AI時代,地図の本質 -特別展示[都市−ヱドキリエズ]@IMT(丸の内)
某日、東京駅丸の内口。
丸の内JPタワー内、インターメディアテク。
その、特別展示へ。
特別展示『都市 − ヱドキリエズ』
照明を落とした空間。
江戸切繪図(ヱドキリエズ)
奥の展示から、鑑賞することにする。
一定間隔をおいて、昔の地図が展示されている。
さきほどの説明の中に
「緯度経度にもとづく現在の地域図と同じようにもみえるが、地割りは、当時の社会が了とした任意の区分によっている。江戸城の方向を意識した構成はバビロンを中心に据えた古代メソポタミアの粘土板地図とも変わらないし、縮尺も各図で必ずしも一定ではない。」
とあった。知らなかった、というより、考えたこともなかった。
AI「地図」
さきほどの壁と通路に、あたかも壁紙のように展示されていたのは、
地図だ。
ふしぎなものも交じっているけれど。
カレイドマップ
会場中央には、立体的な「地図」があった。
時の経過とともに、地図は生き物のように変化していく。
地図って何だろう?
ふしぎな展覧会だ。それぞれの展示の言わんとしていることは伝わってきている。そして、それらの展示を観るごとに、浮かび上がってくることがあった。それは「地図って何だろう?」ということだ。
目的地の場所を示す、コミュニケーションとして。でも今は「手描きの地図」を描く回数は減った、というか殆んどない。Googleマップのリンクを共有することがほとんどだから。今や地図は、あって当たり前のインフラのような存在として提供されている。地図は手描きするであろう人のコントロールを離れ、仮に何かの意図がそこにあったとしたなら、気づくことなく誘導されてしまうだろう。
展示を観終わったあと、東京の街並みが違って見えるかもしれない、と説明のパネルにあった。
たしかに。