倣うこと、愛を込めること
我々の人生は倣うことに始まり、今もなお日常で出会う「いいな」を自分のなかに取り込むことが度々ある。幼いころから人やモノを見ては自分のなかに取り込んで生きてきた。そう考えると、今ある自分もその「模倣」の集積であるはず。
またこの世は模倣され、複製されたものたちが
わたしたちの見えないところでも溢れている。
そしてそうしたものにわたしたちは生かされている。
模倣したもの、踏襲されてきたものといえば、文化となりうるすべてのもの、写真もそうだと思った。
伝統や慣習もきっと、元ある型を試行錯誤のなか模倣したり、時に形を変えたりして新たなものが生み出されてきたのだろう。
ここにわたしの考えを加えるならば、
単なる真似事ではなく、
そこに敬意が示されたものがすきということだ。
言葉を選ばなければ、「パクり」ではなく「オマージュ」であって欲しいという勝手な願いに近いだろうか。
これまでの話は、旅先の岡山のcafe moyauにて、ガパオライスを食べながらふと考えたことだった。
ひとつひとつの具材に合ったスパイスや味付けが
されていて、タイで食べてもきっと同じ美味しさがあるのだろうと想像を膨らませた。
このお店に来た決めては窓越しの眺めだったが、
それ以上の愛のこもったご飯に出会えた。
対岸に後楽園を望む、素敵な場所。
皆さまもぜひ。
2024.9.23
博多行き、夕日が差し込む新幹線より
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