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本を作る時、そこに何を求むか(入稿しました) | 文学フリマ東京38

同じものを見て、そこに何が見えるかは、人次第。そこに何を求めるかもまた、同様だ。

私はなぜ本を作りたいのか、と考えた時に、手にできる質量に対する思いが一番に浮かんで、でもそれは、そんなに重々しいものではなかった。

文字を手の上に召喚するような。指でそれを追うごとに自分自身の血肉になるような。さらに言えば、その収まりの良さ。

つまるところ、結局私は文庫本が大好きなのだ。

なぜ好きなのかは分からない。これは言葉にできる類のものではないし、言葉にした瞬間に本質を逃してしまいそうなもの。

とにかく好き、つくりたい、それでいいじゃないか。

そして、文庫本を作るのに何がどれくらいかかるかはピンキリであるということも調べていくうちに分かった。私がつくる本は、どうあってほしいのか、どうあるべきなのか。

インターネットで数か所の製作所を流し見したのち、緑陽社にお願いすることにした。商業出版に見劣りしない品質の良さ、というのが私にとってとても魅力的だったからだ。

熟考したようで、意外と熟考していない。物事を決める時とは、そういうものだ。

実際に私は今までそうやって人生の重要な局面を過ごしてきたが、結局うまくいくときというのは、なんかこっちな気がするから、とか、そういう論理的には説明できない”気持ち”が一番大切なのだ。

気持ちと重ねて、商業出版で大ヒットを飛ばしている作家さまが同人誌を出したところ、というのも決め手となった。プロが見込んだプロなのだから、間違いない。同じ会社で本を作ってもらえるなんて、畏れ多くも、うれしいもの。
(間接キスならぬ、間接印刷?そもそも間接ってなんだ?)

緑陽社に、お願いしよう。早い段階で、そう決めた。値段は他社と比べると安くはないかもしれないが、ここにはそれを上回るものが、ある。そう思えた。

実際に仕様の決定などについて、何度かやり取りさせてもらった中での信頼感は半端なかった。

できないとか、わからないとか、やったことがないことを正直に伝えるのは、とても勇気のいることだが、緑陽社とのやり取りの中では、それらをしっかりと明瞭にしてくれた。その上で、提案をしてくれる。

私は感動した。担当者さんからのメールを読みながら、なんなら涙ぐんだ。一緒に作品を作ってもらいたい、と思った。

今までの経験上、様々な経験を積み、知識もある、そのような人たちは、自分にできないことや知らないことがあるのを認め、真摯に物事に向き合う。

浅はかな知識しかない人の方が、できるとか、知ってるとか、そういう態度で物事を断定的に捉えるものだ。

緑陽社の姿勢は間違いなく、前者だった。

個人事業主であんなことからこんなことまで自分でやる、10年以上そのように仕事をしてきて、メールのやり取りだけでも、信頼していいものか、あやしいものか、なんとなく察することができるようになったが、

彼らとのやり取りは、終始丁寧で、分かりやすく、人とコミュニケーションを取っているのだと感じられ、発注する前から信頼感が確固たるものになっていった。

本を作るということに対して素人の私には、やり取りの中から本づくりに関して学ぶことすらあり、彼らとの往復書簡を続ける中で、ここにしてよかったという気持ちはどんどん増幅する一方だった。

そして、担当者さんの助言のもと、最終的にはシンプルイズベスト、という形に収まり、なんとか入稿完了。つまり、入稿が完了。そう、入稿が完了しました。(大事なことなので繰り返す)

1から10までの本づくりのステップがあったら、とりあえず、10まで終わった。けど、実際はあと2つくらいある気がする。漠然とだけど、なんだかそんな気がする。12がすべて完了するのは、きっと文フリが終わった時だろう。

ともあれ、サイズも手に収まり、軽やかに読みやすい、そんな本ができあがりそうで、ひとまず安心、早くできたものが届かないか、待ち遠しい。

作品が届くこともそうだが、何より私は、緑陽社という本づくりのパートナーを見つけられたことに、心から満足している。
またしても、気持ちに従え、という教訓に確固たる根拠がひとつできてしまった。

実物は文学フリマ東京38で手に取ってもらうとして、どんな内容かについて、この後の記事で紹介していこうと思う。

もし少しでも気になったら、ぜひブースに訪れてほしい。待ってる。


つづく

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