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DIC川村記念美術館,[そっけなさ]と作品の言語化と

 DIC川村記念美術館。サポーター(年パス会員)だ。

 都内からはそれなりに時間はかかるけれど、空の旅で成田空港に戻ってきたその足で、何度も足を運んでいる。

 JR佐倉あるいは、京成佐倉駅からの送迎バスが便利だ。(下の写真は、京成佐倉駅ロータリー近くの乗り場と時刻表)

 同美術館については、かねてから、運営企業の業績が思わしくないところから、存続を危ぶむ声があり、今年、それが現実になった。



最新情報:3月まで開館し、規模縮小&都内移転

 情報は錯綜し、まずは2025年1月の企画展終了で閉館、と発表され、その後、企画展が終了した後はコレクション展(常設展)のみを2025年3月の下旬まで展示し、そのあと閉館する、と情報が改められた。

(前略)「ロスコ・ルーム」をはじめ、国内屈指の現代美術コレクションで知られる同美術館については、今年4月に創設された社外取締役らによる「価値共創委員会」から「現状のまま美術館を維持、運営することは難しい」との助言を受け、8月に運営見直しとして休館が発表されていた。運営中止も選択肢に含めて年内に結論を出すとしていたが、資本効率の観点などを踏まえて検討した結果、この度「ダウンサイズ&リロケーション」を最終方針として決定した。

収蔵作品はどうなる?


同社のアイデンティティを象徴する作品群の再定義に伴い、保有作品を4分の1まで減らす。
継続保有の対象から外れる美術品は売却を検討。売却は2025年中に着手し、少なくとも100億円程度のキャッシュインを目指す方針を掲げた。(後略)

同上

 その先は情報待ち、ということだろう。


足を運んでもブログにできなかった理由

 閉館に向けた情報が発表され、修正され、そのたびごとに入館者は爆発的に増え続け、レストランが200分待ちという事態になるのを見ながらも、通い続けてみたわけだけど、

 そもそもそうなる以前から、DIC川村記念美術館については、どうもうまく書けなくて、ブログにすることもなく、写真だけがたまっていっていた。

 理由は、よくわかっている。ひとえに、自分の説明力の不足だ。

 まずこの美術館は、館内撮影が不可だ。それは基本、いいことだと思う。でも、モヤモヤとなにか「いいなあ」と思っても、特に現代アートを説明することは難しい。

 写真を撮り、解説があれば、それを載せてたたき台にしつつ、自分の理解度の対比という形で、備忘録としても役立つ。説明力がなくても、そのプロセスは何となくブログ記事にはなる(確信犯的にアップする、いつものわたしの記事のように)。

 それが禁じ手となっているから、画面を立ち上げたところで、自分本来の陳腐な感想と言葉しか思い当たらずに、つい後回しとなってしまう。


不便だけど、それが気づきにもなった

 今までは撮影が全く不可であった美術館においても、昨今はSNSの力を借りるべく、撮影可能な作品を設けてInstagram投稿を促しているような場合もあるし、撮影が全部不可でも、展示作のレプリカやパネル展示といった「撮影コーナー」を設けている場合もある。この場合も、比較的文章にしやすいのだけど。

 予算不足、という点もあったのではないかと邪推するが、DIC川村記念美術館はよくも悪くも、すべてが「そっけない」。

 突き放されるような感じが、しかし通ってみるとコレクション展にはびっくりするような名品が展示されているし、シャッター音のしない展示室では、シャガールの絵の中の人物が「踊り出すのが見える」(わたしの妄想だが、本当にそう思えることもある)ため、釘付けになって立ち止まることもしばしばある。

 その薄暗さに、椅子に座り損ねて転びそうになる人を心配したり、「絵が見えないじゃないか!」と怒り出す反応をする人の滑稽さに触れたりもして、なかなか味わい深い「ロスコ・ルーム」においても、わたしは当初、なんだか怖いなというのが正直な感想だった。

 しかし、それでも気になって通い詰めて暗がりに目を慣らして見れば、あるときふっと、「これは、ものすごいものらしい」という気づきが全身を巡って、それ以来、ロスコ・ルームでかなりの時間を過ごすようになった。

 意図なのか、苦肉の策として、なのかは謎だけど、ふと心身を研ぎ澄ませて作品の前に佇めば、説明不足と思えたところに、自分自身がなんとか埋め合わせをして、「もしかしてこの作品は、こうなんじゃないのか?」という気づきが天啓のように降ってくる、そんな出逢いのある美術館でもあった。


体力が尽きるくらいの企画展

 コレクション展のボリュームも多いし、そのあとロスコ・ルームまであるので、企画展に行くころには、観る者の精根尽き果てている(入口からそのまま吹き抜けの階段をのぼって、コレクション展をすべてパスしたルートで企画展に行くこともできるが、アート鑑賞に自分を慣らす、というステップはやはり大切な気がする)。

 帰りのバスの時間を気にしながら鑑賞する企画展は、キュレーターが「この展示方法以外にベストな展示方法はない」と宣言しているかのような、工夫の凝らされたものだ。

 例えば1月26日までの同美術館最後の企画展「西川勝人 静寂の響き」では、洞窟のようなロスコ・ルームを出て階段を上がり、陽光が射し込む展示室に入り込んだ際にはじめに出逢うクリスタルの立体作品が、神々しいくらいに目に映る。

 そしてそれらの作品に導かれるように、迷路状態になっている最後の展示室に鑑賞者はいざなわれていくのだ。

 そこまでで名作を鑑賞しすぎてしまい、脳のキャパシティもそろそろ限界、というところで最後に投げ込まれる上質な企画展。

 この美術館は、アート作品への、まっすぐ前からの向き合い方を提示してくれているように、いつも感じる。


移転先での展示は?

 さきの記事によれば、

(前略)東京都内の移転先は、作品を一般公開できる場所となる。現在交渉中であるため具体的な場所は明らかにされず、「公益性が高い団体」の施設との説明に留まった。移転後は、この団体と連携しながら運営を進める方針で、2025年3月末までに詳細を公表する予定だとしている。

地元集客増が見込める都内での運営が望ましいと判断した発表によると「移転候補先は立地や環境など様々な条件に恵まれており、当社のアイデンティティを象徴する作品群を、現在よりも多くの方々に鑑賞いただける」また「現美術館のコンセプトを継承し新たな魅力を開拓することができる場として、今後の活動の広がりも見込まれる」という。(後略)

同上

 とのことで、都内で「立地や環境など様々な条件に恵まれ」た環境といえば限られてきて、話があっても違和感のない移転先はいくつか思い浮かぶ。

 アーティゾン美術館隣のTODA Buildingにギャラリーコンプレックスができたように、都内には貴重なアート作品を、無料で鑑賞できるスポットが増え続けていることだし。

 そのいずれかに、あるいは予想外のどこかに移転先が決まったとしても、展示方法はおそらく、今の東京の現代アート展示を踏襲するような、親しみやすいものになるだろうと推測する。

 どちらがいい、悪いではなく、流れに乗るのは仕方がない。そもそも、企業の財産としての美術作品を、厚意で鑑賞させてもらっている身だ。

 ただ、時代の流れ、という文脈を強引に当てはめるなら、美術品たちは新しい展示方法、展示コンセプトのもとで、ふたたび人を惹きつけ続けるのだろう、ということだ。


もう一度、二度、足を運ぼう

 すでにデフォルトとなった人混みは、閉館前には若干和らぐことを感じているので、あと一度、いや二度、閉館間際にかかるように足を運んでみるつもりだ。

 この、よき「そっけなさ」を、いつか懐かしむときがくるかもしれないな、と思いながら。



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