自分という人間を観察したら
6歳のAくんが久々に爆発した。
隣の畑での会話だったが、
自分のことを
言われているように感じて、
突如友達にキレた。
「わかんなかったんだよ!
あやまれ!あやまれよ!!」
ルールを理解していないことを
強く言われたと思ったAくんは、
まさに状況を正しく掴めていない。
抑えきれない怒りの矛先は、
横並びに座るSくんに向けられる。
Bくんとただ短い言葉を
交わしていただけのSくんは、
突然向けられた敵意の迫力に動揺。
驚き、
みるみる涙が溢れだす。
意図せぬ方向から、
突然に強い敵意を向けられる
苦しさと悲しさは、はかり知れない。
敵意は怖い。
意図せぬ方向からならなおさら。
普段は泣かないSくんが、
堪えきれずに
涙を流す姿を目の前にして
これ以上、
心優しいSくんに
敵意を味わってほしくないと
私は丸く収めようとしてしまう。
Aくんがなにに怒ったのか、
言葉を促し、紡ぎ出すのを待って
お互いの感情が落ち着いた頃に
それぞれが意図せず
傷つけてしまったことを
その場で謝ってくれたけれども、
指導者としてすべきは、
丸く収めることではない。
今後、
同じ状況にならないために
なぜ、怒ったのか、
なにが嫌だったのかをより深く。
そして、同じく大切なのが
どうしてそう思ったのか。
整理する過程で、
再度傷つくことが
あるかもしれないけれど、
〜〜
その言葉は誰に対して
発せられたものだったのか確認した?
状況が分からず怒る前に、
確認するのも一つだよ
〜〜
感情を荒立てて
自分を苦しめてしまう前に
そう、Aくんに伝えられていればと
夜道を歩きながら反省した。
大人と呼ばれる年齢になってからも
自身の気持ちを整理する力は
大切だと思う。
Aくんは、
「『強く』言われて『嫌』だった」
と教えてくれたが、
「強い」とはどういうことか。
大きな声に感じたのか、
口調を乱暴に感じたのか。
「嫌」といっても
悔しいのか、腹立たしいのか、
悲しいのか。
責められたように感じたのか、
馬鹿にされたように感じたのか。
「嫌」と思う背景に、
どんな経験や価値観が
影響しているのか。
自分がどういうことを
大切にしているのかを
観察して分析することは、
きっと
どの時代の自分にとっても
大きな糧になるだろう。