Fifty's gate 1/2
fifty's gate 1/2
写真家対談:南雲暁彦 × 赤城耕一(前編)「下積み時代にも時代の波を感じていた、だから今がある」
この赤木耕一さんとの対談には著書「Still Life imaging スタジオ撮影の極意」はいかにして生まれたか、そしてNote連載中のフォトエッセイ「LENS恋図」のエッセンスが散りばめられていたりするのだが、改めてご紹介しつつ、客観的に自分のことを見つめてみた。
僕は今年(2020年)50歳になる。半世紀を生きて来て、その間に何をやってきて、今どこにいるのか。そのマイルストーンを並べてみたような話。というには端折っているかもしれないが、やりたい事、なりたかった者、という筋ではこんな話になるのだろう。
https://akihiko-nagumo.com/archives/galleries/scene_world
正直、今までのことがこれで良いのかも、この先どうなるのかも、実際はそんなに強く感じることが出来ないなあと思う。
この先レールが敷かれている訳ではないし、さらに穴をほったり飛んだりして進んで行くバイタリティーやタイミングがあるのかもわからない、またそれが一体どのような事であるべきなのかという明確なビジョンも正直無い。
50歳を迎え、10代の頃心に決めた「プロのフォトグラファーになる」という一つの到達点にいて、が故にそこから先の話はもっと難しいものだと感じる。若い頃のビジョンはいかにシンプルで美しかったのか、と今になって思うわけだ。
プロになって25年、15年間必死になって世界中駆けずり回って撮ってきた写真、仲間達、経験。そして同時にスタジオで培って来た技術、それから生まれた「Still Life imaging スタジオ撮影の極意」これが今の僕の土台、プロフェッショナルとしての足場だ。
旅行でたくさん海外を回ったとか、カメラの知識がある、という似たような言葉で表される経験とは一線を画すものがあると思っている(だからなかなか実は、そういうアマチュアとは話がしづらい)
前述したように仲間もたくさん出来たが、これもまた単純な友達のようなものではなく、戦友と呼べるものだ。
各々のプロフェッショナル領域の中では皆一人、自分の持ち場を一人で戦う責任を背負う、フォトグラファーも最後はやっぱり一人なのだ。信頼するものは自分でなくてはならない。逆にそういうプロ意識のあるもの達だけが本当の戦友であり、財産である
さて、この小さな足場の上でどこまで登ってもさらに広がっている空を見上げながら、未だに辿り着くべき将来を夢見ている訳だ。
この対談では過去を振り返って色々と語っているが、さらに50年立った時にもちゃんとまた話すことがあると良いなあと思った。
今までは写真を軸に足場を築いて来たが、ここから先はそれだけでは立ち行かないかもしれない。もっと大きな大義のようなものが必要な気がしている。
具体的に目の前に見えている新規の仕事として、今年はさらにもう一校講師を務める大学が増える。なんと名門、多摩美術大学である。
去年始めた長岡造形大は教授陣との共同授業で僕だけの学生という訳ではなかったが、今度は僕以外先生のいない空間に学生が120人待ち構えている。ちょっと楽しみで震える。
これがどう自分の糧になって行くのか、どう社会に作用するのかがまずは今年の新しい楽しみである。しかもこの授業では「Still Life imaging スタジオ撮影の極意」が教材となるのだ。
さてさて。やはり空の上は果てしないのである。
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