食事を用意するということ
子どもを育てていて、解ることが増えた。
子どもの頃は自分の人生は自分のものだと思っていたけれど、人生は誰かの人生を分け与えられて生まれたものであるということを、分け与える側になって理解したのだ。
特に母親は子どもに多大なリソースをさく。
生物的にもリソースを割く方がパートナー選びに慎重になるけれど、それは単純に体の構造上仕方の無いことだ。
そして、現代社会で子どもを産み、能力に差など大してない他者よりも圧倒的に優秀に育て上げるということは、並大抵の労力の割き方では実現できない。
ニュースで見た羽生結弦さんとお母様の関わり方は、ある側面でとても正しいといえる。
イチローのお父様がお仕事を疎かにしてまで毎日野球に付き合い、毎日彼にマッサージをしていたことと同じように、何かに秀でる人というのは秀でるための基礎能力とともに、誰かの人生を食べて成長しているんだ。
子どもの能力をのばすには投資が必要である。
そして子どもを産んだ瞬間から富は自己のものではなくなり、次世代への投資へと使われるんだ。
ただ、それをすると親は食べられて子どもの人生に取り込まれてしまうけれど、親というものは子を食べさせるために居るのだから正しい在り方だなぁと思う。
さて、今日もかわいい我が子に私を食べさせてあげよう。
ごはんですよー
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