適応障害で休職した38歳の私と、ジョン・コルトレーン(2)Moment's Notice
誰だって…
人生を、好転させるような大きな出来事、
そんな「何か」を待ち望んでいる。
ただそれがなんなのか、
わからないままに生きている。
わかっていると嘯く人がいたとしても、
「ほんとうにそれがそうなのか」なんて、
誰にもわからない。
ただ、待っていても、
向こうからやってくることは
あんまりなさそうな気がする。
それよりも少しでも自分から動いて、
その「何か」を得るために手を伸ばした方が、
掴んだものはなにかしら残る気がする。
私にとって、それはなんだろう。
あの公園で感じた、ほんの一部は、
音楽への感謝だ。
私がいま、持っていると言えるものは…
家族と、家族との時間。
また、その昔DJをしていた頃に持っていた、
わずかばかりのジャズやソウル、
その他、統一感なく、雑多に集めた
レコードたちである。
自信を持って「持っている」とは
言ったものの、
それを生業にしているような方々や、
生粋のコレクターといった方々とは程遠い。
初期に作られた、いわゆるオリジナル盤や、
レア盤はほとんど持っていない。
それについて論じる知識も、
あまり持ち合わせていない。
ただ、レコードをかけるのは大好きである。
サブスクリプション全盛の現在にあって、
レコードをジャケットから取り出し、
ターンテーブルに乗せ、針を落として
ソファに腰掛け、
スピーカーから流れる音に耳を傾ける。
A面が終わればソファから立ち上がり、
レコードを裏返してB面に針を落とす。
聴き終わればレコードをまた内袋に入れて、
ジャケットにしまう。
この一種、非常に面倒で時間のかかる動作が、
たまらなく私にとっては快感だった。
楽器をそれほど弾くことのできない私でも、
体を使って音楽を聴くという行為を
行なっていること、
その場が(私なりに)整っていればいるほど、
その臨場感を体感することができるからだ。
だけど静かにレコードが聴ける
環境なんてものは、
子どもが(ましてや幼子が)いれば
容易に整えられるものではないし、
まず時間がない。
料理を作りながら聴くこともあれば、
洗い物をしたり、
洗濯物を畳みながら聴くことだってある。
子どもたちとジャズを聴いていると、
急に子どもがサックスに似た声を
上げることもある。
ちょっとした素敵なアドリブだ。
或いは
「見たいテレビがあるから
この曲で終わりにして」
など、ライブ盤の途中で再生中断、
ショーは終了。
なんてこともザラにあるわけだ。
悪く言えば、
集中して音楽を聴く時間は限られている。
でも、良く言えば、
音楽は常に生活と共にあった。
そして何よりも、
それを許し、支えてくれる家族がいた。
だからこそ、
私は、
家族と、
その生活に寄り添っている音楽に、
感謝をしたい。
なので、細かい音楽の歴史などは別にして
(勉強はしておりますが、
詳しい方にそこはお譲りします。
ぜひ教えてください。)、
私と、私の家族との生活と音楽について、
感謝しながら、綴っていくことにしよう。
それを今後の、ライフワークの一つにしよう。
そう思いながら過ごしていた時、
あるひとつのオークションを目にした。
「それ」を手に入れることが、
私の人生を大きく変えてくれそうな気がした。
良いか悪いかはわからないけれど。
そして「ほんとうにそれがそうなのか」、
わからないけれど。