ACK03 -丹羽優太@東福寺塔頭光明院→千總ギャラリー→京都 蔦屋書店
京都で開催され、すでに終了したArt Collaboration Kyoto(ACK、10/28-30、国立京都国際会館)。本会場での現代美術のアートフェアに加えて、連携プログラムが街に展開していた。
今回は、東福寺塔頭 光明院で開催されていたインスタレーション、丹羽優太「Golden Fight of Gods」をきっかけに、丹羽優太氏の作品を観るべく京都のあちこちを巡った話を。
丹羽優太「Golden Fight of Gods」
上洛し、紙ベースのパンフレットでACKのプログラムを改めて見て、その膨大さに、「これはとても1日、2日で回れるものではない」と覚悟した。
12月にもう一度上洛の予定があるので、そのとき鑑賞可能なものはまず省いた。楽しみにしていたAMBIENT KYOTOも含む。
京都はコンパクトに見えて移動時間は結構なものになるので、近いものからまとめて、と考えていたのだが、やっぱり「観たいものから観よう。その後も直観で決めよう」と、いつものやりかたになった。
観たいものから観る。はじめに、東福寺塔頭 光明院を目指した。
京都駅からシャトルバスが出ていることは知っていたが、駅のどこかがいまひとつ掴めなかったので、地下鉄九条駅から歩くこととした(京阪電車で行くべきだったけれど、鴨川のこの景色を堪能できたのでよしとする)。
展示は2階。こんなふうに庭が望める。
素戔嗚尊と八岐大蛇
石庭を臨む、開け放たれた窓。
そこに、2対の屏風が立てられ、立体作品のインスタレーションが展開する。
庭を前にして、向かって右側にはこの世界。
左は、このような世界観。
外が明るいためコントラストが激しくて見づらいのだが、左側の世界には、より激しい動きがある。並んだ酒瓶が倒れていたりもする。
また、これはここに足を運んだ最大の理由でもあるのだが、本作のテーマが素戔嗚尊と八岐大蛇を下敷きにしている、ということをふまえると、なんとなく作品の輪郭がつかめてくる気がする。
右側は八岐大蛇の神話エピソードのとおり、成敗のためにまずは、大蛇に酒をふるまって、酔わせるシーンだ。
しかし左側は?? 神話からかなりの時間を超えた、近現代の世界が描かれているようだ。
まさかの丹羽優太氏との会話
部屋に入った際に撮影できることを確認しており、さらには前の鑑賞者が退出して、わたしだけになったのをいいことに、作品を次々と写真に収めていた。
そして、戦車に描かれたこの言葉と出合う。-でも聖書では、汝の敵を愛せと言ってるよね-。
作者が置いてくれたヒントを見つけた気がして、ほかにもヒントがないかと探した。発見! やはりこの言葉はキーワードなのだ。
ご覧の通りの畳敷きの和室、作品は直置きされているものも多いので、あちこち移動して、もぞもぞと床に近づいて撮影していた。
だから、だれかに話しかけられたときには、注意を受けたのか、と思った(作品に近づきすぎているし)。
ただその人は親切に世間話的なことを振ってきてくれたので、スタッフの方が声がけしてくれたのかなと思い、「いくつか伺いたいことがあるのですが、聞いても大丈夫ですか?」と言って、
ふと首にかけられたプレートを見たら「Artist」。丹羽優太氏ご本人だった。
戦う代わりに酒を酌み交わそう
メモや録音があるわけでもない、わたしの不確かな記憶がすべてなので、間違いがあったらお許しいただきつつ、「作品について語るのは問題ないし、よく説明をしています」というお言葉に甘えて伺った、その内容を呼び起こしながら。
八岐大蛇が酔っぱらう、の右側に対して、近代兵器も登場して動きのある左側の世界観の中では、よーく見れば、気づくことがいくつもある。
