静謐な画面のなかで起きる大きな変化 -ジョニー・アブラハムズ[24 Colors for Junichi]
某日、天王洲アイル。
観る者を惑わせる「素朴さ」
ジョニー・アブラハムズ「24 Colors for Junichi」(-10/12)
作品は、遠目に見ると、色彩のコンポジションのようだ。しかし近寄ってみれば、それらは粗いキャンバスの上に塗られ、木の枠がはめられている。
そこには、自然素材ならではの、きっちりとはいかない振幅が、はっきりと残っている。その「素朴さ」は、もちろん「敢えて」なのだろう。そこがとても気になった。
最後のところを偶然に委ねる
解説を読んで明らかになるのは、やはり作家は、規律性のある色彩の構成、を表現しながら、素材選びや筆致において、偶然の要素をふんだんにとりいれていたということだ。
それは相反するものであるため、観る者はその矛盾に気づき、「あれ?」となって戸惑う。わたしたちはアートを鑑賞しながら、過去の鑑賞履歴と照らし合わせて無意識のうちに分類を行っているわけだが、記憶のなかのどのジャンルに分類すべきか、迷いが生じる。
ほかの事象にも転用可能な比喩として
クールに分断された画面、色の対比。その一方で、当の色彩たちは粗いキャンバスの上で揺らぎ、どこか温かみさえ醸し出す。ニュアンスのある秋色で描かれていることもあり、白壁のギャラリーには、ほっと和むような雰囲気さえ漂う。
観る者を戸惑わせるその相反する二面性については、解説にあった、「描かれた幾何学的な形をより身近で、関わり合うことのできる存在へと変化させる」という一文が収拾を付けてくれる。静かな画面の内で行われているのは、大きな変化なのだ。
言葉の世界であるなら、難しいことを語らずにそれを行うのは難しそうだが、それを軽々超えてしまうのがアートの力だ。そしてそれは、ほかの事象にも転用可能なひとつの比喩として、鑑賞している自分のなかに伝わってもくるのだ。
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