がいいという選択肢もある上で民主主義のメリットは、

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ほぼ毎日なにか書く 0402

思考停止している。加えて、「ふり」をしている。わたしも、あなたも。

年末年始頃から、いま生活している日本の、東京の状況はどういうことなのかよくわからなくなってきた。昨年春の自粛は世の中のあらゆる個人も機関も、最大限に警戒し、対応していた。その恐怖に偽りはなかったし、実際に誰も正解をわかっていなかった。専門家は最悪のシナリオを描き、それを受け取っていた。感染症という「事実」に対して政策や個別の対応

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ほぼ毎日なにか書く 0228

居間。年末に奮発して買ったコートがカーテン脇のポールにかかっている。apple musicからは山口百恵の「美・サイレント」。ずっとiPod classicユーザーで音楽はレンタル、取り込みで聞いていたが、iPodの調子が悪くなってからは音楽自体しばらく聞かなくなり(なければないで問題ない)、秋頃にサブスクに手を出してからはもう、ずっとapple musicになってしまった。スマートフォン、SNS

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ほぼ毎日なにか書く 0226

久しぶりにnoteを開いて、何か書こうとしている。

そろそろコロナウイルスが本土で広がり始めて一年が経つ。3月に群馬でついていた仕事は、多少の影響をうけつつもなんとかかたちにすることができた。けれど、それが終わって4月になると一切の動きが封じられた。ご存知の通り。そんな4/1からnoteをこまめに書き始めた。研究室の移動があったり、自分の周囲がめまぐるしく動いているのだけどフィジカルな移動はでき

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ほぼ毎日なにか書く 1202

業務で1日が終わった。
明日は、山を動かしていく。

ほぼ毎日なにか書く0901

書くことが自分を救うときもある。今日は書くことで救われたい。

まちに接するときの態度についてまた考えてる。ずっと考えてるけどまた。ずっと考えてるからといって答えが見つかってるわけではない。積み残した宿題状態になっている。

一昨日は南部さんと、昨日は宮本さんと会った。会いに行けば会える。このおふたりとはどれだけの期間会わなくても関係が途切れることはないだろうと感じる。人類学でラポールというのかな

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ほぼ毎日なにか書く0719

延々と歩いた日だった。昨日も江古田から沼袋まで歩いたし、今日は日比谷から竹橋まで歩いたあとに上野公園を一周した。

歩く中でしかできない思考があると思う。自分の場合、昼よりも夜歩くほうが考えが冴える。いや、冴えていると思うだけかもしれないけど。
けれど、条件がうまく整っていないと単なる移動や作業になってしまう。同じ道のりでも。この差は微妙だ。その前に何があったかより、そのあとに何があるかのほうが大

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ほぼ毎日なにか書く0717

ひとりになりたい、と切に思う。

バイト、電車。23時の地下鉄はすっかり混雑している。感染が怖いから物理的にひとりになりたいというのではない。こうして肩と肩がぶつかるくらいの距離で人間の波に飲まれていくことがよろしくない。アンテナはいやでも環境を受け取っていて、そこに順応してしまう。他人の中の自分であり続ける。東京のうねりの一部になってしまう。

だからといって家に帰ったら1人だハッピー、というこ

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