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⭐︎2023年11月24日のこと 仕事の愚痴、名前が付くことで、ケアの場所など

  1. ストレスフルフルなので、気持ちの整理整頓を!

  2. 水曜日、ひさびさに仕事で頭に血が上ることがあった。血圧がカーッと上がり、肩こり、頭痛までもが連鎖反応で起こっていった。怒りがどれほど身体に悪い影響を及ぼすのか、身をもって痛感した。

  3. 仕事のふり方がうまくできない新人君。経験値も少ないから仕方ないところもあるけれど、まったく自分の落ち度に気づかないばかりか、プライドも高く、なんなら非効率なわたしが悪いみたいになっている。

  4. 普通は数日かけて作る仕事をいとも簡単に数時間で今日中に作ってください、なんていきなり言ってくるからサービス残業をしていかないとダメになる。仕事帰りにニトリに寄る予定だったのに行けなくなった。他の締め切り仕事だってあったのに。ひとによってはブチキレる案件だ。

  5. いつも大切に作っている資料だったけれど、とにかく出来ればいいんですと、やっつけ仕事的な感じで要求してくるのも腹が立った。どうしてこの資料が必要なのか、その意味が分かっていないし、重要視していないから話もかみ合わない。とにかく、書類という「形」にすればいいという感じか。仕事に対する「思い」みたいなものもない。

  6. 木を見て森を見ず。そもそも木を見て、森まで見られるひとの少ないことよ。見えないものの繋がりを考えながら、対話をし、他者を尊重するという感覚で仕事ができるひとも、この職場では出会えていない。そんな形骸的な働き方をしていたら、もうAIですべてまかなえるじゃんか。

  7. 結局、仕事が終わらないから、自宅へ持ち帰ってまで作業をし、メールで担当者に送ったが、お礼もないしコメントもなし。フツーならば、御礼を言うべきだろうけど、そうすると自分の落ち度が他の人にもバレてしまうからか、スルーされている。事なかれ主義なんだろうね。Z世代でもちゃんとしているひともいるだろうけれど、こういうタイプ、若いひとに多い。いや、ひとを選んでいる。わたし、軽んじられているね、ぜったい!

  8. 茨城に帰ってきて、やっと自分の持っているものを活かせる職場に就職できたと思ったのも束の間、こうして傷つくことばかり。給与条件などは茨城にしてはいい方だけれど、ひとはパンのみで生きるにあらず、自分の持っているものを活かせず、いつも蚊帳の外で情報共有がなく、評価もされていないだろうし、ひとの思いとかそういうものを大切にする職場環境でもない。

  9. 露骨に悪口ばかり言うひとが多いのもしんどい。とくに、上に立つひとは、部下の前では特定のひとの悪口を言うものではない。わたしが上の立場で仕事をしていたときは、絶対に部下の前では同僚の悪口は言わなかった。信頼の問題だと思う。自分も影で言われてるんじゃないかと、疑心暗鬼を生じてしまうじゃないか。

  10. ずっと仕事でもやもやしてきた。この感覚、この気持ち、なんだろうか、と言葉に出来なかったけれど、あ、これって「自分が削られていく感覚」だ、とやっと言語化できた。辛さに名前がついたことで、辛さの正体が分かったことで、少し痛みが和らいだ。少しずつ傷ついて、内面が削れていく感じがこの数年、ストレスで辛かったんだな。

  11. 仕事だけじゃなく、他のことでも不運なことが続いている。中国のサイトshineで、雑貨を購入してみたのだけれど、届いた国際郵便の袋は半分が破けており中身はむき出しで、その上を中国の国際空港の方がテープでぐるぐると処置がされていた。案の定、商品三点、ガラスペンのインク、シーリングのカップ、スリッパホルダーが袋から落ちたのだろうか、入っていなかった。

