短歌「読んで」みた 2021/12/12 No.22
肌寒さと少しの甘さを持つ、初冬のこの時期にぴったりの短歌。愛とは誠実さとは、またそれを測る自分の基準はどこにあるのか、考えさせられる一首を読んでみました。
どんな嘘も混ぜないように歩いた、君と初冬の果樹園までを
千種 創一 『砂丘律』青磁社 2015年
静かな景が目に浮かぶ。果樹園へ向かって歩く二人が見える。初冬であるから、どの時間であろうと光は穏やかだろう。「君」の心情がどうであるかはわからないけれど、「君」に対してどこまでも誠実にいようとするこの短歌の主人公。
嘘も方便である。嘘の全てが間違っているというのは極論だ。それが人を守る場合だってあるし、いらない不協和音を避ける効果もあるかもしれない。短歌の人物もそれぐらいわかっているはず。普通に暮らしていれば、嘘とされるものを全て否定するのはあまりに現実に則さないとわかる。常識の一種と言ってもいい。その上で、この短歌の人物は「どんな嘘も混ぜないように歩いた」のだ。思いやり溢れる姿である。こういうことを愛というのかもしれない。しかしそれは二人にとって(おそらく誰にとっても)なかなかに厳しい道であり、生半の覚悟では歩いていけないものであると思える。私にはこれが初秋の色彩淡い景色に相まって、ひどく美しいものに見えた。
構造も少し、読み解きたい。上の句で17音、下の句で14音の31音で構成されている。短歌の定型におさまりつつ、上の句は六音+七音+四音でリズミカルに読むことは出来ない。しかしそれが上の句で述べられている飾り気のない真摯な思いを補強する効果がある。また上の句と下の句で倒置されており、これは思いの補強とともにこの短歌の詠んでいる世界をより映像的・視覚的に読者に届けることになっている。
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ぶっちゃけていえば、私が今日この歌を選んだのは今が私の住む所では初冬で、好きな言葉「果樹園」が含まれているから、である。雑で安易で馬鹿っぽいけれど、良いと思ったから選んだ。選んだのだからタイトルに違わぬよう、「読んで」みるうちに、思ってもみない深みにはまった。
生きていく上で、無視できないのが感情であると常々思う。そういうことに私は少し鈍感で、今よりかなり若い頃の自分を思い出すと胸に仄暗いものが浮かぶ。過去のその時々でまっすぐに感情と向き合っていればこうはならなかった、などと思ったりするのだ。
この歌の中の人は、聡い人だと思う。小細工はせず誠実に向き合う姿勢は思いの深さに他ならない。選択したのは真っ直ぐでちょっと歩みにくい道だけれど、心に無理をさせることはなく、それで心を壊すことはないだろうから。この感情を向けられた「きみ」はどう受け止めるのだろうと思うが、「きみ」の心をも守ることだろう。私のことではないけれど、誰かにこう思われている人がいるということがなんとなくうれしく、私の心に浮かぶ仄暗さのトーンも少し明るくなったような気がした。