学歴関係ない仕事に就いた私が思う受験勉強の意義
1/13,14は、大学入学共通テストだったらしい。
“だったらしい”なんて言葉を使う自分に少し寂しさを感じる。
なぜなら、私もかつてはすべてを捧げて、死に物狂いで勉強をしていた受験生だったからだ。
生活の軸は常に勉強だった。
常に寝不足の中、自分のできなさや、将来への不安、焦りと悔しさと嫉妬心でいっぱいだった。
早く解放されたくてたまらなかった。
そんな私にとっては、大学入学共通テスト(旧センター試験)の日は、受験生時代、常に頭に刻まれた日付だ。
当時の私にとっては、とても重要な日だったが、今の私にとっては、人に言われてやっと気付くようなイベントになってしまった。
というのも、私は今、学歴が1ミリもいらないダイビングの仕事に就いている。
この仕事に出会えたことは本当に心から感謝している。
ただ、あんなに精神的に追い詰められる1年間(浪人したので正確には2年間)を過ごさなくても、今の仕事には就けたはずだ。
周りの人からも、
『もっと良い仕事あったでしょ』
『なんでダイバーなんかやってるの!?』
と言われることもある。
“必要のなかった時間”と割り切る事もできるかもしれないが、それは当時の私にとても失礼だと思う。
受験勉強の経験は、私の脳裏にうっすらとだが、確実に染み付いている。
“必要のなかった時間”とは言いたくない私が、受験勉強に何を見出したのか、お話したい。
受験勉強を通して、私は気付かされた事実がある。
それは、自分は凡人だということだ。
誰かのように、理解が速くもなければ、少しの勉強では大きな成果を得ることもできない。
泥臭く頑張らないと、欲しいものが手に入らない人間だと分かった。
だから、泥臭く勉強した。
精神的に追い込まれて、泣きながら勉強したこともある。
その結果、第一志望の大学は落ち、浪人した。
今思えば、指定校推薦を使ったり、もっと効率よく、戦略を変えて楽できた方法がたくさんあると思う。
受験という世界で、私はうまく立ち回れなかった。
ならば、この経験から得たことは何か?
それは、私は本気を出せば、圧倒的に頑張れるという自信だ。
結果は伴わなかった。
だが、“死に物狂いの努力をした”という事実はずっと残り続けている。
あんなに頑張れた経験は、27年の人生の中で、受験生の時だけだ。
また、“あの時のように突っ走る自分を見たい”と思える。
自分を心のどこかで信じることができるのは、一生懸命だった受験生の頃の私がいるから。
だから、受験が何の意味もなかったとは思わない。
頑張る経験は、自分を信じる力になる。
それを学べたのは、私は受験をしたからだった。
過去の自分に恥じない自分でいようと思わせてくれた受験生の時の自分に『ありがとう、よく頑張ったね』と言いたい。
だから、今は学歴が関係ないダイビングの仕事をしているが
仕事でうまくいかなかった時、辛い時
過去の自分が
『大丈夫。あなたなら頑張れるよ』
って背中を押してくれる。
だから、過去の自分を否定しないで。
経験が支えてくれるよ。
今、受験生のみなさんも
良い結果になるかもしれないし、望んだ結果にならないかもしれない。
だけど、負けないで欲しい。
今の自分が、きっと、未来の自分を支えてくれる。
泥臭く受験勉強していた私が、すべてを0からにして、沖縄移住した話です!
良かったら読んでみて下さい!
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