戦車から身を乗り出している兵士(司令官?)は、仮面を外して顔を出すことで匿名から実名の自分となる。発砲の号令をかけつつも、手にしているのは盃だ。
兵士?も、そもそも戦う雰囲気ではない。
発砲されてはいるものの、
それは、酒の入った酒瓶なのだ。
戦いの代わりに、酒を酌み交わそうではないかと。
素戔嗚尊という魅力的な神
既述のように、ここに来た理由は、素戔嗚尊というキーワードだ。古事記では暴れん坊のような記述もなされているが、存在が非常に魅力的だ。
丹羽氏は、素戔嗚尊をこんなふうに表現されてた。
ここでも、八岐大蛇を成敗するのでなく、素戔嗚尊は自ら盃を持ち、大蛇にも酒を与えている姿が描かれている。
すべては、戦車や酒瓶に手描きされたこの言葉に還るということか。神話の時代から、キリスト教の誕生から、時間を超えて近現代まで。
まあ、まずは酒でも吞もうではないかと。
墨地×金泥 支援企業とのコラボ
屏風絵の周囲に展開する作品群で印象的だったのが、この美しい黄金と黒地の対比だ。
解説がなされていた。ACKでのアーティスト×企業のスマートなコラボは、これまでも見てきたとおりだ。
丹羽優太 個展「なまず公園」
京都市内のあと2カ所で、作品展示がなされている―。丹羽氏本人からそう伺い、もちろんその両方に行ってみることにした。
八岐大蛇は、大地震のメタファーなのではないか、という説があるという。そこから、展示同士がつながっていくという、貴重な道標も。
東福寺塔頭 光明院 を後に、
京都駅までは、リムジンバスのお世話になって、
そこから地下鉄に乗り換えて、
紙芝居屋が語る、地震と要石の話
展示室のようす。奥の絵の向こうにスピーカーが置かれているようで、紙芝居屋さんが子どもたちを集めて、これからなまずの話をするよ、という呼び込みをしている。
なまずを、要石で鎮める
ストーリーは、絵を追うだけで理解できる。
背景の絵をよく観れば?
ところで。背景の絵を、じーっと観てみよう。
紙芝居屋、観客。その姿は。
語られる要石の物語は、受け取る側によって受け取り方が異なる。
この場合は……と、そこにも、東福寺塔頭 光明院の展示と共通するものを感じたりもした。
地震の原因が本当になまずだとしたら、酒を酌み交わすことはできるのか?などと思いつつ。
丹羽優太「キメラ流行記」
次の展示会場は、10月17日に開店したばかりの、髙島屋SC内の京都 蔦屋書店だ。
入ってみて、銀座シックスの蔦屋書店に似ている、というかそのもののように感じられたので、銀座に来てしまったようなふしぎな気分に誘われた。しかもこちらは2フロアだ。
虎狼鯰(コロナマズ)という厄災
天変地異をもたらすなまずが、ここでは虎狼鯰(コロナマズ)に変化しているのか、という世界観をふまえつつ、作品鑑賞していく。
観光×アートの愉しみ
期せずして京都の街を巡ってしまって、しかも「うーん、なんだかやり遂げた」といったような充実感も得られた。
ひとりの作家の作品を、さまざまな切り口から愉しむこと。そしてその場が馴染みのない土地だからこそ、そこに観光の要素が加わる。未知×未知、のかけ合わせ。世界がどんどん広がる感覚がある。
アート×土地、は、瀬戸内国際芸術祭で堪能した。それは島旅であり、旅人同士のふれあい、ワークショップであり、充実していた。
そして今回のように、伝統に触れながら、また最新スポットを訪ねながら、アートを鑑賞するのもなかなか愉しい。
ひとりの作家の個展を、同時多発的に開催するのは、もちろんそうした動線を作ろうとしてのことに違いなく、そこにそのまま乗ってみたわけだけど、得るものが多かった。
ひとつの出逢いが、思いもよらぬ方向に転がっていくのが、旅の醍醐味だ。だから、この日の午前中に東福寺塔頭 光明院で声をかけてくださった丹羽優太氏に心から感謝したい。
愉しませていただきました。