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適応障害で休職した38歳の私と、ジョン・コルトレーン(3)ALL OR NOTHING AT ALL

 コロナ禍で過ごす生活は私たちに、
 毎日、否応なしに、人生は有限だという、
 残酷な普遍を、突きつけてくる。

 死なない人はいない。
 早かれ遅かれ、みんな向こう側へ行く。


 だけど普段はみんな、
 そのことはあまり考えていない気がする。

 自分がいつか死ぬってこと。

 それはもしかしたら、
 今日かもしれないし、
 明日かもしれないってこと。

 それでも日々変わらない景色を眺めながら、
 職場へ向かい、仕事をする。
 家に帰ってから家事をする。
 食事を作り、洗い物をして食器を片付け、
 掃除や洗濯をし、
 子どもたちの学校の準備をし、
 下の子のオムツを替え、習い事の送迎をし、
 お風呂に入れて、歯磨きの仕上げをして、
 寝かしつけをする。

 私も、そんな大勢のうちのひとりだ。
 他にも毎日生活する上では、
 「やらなければならない
(私はこの言い方が嫌いだ)
 いろんなことがあって、
 今までは日々に忙殺されていた。

 ただ、少し仕事から離れたことで、
 自問自答することが増えた。

 私は、生きているうちに、
 どれだけ自分のやりたいことが
 できるのだろうか。

 そもそも、
 これからの人生で、
 やりたいことってなんだろう。

 今の仕事を続けるべきだろうか。

 続けられるだろうか。

 妻と子どもたちを、
 なに不自由なく、養っていけるだろうか。

 また、
 自分はどれだけ、自分の愛する音楽と、
 出会うことができるのだろうか。
 どれだけの愛するレコードと、
 出会うことができるだろうか。

 そして、家族、家族との生活、
 音楽への感謝を
 ライフワークにすると言ったって、
 どうやってそれを表現したらいいんだろう。

 そもそもレコードで、
 ジャズを集めて聴くなんて、
 老後の楽しみだと思う人が
 多いんじゃないだろうか。
(それでもそんな趣味、選ばないわって人が、
 ほとんどだと思うけど。)

 でも、できれば、私の限られた人生の中で、
 できる限り、好きなレコードを集めて、
 家族といっしょにそれを聴こう。
 どんな聴き方でもいい。
 そしてそれができる、感謝を綴ろう。


 それが私の、これからの人生の轍になる。


 そんな時に何気なく、
 レコードのオークションサイトを見ていた。

 そのオークションはすぐに私の目を引いた。
 そして、その目を捉えて離さなかった。


 「ブルーノート1500番台コンプリート」


 というタイトルだった。


 これだ。
 というか、

 「これしかない」。

 このチャンスを逃したら-きっと−

 「もう変われない」。

 なぜか、そう直感した。

 今まで持ってきたレコードたちと、
 このレコードたちを合わせて、
 日常に音楽をさらに加えよう。
 そしてそれを日記のように書いてみよう。

 まずはモダンジャズの
 バイブルと言われている、
 ブルーノート1501番から、
 1600番まで。

 それを「今の私」が
 レコードで全て持っている、
 そして毎日かけている。

 これが重要だと思った。
 また番号があるのでキリがいい。
 それから手元にあるジャズやソウルなど、
 いろんなレコードをかけていこう。

 そりゃもう安易も安易に、
 バラ色の未来を描いた。
 頭の中はお花畑である。

 誰も俺を止められない。



 …モノを買うことで、何か変わるなんて、
 なんて安直な考えだと、
 時間が経って振り返ると、
 しみじみ思う。

 レコードだけ増えて、貯金は減り、
 仕事はできない、
 ジャズを聴いて独り悦に入る、
 アラフォーのおじさん。

 どこからどう見てもダメな人だ。

 しかも妻子持ち。見てられない。
 顔を手で覆いたくなる。

 心療内科に通っている。心配である。

 個人の再生どころか、
 一族郎党まとめて
 破滅への道を突き進んでいく…
 普通に考えるとそうだろう。

 実際私もこうやって書いてみて、
 俯瞰で自分を見てみると、
 何度考えても、そう思う。

 いったい38年間、
 人生で何を学んできたのだろう。

 ただ、その時の私は
 まともな思考は持ち合わせていなかった。
 なんせ、

 手に入れなければもう
 人生を変えることはできない

 とまで、ぶっ飛んでいるのだ。
 早速オークションに参加して、
 落札しようと考えた。

 しかしすぐに、妻と子どもたちのことが
 頭に浮かんだ。

 家族はーこの考えとお金を使うことをー
 許してくれるだろうか?

 おそらく、反対されるだろう。
 車や、子どもたちの教育などに
 使うわけじゃない。
 投資でもない。
 なんの生産性もないこの消費活動に、
 Goサインが出るとはとても思えなかった。

 それでも、
 ある程度まとまったお金を使うのだ。
 妻に相談しないわけにはいかない。
 だが、タイミングが大事だ。
 ここをミスってしまうと
 もうどうしようもない。


 数日が経った。


 買い物帰りの車の中、
 妻と私はとりとめのない会話をしていた。

 ふいに、このタイミングだと思った。

 意を決して、というより
 実際はかなり弱々しく、
 「…ねぇ、相談があるんだけど…」
 といった声かけになってしまった。
 そして妻に今まで考えたこと、
 やりたいこと、
 そしてオークションのことをたどたどしく、
 ほんとにたどたどしく伝えた。

 ああ、やっちまったかな…そう思った。

 妻は黙ってハンドルを握りながら前を向いて、
 隣にいる、どうしようもない亭主の、
 吃りにまみれた決意を、最後まで聞いていた。

 赤信号になり、
 妻はブレーキを緩やかに踏んだ。

 交差点で車が止まった。

 妻は助手席の私に顔を向け、口を開いた。


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