えこえこ

昭和の時代に生産された異世界人。栄養(愛情)を注ぐという育成方法が代々確立していない世…

えこえこ

昭和の時代に生産された異世界人。栄養(愛情)を注ぐという育成方法が代々確立していない世界に生まれた。そのためいびつに育ち、人間世界に溶け込むために苦労している。20年前に人間と契約を結び生活をともにしている。

最近の記事

トンボ

駅の構内の通路にトンボが迷い込んでいた。 通路にある窓が明るいためか、光のある方へ向かって何度も突進しているが、開かない窓なので、外に出られずバタバタと羽音が響いている。 一緒に電車を降りた人たちがその通路を出口に向かって歩いていく。 わたしはパタパタ音をさせるトンボを見つつ、一旦通り過ぎた。 ちなみに、ド田舎育ちのわたしは昆虫がなんともない。 引っ越しして親が趣味の店兼住居を建てたのは町の端っこ。 隣町の境目までは10mくらいなのに町の中心にある役場までは4、5km離れ

    • 本は心の調子が良いときに読もうと思った

      ・母親の誕生日 ・暑くて自律神経が乱れる 夏はいつも心の調子が悪い。 にも関わらず 「子は親を救うために「心の病」になる」という本を読んだ。 元々妹の彼氏からタイトルを聞いた本だ。 noteの記事でもこの本を紹介していた人がいたので気になった。 最近はネットなどでいろんな子育て情報も手に入るが、所詮ただの知識。親自身も自分がされてきた子育てしか知らない。 されて嫌だったはずなのに、結局親はこどもに同じことをする。 だからこどもは親のコピーになってしまう。 だから虐待は世代

      • 干されるおじさん

        なんで?と思われるかもだけど、コロナの時に友だちが増えた。 その頃、パートナーのKちゃんは本格的に女性の姿になりつつあった。 地元でよく行く店では、だんだん女性になっていくKちゃんが良くも悪くも常に話題にされた。 でも緊急事態宣言が出て、地元でのお酒の提供が消えた。 隣町に行けば飲めるぞー!? 電車で1時間の隣町まで足繁く通う中、行きつけができ、行きつけで顔なじみができ、そのままコロナ後の今も通っている。 Kちゃんの女性の姿しか知らない町。 「だんだんきれいになりますね」と

        • 今年もこの季節がやってきた

          自分の誕生日も心がざわつくが、半年後にも同じく心がざわざわする日がある。 わたしを産んだヤツの誕生日。 母親も、そして娘であるわたしまで苦しめられることになる始まりの日。 母親に用意されていた名前は「剛」。 男の子の跡継ぎを必要としていた家に、まったく歓迎されない四女となった母親の名前は、漢字の「剛」はそのまま、読みだけ「こう」に変えられた。 長女の名前は宝子。 何女か知らないが、たぶん次女が幸子。 もう1人いるおばさんはエホバの証人をやっていた。 宗教にハマったということ

          なんで"ふつう"じゃない?

          家族はいるけどふつうじゃなかった。 父親は口や手での暴力。 母親は口を開けば金金カネカネ。 弟は無口で存在を消し 妹は馬鹿なことばかりするピエロ。 昨日は正夢がおきた。 夢の中でわたしは席を外し、戻ってきたらパートナーが殴られて泣いていた。 さすがに殴られてはいなかったけど、わたしが席を外したときに一悶着以上のことがあったらしい。 わたしたちは朝から席取りをしていて、日中暑い中日傘を差しながら頑張っていた。 昼過ぎになって日差しが傾き、やっと涼しくなった頃場所取りのレジ

          なんで"ふつう"じゃない?

          死なない理由

          2,3歳の頃、寝て目が覚めたら母親が「いなく」なっていたらどうしよう。と不安だった。実際に起きたらいなかったということも、あまり記憶にはないが実際にあったような気がする。 小学校になって弟妹ができてからは、今度は自分が「いなく」なりたい、と思うようになった。 家出したかったし、死にたかった。 「いなく」なったら母親が振り向いてくれるかな? 少しは悲しんでくれるのかな? でも死んだらそれが確認できないのか。ざんねん。 ちゃんと悲しんでくれるところを見てみたいな。 リストカ

          死なない理由

          ほうれんそうとおひたし

          報連相ー報告、連絡、相談。 子どもの頃からできなかったもの。 ー自分のことは自分でやる ー親の手間はかけさせない ー親に心配させない 学校のことを報告、連絡しようとしても 「うるさい」 「今忙しいから後で」 と言われ続けきた。 学校からプリントをもらって帰ってきても、親はわたしが学校の準備をするのに必要な情報をを教えてくれるわけでもなく、学校行事に参加するわけでもなかった。 もらってきたプリントや返却されたテストなどは、次第に諦めて渡さなくなった。 なので、授業がない

          ほうれんそうとおひたし

          名前

          わたしはメインの仕事で人の名前など個人情報を扱っている。 日本で10世帯しかないような珍しい苗字の人や、コレはどうなの?というようなきらっきらネームを目にすることも多い。 この前目にしたのは、「◯シキ」さんという名前の女性。音だけでいうと間違いなく男扱いされる名前だ。 漢字は覚えていないが、漢字も女性らしくはなかったと思う。 その人は、名前で男と思われてずっと苦労されてきたのだろう。 必死に「子どもも2人産んだ。私は女性だ」と訴えるメモ書きまでついていて、心が暗くなった。

