【短編小説】タンスの
私の子供部屋には昔、大きな大きなタンスがあった。
本当に大きくて、部屋の大半はそのタンスが占めていた。
そのタンスを私は開けたことがなかった。
なぜなら、親にきつく「タンスを絶対に開けてはいけない」と言われていたからである。
そんな、使い道のないタンスを勿論私は邪魔に思っていて、何度も「タンスを他の部屋に移すか、捨てて欲しい」と親に頼んだ。
しかし、いつ頼んでも親の返事は「それは出来ない」の一点張りだった。
開けてはいけない、移動させるのもいけない。
そして、その理由も分からない。
そんな大きな大きなタンスを、私は不気味に思っていた。
ある日のこと。小学5年生くらいの時だっただろうか。
私は学校から帰り、1人で自室にいた。
いつもは母親がいるのだが、買い物に行っていた。
漫画を読んだり、ゲームをしたりといつも通り過ごしていると、コンコン、という音がした。
一瞬のことで、音の出処がわからず、あまり気にとめなかった。
それからしばらくして、またコンコン、と音がした。
今度は辺りを見回し、注意深く耳をすませた。
コンコン、コン。コンコンコンコンコン...。
音が聞こえてくる方を向くと、タンスがある場所だった。
...やはり、タンスから聞こえるらしかった。
私はゲーム機をぎゅうっと握りしめ、立ち上がった。
恐る恐るタンスに近づき、触れる。
音は途絶えた。
「...誰か、いるの?」
乾ききった口を開き、震える声で聞いた。
しぃんと、静寂が落ちる。
「...なんなんだろ」
肩を竦めて、タンスに背を向けた、その時。
カリカリ。カリ...ガリガリガリガリッ。
タンスから引っ掻くような爪音が聞こえてきた。
どくんどくんと、心臓が早く鼓動を打つ。
「だ、れ...誰なの、何か言いたいことがあるなら言いなよ...」
震える手を握りしめて、声を絞り出した。
すると、爪音はぴたりと止まり、代わりに静寂が訪れた。
気味が悪い。悪すぎる。
私は震える足をどうにか立たせ、一刻も早く部屋から出ようとした。
ドアノブに手をかけた、その時。
「なンでにゲるのぉおォ」
子供とも大人とも、老人とも似つかない、性別も分からない不安定な声がタンスから聞こえた。
頬を嫌な汗が伝う。
「あ、ははあァはハははっ!あはハはあはァはははハはっ」
笑い声が聞こえてきた瞬間、私は部屋を飛び出した。
気味が悪い。悪すぎる。訳が分からない。
タンスの中には何がいる?果たしてこの世のものなのか?それとも...。
その日の出来事は、私の頭に鮮明に残ったはずだったのだが、淡々と毎日を過ごしていくうちにいつのまにか記憶の片隅に埋もれていった。
夢、だったのだと思う。きっと、きっとそうだ。
数年後。私は上京して一人暮らしを始めることになった。
毎日毎日毎日毎日、忙しくて目が回る。寂しい。ぐるぐるする。
私が住んでいる部屋は、もちろん広い部屋ではないが、比較的新しく、日当たりもいい。お気に入りの新居だ。
クローゼットもとても大きいおかげで、沢山の服はしまえるし、とりあえず物を無造作に押し込めるし、良いこと尽くしだ。
本当に、良いこと尽くしだ。
大きな大きなクローゼットがあるおかげで。
大きな大きなクローゼット。
タンス。
クローゼット。
大きな大きな、タンス。
「コンコン。」
クローゼットから、音が聞こえた。気がした。
幻聴だと思う。
「カリカリ、カリ。」
クローゼットから、爪音が聞こえたように感じた。今日は疲れているのだろう。早く寝た方がいい。
今日、母親に電話で聞いてみた。
「あの大きいタンス、どうした?」と。
母親は、「そのままあんたの部屋に置いてあるよ、あんなに重いの運んで捨てに行くの大変だからね」と、言った。
加えて、「なんで急にそんなこと聞くの?あんたあのタンス嫌がってたじゃない」と、母親は怪訝そうに聞いた。
私は静かに笑って、返事をした。
クローゼットから音は聞こえなくなった。めっきり、ぱったり聞こえなくなった。
その代わり、タンスから毎日音が聞こえる。
カリカリカリ、トントントン。
私はその音を聞く度に心が安らぐ。
無理を言って、実家のタンスを新居に送ってもらった。
タンスから聞こえる声は、私が問いかけると、時たま気まぐれに返事を返してくれる。
今日も、タンスにぺたりと手をつけて、問いかけた。
「ねぇ・・・あなたは誰なの?」
しぃん。
静寂が落ちる。
今日は答えてくれないかぁ、後ろを向くと、
「おシぇナあぁぁイ」
あの、不安定に揺れる声が聞こえた。
「なんで教えてくれないの~・・・」
私はなんだか安心して、ついついいつも顔がほころんでしまうのだ。
孤独を前には、どのような得体の知れない奇妙不可解な存在にもすがりつきたくなってしまうのが私、いや、人間の性というものなのです。
そして、それほど私は精神的に参っていたという事がお分かりでしょうか。
今、私はもうちっとも寂しくないのです。タンスがそばにあるから。
いくら孤独だからといって、幼い頃の思い出、そう、一種のトラウマとでも言うでしょうか、そのような不気味な存在ににすがりつくしか無かった私のことを、あなたは滑稽だと笑うでしょうか。
ふふ、そうですか。
そう。ただ、ただ私は、私を認識してくれる存在が欲しかっただけなのです。
あなたもそうなればきっと分かりますよ。
きっと。
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