  12. カスタマーセンターへ連絡しても、ちゃんと検品しているからとの一点張りで紛失を取り合ってくれない。すごく頭にくる。Shineは労働環境が悪いとか聞いていたけれど、すべてにおいてそもそもがいい加減だった。安いからいいか、と正直思っていたこともあったけれど、そんな安かろう、悪かろうはやはりいかん。やっと目が覚めた。購入商品のかばんもシミがあったし、スマートフォンのグッズも作りのかなり雑だった。わたしは、そもそもグリーンコーシューマーを目指していたし、エシカルに共感していたのに、安さのブームに乗ってしまっていたよ。Shineなどの国際便の中にトコジラミの死骸が入っていたという話も聞き、国際便について用心しないとならないことも感じた。

  13. メンタル絶不調。左肩がはれてズキズキ痛い。左奥歯も痛み始めた。でもね、こうした不運が続くときこそチャンスだと思うようにしたい。何かを変えていくチャンスだ。じっくりと不運を噛みしめて、次へと進むパワーに変換させねば。じゃないと人生、やっていられない。

  14. 明日、東京へ行く。この不運な流れで、メンタル不調&体調不良の中、行けるのか、と正直不安だけれど、負けへんで、やっぱり行くことにした。

  15. 早朝、マイカーで水戸駅へ。安いパーキングを探して駐車し、常磐線の鈍行で上野へGO。日暮里で朝ごはんとして立ち食い蕎麦「一由」へ行く。前回、食べられなかった紅ショウガ天リベンジ。その後に、谷中霊園を散策しつつ、東京都美術館オープンと同時に展示を見て、10時半からは都美の講演会を聞く。その後、どこかで昼食を食べ、上野から豊洲、苦手なゆりかもめに乗って市場前駅が最寄りの「東京マギーズ」の施設公開の見学へ行く。

  16. 東京マギーズは、がんになったひと、友人や家族ががんになったひと、などがふらっと来て、話したりできる「居場所」だ。がん患者に対するピアカウセリング、患者同士の集まりは、最近は増えていて、茨城でもあるけれど、第二の患者と言われる、がん患者に寄りそう、家族や友人たちが相談したり、交流したりできる場というのはない。

  17. 父ががんになったとき、得意のリサーチ力を発揮して、わたしは、日本中のあらゆるがん関係のケアの会を調査した。わたし自身、助けて欲しかったから。その中で、唯一と言っていいぐらいに理想的な施設だったのが、この東京マギーズだったのだ。

  18. 父が亡くなった後、母が抑うつ状態になったときも、グリーフケアや遺族外来のある施設を探したが、それも都心などしかなかった。二人に一人ががんになる時代、少生多死の時代、病や死について語ったり、受け入れられたりするケアの場は本当にない。東京マギーズみたいな場が、近所にあれば、どれだけ救われるひともいるだろうか、と思う。また、自分がいつかがんになったり、自分の大切なひとががんになったときに、こういう施設があるということはどれだけ安心だろう。

  19. 佐藤初女さんの「森のイスキア」にも似ている。ただ、受け入れて、話を聞くという場。やはりわたしはひとのこころや思いを大切にすることが生きていく上で職場でもサードプレイスでもいちばん大事なんだと思っている。一方で、そうした場を作ることは難しいことも実感として知っている。最終的に「居場所」というのは、お金や場所ではなく、そこに係る「ひと」と「目的」が一番だ。どこでも「ひと」なんだよね。

  20. 父が亡くなったときに、わたしは父の人生そのものを受け継ぎ、わたしも父のように誰かのために自分の能力を使いたいと思っていた。今もその気持ちは変わらない。日々、「削られていく」感じがするのならば、その時間を命が膨らんでいくような時間へと変えていくのも大事かも知れない。

  21. 最近、終活ということを考える。30代の友人が「終活」を意識して生きている、と聞いたときに、まだその年では早いのではないか、と思ったけれど、わたしも終活を考えて生きていくのがベストなお年頃になったんだと感じている。さて、どう残りの人生を生きていけるのか。できればあとふた花ぐらいは咲かせたいと思うのは、図々しいことだろうか。

  22. 明日は、東京だ。まずは動くことで運気を変えよう。ひとは動くと風が吹く。いい出遭いを期待しよう。

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