小学校時代のストレス
わたしは早生まれだったのもあるとは思いますが、とても体が小さく食べられるものが少ない偏食家でした。
ラーメン1人前を1人で全部食べられるようになったのは、小学校4年生くらいから。
野菜と魚は平気でしたが肉の脂身が食べられず、ミンチ肉か、鶏肉は皮が絶対についていないささみくらいしか口にしませんでした。
こうなると、小学校当時一番苦痛だったのが給食の時間。
小盛りにしてもらっても、食べられないものや食べられない量が入っていて、いつも食べ終わるまで休み時間はお預け。みんながバタバタと掃除も始めて邪魔になるのでやっと許してもらえる感じでした。
昭和の小学校給食アルアル。
小学校2年の内斜視の手術後以降もメガネは矯正のために必要で、当時はガラスの分厚いものしかなく、今みたいに小さい時から近視な人も少なかったのでよく目立ちました。眼科指定の特別仕様のメガネだったのでレンズが片方だけで3万とか4万かかりました。
長縄跳び中にメガネに当たって割ったり、落として割ったり、その度にお金がかかる、申し訳ない。。。と思っていました。
でもメガネのせいで「ガリ勉」やら「メガネザル」やら言われました。
学校で使う道具で(例えば彫刻刀とか、笛とか)最初は学校の斡旋のものを買ってくれていましたが、そのうち親が安いものをどこからか探して買ってきたり、もらったりしていました。指定のものを買ってもらった同級生とは色がちがっていることもよくありました。そういえば普段着も長子なのにどこからかもらっってきたお古を着ていました。
上履きは2cmほど大きいものを買ってくれ、しばらくは足の先に詰め物をして、足の大きさが上履きにあってくるまで保たせました。
休み時間に同級生は
外ではドッヂボールをよくやっていましたが、人にボールをぶつけて遊ぶドッヂボールが大嫌いでした。ドッヂボールは、暴力を彷彿とさせたのだと思います。
教室の中ではアイドルグループの真似をして歌ったり踊ったりしていましたが、わたしはアイドルの顔も名前も歌ももちろん知りません。
2kmの道を歩いて家に帰ったら孵ったで、
「手伝いしなさい」「勉強しなさい」
夜寝ている間にしょっちゅう始まる大喧嘩。
怒声と悲鳴と、たまに母親の実家への夜逃げ。
(4歳まではまだ良かった)
母親を独り占めしていた時、お菓子を1つだけ買ってもらったりした時の思い出を反芻していました。
家出したい。
そしたら母親が心配して探しに来てくれるかな。
逃げるところはもちろんどこにもありませんでした。
ネットがあって今みたいにいろいろと情報を入手できてたら死ねてたかも。
実際その頃いじめられた小学生が自殺したというニュースがありましたが、新聞で読んだときに「同じ小学生でもできるんだ!」と感動?感心?したのを覚えています。
よく生きてたなぁ、わたし(笑)