「自由律俳句」
#30 時間稼ぎの小石がなくなったベンチ
もう何時間こうしているだろう。オレンジ色に染まっていたはずの君の横顔は、いつの間にか公園の街路灯にぼんやりと照らされている。
考えていた面白い話も出し尽くして、僕はベンチの下に転がる小石をずっと蹴り続けている。
僕が何かを伝えようとしていることは明白で、この不自然に流れる時間や空気に君は気付かぬふりをしてくれている。
覚悟を決めたはずの言葉を何度も飲み込み、スニーカーの踵で地面に埋まった小石を掘り出す。
最後に残っていた小石が街路灯の光の外へ逃げていく。
それでも僕はずっと、君に想いを伝える為の言葉を探し続けていた。
#31 はじめての街だがこの匂いは知っている
知らない街の、聞いたことのない駅で降りる。
想像していたよりも大きな駅の、数箇所ある改札口の案内を見て、自分が少し緊張しているのだと気づく。
約束の時間までにはたっぷりの余裕があって、スマートフォンの指示にしたがって歩けば目的地には到着するのに、改札を出た先に広がる飲食店の看板や、古びたビルの並ぶ雑多な景色に不安が募る。まばらに通り過ぎる人や車が、独自のルールに沿って流れているようで困惑する。
歩道に出ると、雨上がりの街路樹から土の匂いが立ち上っていた。
風に乗って漂う優しい揚げ物に匂いに、家の近くのお弁当屋を思い出した。
終わりゆく哀愁と、始まりを待つ高揚の混ざり合ったこの空気は、いつだって夜のプールみたいな匂いがする。
僕の背筋は伸びて、向かう歩幅は少しだけ大きくなる。
#32 写真にあったはずの葱が添えられていない
テーブルに運ばれた皿を見てすぐに気付いた。
もちろんそれがメインな訳ではないが、数品ある候補の中から決め手になったのは事実だったし、もし添えられていないのであればきっと他の品を選んでいた。
店の外に貼られていた写真は古く色褪せていて、開店当初から使われているものかも知れない。当時は添えられていたが変更になったのか、それとも忙しさなどの理由で今回だけ忘れてしまったのか。
そんな指摘をしたら「たかが葱ごときで」と、きっと店員は僕を意地汚い人間だと思うだろう。
割引のシールが貼ってあるスーパーのお惣菜が、レジで割引されていなかった時の感覚に似ている。
シールが貼ってあるから買おうと思ったのにそれをレジへ伝えに戻ると、割引を忘れた店員のミスよりも、わざわざ割引をしてもらう為にもう一度戻ってきたという部分の方が目立ってしまう。
こんなことなら本当に食べたい物を買えばよかったと、何も言えずに家に帰る。
店を出てもう一度だけ外に貼られた写真を確認すると、色褪せていたはずの写真の葱はさっきよりも鮮やかな緑を放っていた。