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MAMコレクション015:仙境へようこそ@森美術館 -21時過ぎの美術館

 森美術館で開催の「地球がまわる音を聴く:パンデミック以降のウェルビーイング」について書いたのは7月だった(そんなに前だったのかと驚いている)。

 メンバーシップに入っており、オンラインで入場予約できるので、それから何度も足を運んでいる。

 鑑賞者たちに紛れてゆっくり鑑賞したあと、人が全く入らない写真も撮ることができた。

《ヘーゼルナッツの花粉》ヴォルフガング・ライプ  
※この写真は「クリエイティブ・コモンズ表示 - 非営利 - 改変禁止 4.0 国際」ライセンスの下で許諾されています(以下、すべての作品写真も同)

 ただ、同時開催のMAMコレクション015:仙境へようこそ―やなぎみわ、小谷元彦、ユ・スンホ、名和晃平(~11/6)については、会場が少々狭いのと、作品と鑑賞者の距離が近いので、鑑賞はしたのだけど、撮影するのをためらっていた。

 夜ならゆっくり鑑賞し、撮影もできるかなと、ある日の21時過ぎに足を運んでみた。


■21時過ぎの美術館

 六本木ヒルズでどうしても撮りたくなる、卵を抱えた10mの巨大蜘蛛、ルイーズ・ブルジョワの「ママン」。夜はシルエットに。

 エレベーターで52階、エスカレーターで53階へ。

 22時閉館。その間際の美術館内にそれなりに人がいるのは、六本木という土地柄ならではだろうか。あるいはわたしと同じように、ゆっくり観たいから、と、狙って来ている人もいるのかも。

ツァイ・チャウエイ(蔡佳葳) 《子宮とダイヤモンド》

■MAMコレクション015:仙境へようこそ―やなぎみわ、小谷元彦、ユ・スンホ、名和晃平

俗世を離れた山水画のような大自然のなかで、不老不死の仙人が住むとされる仙境は、古来、理想郷の1つとされてきました。桃源郷、極楽、浄土、ユートピアといった概念にも近いといえるでしょう。コロナ禍以降は、都市空間から離れ、自然環境のなかで暮らすことも見直されていますが、その源流にはこうした理想郷への憧れがあるのかもしれません。本展では、私たちを仙境へと誘う4名のアーティストによる作品を紹介します。

概要 より

 会場内に人はまばらで、ほどなく、わたし1人という状態になった。監視員さんは、写真に映り込まないように、さりげなく会場入口に移動してくれていた(気配の殺し方に、いつもプロの仕事を感じる)。

■やなぎみわ《The Three Fates》

やなぎみわ《The Three Fates》

 会場では、もちろん立体作品は目に入るのだが、気になってはじめに近寄ったのは、本作だった。若い3人の女性たち。彼女たちがそのまま、年齢を重ねた姿で表現されている。糸を絶とうとする鋏に意味がありそう。

 解説を読んでみる。

 解説文の「人間の『若さ』も『老い』というものも精神レベルでは絶対的ではないということを暗示」の部分には、説得力がある。

 彼女たちは、若さと老齢を繰り返すことが示唆されている。仙境においては、ふしぎではないことだ。

 感想を語るならば、本作では、若い女性の姿、年齢を重ねたの女神のどちらとも、存在感があって、異なる美がある。

 わたし自身は、外見は若くても老齢でもどちらでもいい。ただ、精神でいうのならば、老成して達観した部分がありつつも、その核は「若い」でありたい。そのほうが愉しいに違いないと思う。

■小谷元彦《ホロウ:全ての人の脳内を駆け抜けるもの》

小谷元彦《ホロウ:全ての人の脳内を駆け抜けるもの》

 彫刻とは重量感のあるもの、という先入観に対して、この彫刻は質感はしっかりしているのに軽そう、というのが不思議な感じがしていた。

 だから、素材はFRP、ウレタン、と種明かしされて、納得しかける。

 しかし、それを理解したとしても、ふしぎな作品なのだ。

 重厚に見えながら、同時に、ふっと見えない壁の中に消えていきそうなはかなさもある。この(物理的に感じる意味だけにとどまらない)浮遊感は、何をどうしたら生み出されるのか。

 写真でもわかる「浮遊感」の表現は、夜の美術館でひとり鑑賞するのにふさわしい。観て美しく、心揺さぶられる作品だった。

■ユ・スンホ《多多》

ユ・スンホ《多多》

 キュレーションの緩急の付け方がうまいなあ、という感じで、こちらはあまりのことに、ちょっと笑ってしまうような作品。

 一見、精緻な筆致で描かれた山水画風に見える。仙境をテーマとした本展を、ストレートに表現した作品? に見えるのだが、

 よく寄ってみれば、「多」という小さな小さな文字の集合体なのだった。多いが多い、大いなるサービス精神。

 いわゆる超絶技巧的なものを観るのとはまた違った、作家の力量を感じてしまって、こちらの感情をたのしく揺さぶる。

■名和晃平《PixCell-Kannon#7》

名和晃平《PixCell-Kannon#7》

 名和晃平作品といえば、明治神宮の杜や、銀座シックスで観た、白い鹿のパブリックアート、のイメージがわたしは強かった。今回の展示は、大小さまざまな球体ですっぽりと覆われた、小ぶりの観音像だ。

 球体の一つひとつに、展示室のようす(世界)がさかさまに映り込む。

 それらは「永遠」という言葉を感じさせるし、この空間、いや、世界からどんどん重量感が奪われていく気がして、球体たちをじっと覗き込んでしまった。

 そして本作品は、六本木ヒルズという、夜においてはより近未来的な雰囲気をまとう会場と、自然とつながるのだ。

 仙境から、六本木ヒルズ森タワーへ。

 これらの作品たちがこの大都会の空間に、きまぐれに出現した、そんな世界観。

■何度も足を運び、納得するまで鑑賞するよろこび

 わたしは作品を観るのに時間がかかるだけでなく、しばらく日を置いてまた訪ねる、ということが好きだ。自分なりの納得感が得られないと、すごく気になって、強迫的にまた観にいきたくなってしまう。

 これは、そうするのが好きだというのに加えて、おそらく脳の処理能力や理解力の問題でもあるので、自分にあるものを使ってアートを鑑賞する以上、仕方のないことだと思っている。

 今回は、「仙境」というキーワードを自分のなかで転がしながら、初めて訪れた7月から何度にも分けて反芻して鑑賞し、今回きちんと撮影することで、自分のなかにも収めることができた気がする。

 選りすぐられた作品たちと、このように出逢い、かかわることができ、幸せだ。


 


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