心配ではなく、愛を使う
私たちは、家族やパートナー、身近な人たちが幸せであって欲しいと願います。それは人間として当然のこと。
私がセラピストをやろうと決めた時、「私には何もできないし、何もする必要がない」ということでした。
人を救おうとか、より良くしようとか、そんな風に思う必要がないと直感的に理解しました。
だけど、セッションに来てくださる人たちは、少なからず「助けて欲しい」と思っていらっしゃいます。
だからこそ、クライアント様に対して、「あなたには、自分の人生を自分で切り開いていく力があります」ということを、思い出してもらうことこそ一番のやりがいだと思っています。
”わたし(自分自身)以外に、自分の人生をより良くできる人間なんて存在しない”
そして人生というものは、きちんと自らが選択して組み込まれた独自のストーリーがあります。
そのストーリーが他者から見て、不器用だろうが可愛そうだろうがダサかろうが…そのストーリーこそがその人にとって最高最善なのです。
大切なパートナーが難病を抱えていても、生きづらそうにしていても、正しい道を歩んでいないように見えても、です。
私たちが変えられるのは、自分自身だけ。
他人や他人の状況を変えることなど誰にもできないのです。
もしも、他人を変えようとしたり、コントロールしたりすると、何が起こると思いますか?
そこには、不調和と不協和音しかありません。
例えあなたが、”この人のために”と愛情から行った行為だとしてもです。
なぜなら最初に伝えた通り、私たちはそれぞれ自分が決めた最高のストーリーを生きているからです。
そこに、正しいとか間違っているなんて存在しないのです。
もしも、大切な誰かの人生が悪い方にいっていると思った時、思い出して欲しいのです。
”あなたはその誰かの魂を、尊重していますか?信頼していますか?”
心配は、愛ではありません。
その心配は、あなたが作ったあなたの個人的な感情であり、その感情を相手に投影しているだけなのです。
愛とは何でしょう?
相手の魂が選んできた最高のストーリーを、あなたが最高と思えなくても
尊重してあげることです。
相手の今、この瞬間の意思や考え方を、尊重してあげることです。
幸せは作るものではなく、なっていくものだからです。
”お互いを幸せにするために、お互いが存在しているのではない”
人生の良い時も悪い時も、信じて待つ。
それぞれの魂の計画に委ねること。
それなら私たちが共に存在する理由は何でしょうか?
決して分かり合えない別々の存在に見えるからこそ、その違いを尊重し合おうという学びがあるからです。(本当はそれでも一つ何ですけどね…)
他人のことで頭を埋め尽くす時間を、自分の人生を生きるための時間に変えましょう。
もしも私たちが生きながら、世界を変えていけるとするならば、
自分の人生を精一杯生きること!
本当の自分であることに集中すること!
心配ではなく、愛を使いましょう。
私たち自身が自分の内側に集中していると、
気がついたら、まわりの景色や人々、世界が勝手に変わっていくものです。
このブログで何度も何度も言っていますが、
私たちの内側が世界を作っているからです。