思い込みの奥の思い込み。
いつもありがとうございます、SAです。
犯罪や倫理的な問題など例外のケースは置いておいて、の話なのですが、相手と真逆の価値観を持っていることを伝えたいとき、誤解なく伝えることが難しいなーと感じています。
価値観は人それぞれ自由でいいし違って当然だと思っているので、ただ自分の価値観を伝えたいだけで相手を否定するつもりはないのですが、その価値観が真逆の場合、私はこう思う、とアイメッセージで伝えたとしても、受け手によっては否定されたと感じる可能性があると思うのです。
例えば、「量より質が大事」という価値観の相手に「私は質より量を重視している」と伝えると、相手が否定された、攻撃されたと感じることがあるんですよね。。
こちらがどう伝えるか、相手がどう受け取るか、お互い自由に選ぶ権利があるしありのままでいいのでコントロールしようとは思わないのだけど、誤解の火種はなるべくつくりたくないと思うんです。
嫌われたくない、いい人にみられたいわけではないのだけど、なんだかモヤっとする。。
で、深掘りしてみたところ、自分の中に「他者を批判してはいけない」「否定的なことを言ってはいけない」という思い込みがあって、その根底には「人を傷付けてはいけない」という思いがあると感じました。
たしかに人を傷付けるのはよくないし、批判も否定も進んですべきことではないけれど、それをしないことで「自分に嘘をつかない」「自分を尊重する」という自分の本音の声を無視しているので、相手を傷付けない代わりに自分は傷付いていて、これも立派な自己犠牲の一種だということに気付きました。
いやこれ、自分のことながらものすごく複雑に遠回しにまるで正しいことしてるっぽい雰囲気で自己犠牲していて、なんだかとてもおもしろくなってきました。
自己犠牲しない、は今世のテーマでこれまでにも色々な気付きがあり、なんとなくわかっているつもりだったけど、まだまだ奥が深いのかもしれませんね。
そもそも「相手が傷付くかもしれない」という可能性の話を軸にしている時点でズレているということも、冷静に掘り下げるとわかります。
人間って本当におもしろいですね。
引き続き日々の気付きを学びに変え、どんどん掘り下げしていこうと改めて感じました。
ここまで読んでくださってありがとうございます。
何か少しでも感じることがあれば嬉しいです。