20:一度命を手放した話②
マガジン「人の形を手に入れるまで」の20話目です。まだ前書きを読んでいない方は、こちらからご覧ください。
大量の薬を飲んで意識を失ったものの、どこかの病院らしき一室で私は目を覚ました。非常灯とサチュレーションが放つ仄かな光が、天井を走るカーテンレールを照らしていた。
「あ、やっぱり失敗したんだな」と私は思った。あれこれ調べた中で、大量服薬は比較的周りを汚さずに死ねると書いていたけど、確かに成功率はあまり高くなかったのだ。Bが服薬で亡くなったのだから、私だって死ねるだろうと思っていたのだけれど。
なんだかのどの奥がムズムズする感覚があった。少し痛い様な、何かを引っ掛けた後の様な感覚。時計は深夜の3時頃をさしている。薬を飲み始めたのは16時くらいだったから、その翌3時なのか…いや、もしかしたら時計をもう何周か回った3時かもしれない。私は仕事に間に合うタイミングで起きられただろうか。仕事に穴を開けていたんだとしたら、この件が仕事先に知られているんだとしたら、顔が出しづらいな…。
時計についていたカレンダー部分を見ようとベッドを降りると、看護師が血相を変えて飛んできて、その剣幕に驚いたのを覚えている。(そういうセンサーをベッドに仕込まれていたんだろうと、後日病院で働き出して知った)
目が覚めた私に看護師がいろいろ説明してくれた。血液検査上の異常はないこと。起きたなら尿検査をしてほしいこと。胃洗浄をしたので喉の違和感はおそらくそのためであること。ここは精神科ではなく一般病棟で、日中の出入りは自由にできること。ただし、状況が状況なので看護師にはこまめに声をかけて動いてほしいこと。
私は「わかりました」と話した。看護師の話では、救急隊への通報者は私自身らしかった。事実、連絡は付いたものの母はまだ仕事から帰っておらず、私の付き添い者は誰もいなかった。
看護師の去った病室で、ぼんやりと私は窓から外を眺めた。―――――どうやら私は、本心では死にたくなかったらしい。朦朧とする意識の中で、「薬をたくさん飲みました、気持ち悪いです助けてください」とでも話したのだろうか。そう思うとなんだか急にすべてがバカバカしく、滑稽に思えた。
そうまでして、私は誰に何を訴えたかったんだろう。一人の病室で、一人のベッドで、命を助けることを仕事とする場所に「死にたい」と言いながら来て、行動では「死にたくない」と示しながら、今「死にたい気持ち」を打ち消せないでいる。これはいったいどういうことだろう。
そこで私ははたと気づいた。
――――もしかして、私の「死にたい」は「助けて」の意味なのだろうか。
実行力と結果の伴わない「自殺企図」。自分の命を人質にとって、善良な一般人からの援助を求める浅はかな状態。それが私だろうか。
その時に何かが腑に落ちた気がした。私は、「自分には価値がない」と思いながら、同時に、私の命に人質にするだけの価値を感じている。私の命の価値は、両側から綱引きのように引き合われ、両端に揺らぎながら変更される。この自己価値の揺らぎが、私の生きにくさの根源なんじゃないだろうか。
「自分を本質的に助けられるのは自分しかいないんだ」と試験勉強中に先生は言った。自分じゃないと、助けるべき対象も、助けを求めている状況も、正確には理解できない。
"「精神保健福祉士」たるもの、クライアントの「本質的な希望」を引き出し、クライアント自身が「本質的に助かったと思える」、その実現に寄与する事が生業である。"
この「本質的な助け」という言葉を、遠回りした末、私は初めて実感を伴って理解することができたのだった。