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落ちてるもん拾うの巻
八村塁の氷見カレーヌードルでおなじみの氷見市は、忍者ハットリくんでお馴染み藤子不二雄A氏の出身地の氷見市でもあるのだけれど、忍者ハットリくんをご存じの方はどれくらいいるのだろうか。
今現在、高校生の甥っ子が小学生時代に実家で見ていたアニマックスで、忍者ハットリくんが放送されていた。
「これはね、おばさん達の子供頃見てたアニ メなんだよ、知らないでしょ」
そんな年寄りアピールでもしようかと思っていたら、
「あっこれ知ってるめっちゃ懐かしい!」
と言い出し、
「お前が言うな!!」
という総突っ込みを昭和世代一同よりくらっっていた、なんてこともあったので、意外と幅広く知られているのかしら。
知らんけど。
「落ちてるものを拾えばいいんだよ」
片付けの苦手な私にやさしく諭すように夫君はアドバイスをくれる。
家事の役割分担は夫が片付け担当。
「とりあえず
落ちているものを
拾えばいいんだよ」
さも的確なアドバイスをしたかのように、さらりとその片付け担だった男は言うのだが、それを聞いた私の耳は、その言葉が辿り着いた私の脳内では、それを的確なアドバイスとは受け取らなかった。
少しずつボリュームを上げながら新興宗教団体の唱える念仏のようにその言葉は頭の中をくるくる回った。
「とりあえず」
「落ちているものを」
「拾う」
「とりあえず」
「とりあえず」
「とりあえず」
………。
何て浅はかな考えなんだろう。
(この人は何も分かっていないんだわ。)
そう思った私こそが、何よりも浅はかな人間だったと今になってみれば思うのだけれど、その時の私はそうは思わなかった。
問題なのはこう意図も簡単に散らかる部屋そのものが問題の本質なのだ、対症療法ばかりしていてはいつまで経ってもその大本の原因が解決されないではないか。
私は極力片付けに労力を払いたくないのだ、そのためには片付けを必要としない部屋、不要な物は処分され、選ばれし一軍どもが一等地一番地に鎮座し、日々の流れを阻害することなくいやむしろアシストする存在として機能していく、それこそが理想なのだ。
かといって百均で揃えた如何にもな薄っぺらなプラスチックが跋扈する部屋は勘弁、かといって無印良品ばかりなのも何だか無機質過ぎて如何なものか、理想はやっぱりアンティークでしょうよ、カゴだってちょっと古びたブリキっぽいのとか、とかあれやこれやと脳内モデルルーム乱立中、最終形態としての整理整頓の行き届いた我が家の姿が燦然と輝いている。
それなのに、
それなのに、
それなのに、
とりあえず拾うですって?
もしもーし。
正気ですかぁ。
どこかに適当にしまい込み、表面上の綺麗を取り繕うという愚行ばかりを繰り返すだけじゃ、それでは本当の意味での片付けではないじゃないかと。
私が望んでる片付けは最終的な問題を解決するためのものであってそれ以外ではないことを、重々ご理解のほどいただけましたでしょうか。
その考えはもうなにが何でも脱原発しかあり得ない0リスク厨のような、兎にも角にも米軍出ていけの沖縄の護憲派の左派勢力のような頑強さで私の中に居座った。
とりあえずでなんかで片付けてたまるものか!と、だってもう引越さなくていいのだから、全ての片付けは最終形態への道となるその一歩として行われなければならないのだと、これは革命なのだこれは闘争なのだよ諸君。
でも先日私ほ、元片付け担当のあの男にこう言いった。
「あなたの考え方は正しかった、とりあえず落ちてるものを拾うべきだった、最初から最終段階のことを考えながら臨もうとしていた私が間違っていたよ。」
「料理作るのと掃除するのどっちが良い?」
そう尋ねられたら、
いつも喰い気味で
「料理!!」
そう答えてきた私は、片付けのレベルがとにかく低いのだ。
低いというかレベル1。
装備棍棒布の服。
例え勇者であってもレベル1ならお相手するのはスライムが関の山。
レベル1の勇者の村のすぐ横に、ラスボスの魔王の城があったならば。さすがの勇者も魔王の城横目で見ながら毎日スライムばっかり倒してたら、その果てしなさにきっと引き込もってしまうでしょうよ、きっともう嫌気がさして夜に駆け出してって、神官に「おお勇者よ、死んでしまうとは情けない、そなたはあと5の経験値でレベルがあがるだろう」って言われても、
「いや横に魔王いるんで、レベル一個上がったって絶望的な状況変わらないんで、すいませんけど、このゲームからは転生させてもらいたいと存じます。」
「一身上の都合によりって事でお願いします。」
「かたじけない。」
といった具合にモチベーションポキンと折れて無理ゲーで詰むと思うのです。
そんなドラクエ的思考でもって我が身を振り返って見たならば、お片付けレベル1なのに、非定型の多動気味の衝動性の強い子供の思い付きに振り回されてるのに、そして初めてのワンオペなのに、時短勤務でもぐったりしてるのに、そんな諸々悪条件重なってるのに、なんでそんなラスボス並みの無理難題を自分に課そうとしたのか自分の事なのに皆目検討がつきませんね。
ラスボスを設定すると、ああ今の余力じゃむりだから、今度にしようって、後回しにする良い口実ができ、どんどん見ない振りまかり通るわけですけれども、しかし、いくら自分を誤魔化したところで視界に容赦なく入ってくる惨状は確実に、自分の低い少ない脳の処理システムのメモリを喰って、そしてさらにやる気が低下するという負のループに陥っていたと、最近やっとこさ気づいたのでした。
視る。
視界に入る。
視覚から情報が入力される。
それだけで、人間には執着が生まれそして、執着こそ苦悩の始まりだと仏陀も申しておりました。
仏陀の言葉の観点からも、とりあえず落ちてる物を拾って、ものが散らかってない状況を作りだし、少ないメモリに無駄な処理をさせなず、そこで余力を蓄えてラスボスに挑むための最小のステップを刻んで刻んでレベルアップしていくというとても理に適っていることだと気づいたのでした。
両価的。
極と極に触れやすいことこの上ない。
そんな性分が災いして、どうも悪手悪手と日常の中で選びがちではあるけれど、まあ気が付いて良かったね。
って事で、とりあえずでも拾って拾ってすっきりした部屋を眺める。
すっきりした部屋で地元のスター八村類のカレーヌードルを食べようじゃないか諸君。
お湯を注いで待つこと3分。
次回
カレーヌードルもより美味しいく感じるの巻。
パッケージの八村類の笑顔も耀いて見えるの巻。
オシマイ。