          メガネ

          2歳のときからメガネをかけている。 視力が悪いわけではなく、先天性内斜視の矯正のためだったので、今も視力はよい。1.2と1.5くらい。 片目近視、片目遠視なのでどの距離でも万遍なく見えて便利だ。 小学校のときの当時のメガネはガラス製。矯正のために遠近両用である必要があったので、上側のレンズと下側のレンズに境目があって上下左右でそれぞれ度が違う超特注品だった。 当時でも片方のレンズだけで5、6万はしていた。 この高いレンズは2回ほど割った。 割ろうと思って割れるわけでもなく

          父親とわたし

          わたしと母親とは相当こじれた関係だが、父親には思うところがないわけではないが、そもそも接点が少なかったので今はどうでもいい関係だ。 (そのほうがひどい?(笑) 5歳で引っ越す前、父親からの母親へのDVっぷりはすごく、あざができたり、髪をつかんで振り回されたりしているのをみてきた。 味の好みがうるさく、調味料はメーカーまで決まっていた。マヨネーズはキューピー、ソースはカゴメのウスター、出汁に使っていいのはほんだし、目玉焼きには濃口醤油、天ぷらにはソースという感じだ。 家だ

          父親とわたし

          毒親度の一番低かったと思われるじぃちゃんの死

          わたしを取り巻く毒家系。一番毒が低かったと思われる父親の父親(じぃちゃん)はわたしのきょうだいの中で、わたしを一番かわいがってくれた。 出来の悪い中卒次男坊の父親は、インテリ兄貴より先に19歳で結婚したのでわたしが初孫になる。 3歳くらいのときに父親のDVで母親がわたしを連れて裸足のままアパートを飛び出し、公衆電話からじぃちゃんに助けを求めたりしていた、という記憶もある。 じいちゃんは車で迎えに来て、父親の実家に連れて帰ってくれた。(父親と母親はいとこ同士・・・というのをは

          毒親度の一番低かったと思われるじぃちゃんの死

          本当なら妹とは姉妹として仲良くするはずだった。 妹の出産のとき母親は全治胎盤で死にかけて卵巣や右側の聴覚や視力もほぼ失った。 退院してきてから卵巣を失ったことによる更年期障害になり、常に「あぁ~しんどい」を呪文のように繰り返した。 その言葉を聞くと居ても立っても居られず、わたしはすすんでヤングケアラーになった。 弟が生まれてからすでに目をかけられてはいなかったのに、さらに年子で未熟児の妹の登場。 妹・弟の世話はもちろん、手伝いという名前の元にご飯を作って掃除洗濯をして、わた

          ストレスと口の中

          いつも疲れてくると上の前歯の歯茎にポチッとニキビみたいなのができる。 10年くらい前、何もしてない時に歯が欠けた。その歯の上側の歯茎だ。 歯が欠けたのは「夜中の歯ぎしりか!」とすぐ気づいた。母親がやっていたのを知っていたので、自分もやってるのでは?と思い至った。 以降マウスピースをつけているが、1ヶ月も使えば穴があく。 今回はちょうど誕生日にポチッとできて、いつもは潰して終わりだけど、夜中にジンジン疼いて寝れなくなった。 日頃のストレスか。むしろ誕生日のストレスか。 また激

          ストレスと口の中

          クレーム対応ができない

          前から思っていたことではあるが、特に電話でのクレーム対応が苦手、というかできない。そもそも顔の見えない電話が嫌いだ。顔色を読む技術は優れているから。 どーーーーしても出ないといけないときはもちろん出るし、少しは慣れてきた気もするけど、基本電話は上手な人たちにお任せする。 客からぐだぐだとごねられるとイライラしてしまうし、元から文句を言いに電話をしてくる人に電話口で怒られるのが耐えられない。心がぞわぞわする。どう考えても子どものころのトラウマを抱えてるのがわかる。 そういえ

          クレーム対応ができない

          誕生日に苦しむ

          前回の記事を書いていて、1週間以上もたつけど誕生日がやっぱりどうにも嫌い、苦手だと再認識した。 自己否定が爆上げされる日だね。 自分は本当に両方の親に望まれて生まれた子どもだったのか? わたしが生まれたのはおめでたいことだったのか? そもそもなんでわたしは生まれてきた? で、ここまで来るとDVモラハラパワハラアル中な父親のご機嫌を取るために身を捧げた母親の図式が頭を離れなくなる。 そして、わたしが思うほどこの人たちは悪くはなかったのではないか?親としてなにがそこまでダ

          誕生日に苦しむ

          おめでたくなんかない日

          書きたいことは結構吐き出したつもりだったので、長い間放置してました。その間にフォローしてくれた方すみません。 1年のうちでめでたくもないのに、なぜか「おめでとう」と言われ、ありがたくもないのに「ありがとう」と返さないといけない日が先日あった。 誕生日ってやつ。 自己否定するアダルトチルドレンにとって誕生日にこそ発揮される。 何がおめでたいんだか。 どうせDVモラハラパワハラな父親が半ば犯すか、もしくは母親が父親のご機嫌を取るために体を捧げる的なそんな状況でできただけ

          おめでたくなんかない日