重度のペットロスだった私が、2匹の愛犬を見送って思うこと

私が4歳のとき、子犬が来た。
パピヨンという小型犬で、生後3ヶ月だった。
一人っ子だった私は、その犬と姉妹のように育った。
私たちは毎日一緒にベッドで眠り、
私が母に怒られているときは、
私と同じように母の方を向いて、母と私の間に座り、
私が泣いているときは、いつも隣にいてくれた。
年を取り、目が見えなくなり、耳が遠くなっても、
家族の誰が触っているのか、わかっているようだった。
大学4年生のとき、1週間の卒業旅行に行き、
帰ってきた3日後、突然呼吸が荒くなり、空へと旅立ってしまった。
あと1ヶ月で18歳の誕生日を迎えるはずだった。

犬は、旅立つとき、日を選ぶという。
亡くなったのは、家族全員が揃う、連休初日のことだった。

私は葬儀まで、一時も亡き骸から離れることができず、涙を流し続けた。
泣きすぎて、すべての記憶が曖昧だ。

家族も気付いていなかったかもしれないが、
私はひどいペットロスになった。
なぜ、私も一緒に連れて行ってくれなかったの?
そうずっと、思っていた。
就職後も、その思いは続き、普段は普通に過ごしていても、
コロナ流行や、苦しい社会人生活の中で、何かあるたびにその思いは増していった。

そうして、4年の時間が流れた。
実は、中学1年生の終わりに、もう1匹、パピヨンを飼った。
家族が、2匹目を考え始めた頃ではあったが、
買い物で行ったホームセンターで、たまたま、その犬を見た私が、泣きながら「飼いたい」とせがみ、
引き取ることになった。

「かわいい」としつこくし過ぎた私には残念ながら懐かず、母にべったりになった。とても頭がよく、人間の言葉や気持ちを理解できる子で、母もべったりになり、特別な関係だった。

その犬が、私に少し優しくなったのは、
1匹目に迎え入れた犬が旅立ったときからだった。
私が普通の精神状態ではなく、虚無感を感じていることに、家族よりも理解してくれていたように思う。

1匹目が亡くなったあと、我が家はまた新しく子犬を受け入れた。
私はその世話をしつつ、内心、気持ちは不安定ながらも、日常に戻っていった。

そんな中、2匹目に迎え入れた犬の心臓の病気が見つかった。(ちなみに、その前にリンパ腫も見つかっていたが、寛解していた。)
いつ何があるかわからない。そんな状況だった。

当の本人(本犬)は、元気そうだったが、私は焦った。
当時の私は全てに嫌気が差し、精神的にいちばん辛いときで、常々消えたいと思っていた。
だから、その犬に「だめだよ、がんばって。あんたがいなくなったら、ママはどうするの?」と、ずっと話しかけていた。

何度も心臓のせいで、肺水腫になり、危ない状態になりながらも、乗り越えてくれた。
その後、心臓の大きな手術も受けたが、獣医の先生たちも驚くほどの回復を見せ、
何度も入退院を繰り返していたが、我が家に帰ってきてくれた。

旅行に、水遊び、大好きなカートでの散歩に…
たくさんの時間を過ごした。
そんな中、原因は分からないが(もともと、リンパ腫などで食事制限も行っていたため)、膵炎を起こし、
2週間ほどで旅立ってしまった。

最後の1週間くらいは、ご飯を2人がかりで食べさせたり、
おむつをしたり、介護状態だった。
最期は家族全員に看取られながら、
そして、この犬もまた、家族全員が揃う、連休前日に旅立った。

急な別れに、母は泣き続けた。
手術や検査、痛い思いをたくさんさせてごめん。
最期、助けてあげられなくてごめん。
そう言って泣き続けていた。

私も泣きながら、亡骸を抱きしめていたが、
「あんたが、がんばれって言ったから、こんなに頑張ったでしょ?だから、あとはあんたが頑張って。ママをよろしくね。」
ふと、そう言われているような気がした。

心臓の病気が見つかって、1年以上、頑張ってくれた。
そして、この1年、不思議と、自分でも知らぬ間に、私の精神状態は少しずつ、回復していた。

「頑張って、生きなきゃ」
初めて、そう思った。

長い長いペットロスから、救ってくれたのは、
これもまた愛犬だったのだ。

2匹目の犬は、上述の通り、母にべったりだったので、
私は犬の世話をするとき、1匹目か3匹目の担当で、2匹目の担当であるときは、ほぼなかった。
だが、人生で1番辛いとき、気づかぬうちに支えてくれていたのだ。

母は趣味で、SNSで犬と生活を発信していたのだが、
2匹目の犬が亡くなったとき、たくさんのお花が届いた。
そして、「お母さんの様子がおかしかったら、いつでも頼って」と、私に声をかけてくれる人もいた。
肩を落とす母を残された私は、その言葉に救われた。

長い間、生きることに嫌気が差し、
人に対しても、何に対しても、閉め切っていた心に
少しだけ、でも温かい光が入ってくるのを感じて
涙が溢れた。
すべて、犬のおかげだ。
頑張ってくれたことに、生きる希望をくれたことに、本当に感謝しかない。

残された3匹目の犬は、まだ5歳で、
状況がよくわかっていないようだった。
亡骸を見ても、寝てると思っているような、
葬儀後も、「お姉ちゃん、また入院??」と思っているような雰囲気だ。
泣き続け、相手にしてくれない私たち家族を見て、
「なんか、いつもと違うな」と思っている程度だろう。

長年、2匹犬を飼っていた我が家だが、1匹になり、これから、亡くなった犬の面影に、何度も寂しくなるだろう。

でも、私は生きなきゃいけない。
愛犬たちが教えてくれたことは、人生の大切なことばかりだった。
生きる辛さも、寄り添う心も、頑張る姿も、言葉にできない感情も、感謝も、希望も、乗り越えることも…
愛犬たちは、家族であり、友達であり、パートナーであり、
一言では表せない、かけがえのない存在だった。

だから、私はこれから頑張って、生きなきゃいけないのだ。
愛犬たちのように、そして温かい言葉をくれた人たちのように、
私が誰かにとって、ほんの少しでも、特別な存在になれるように。

いつかまた、虹の橋で会える日まで。


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