怒りへの対処
最近わたしが腹立たしく思うことはどんなことで、なぜ怒りになるのか考えることがあった。
朝の爽やかな空気をタバコの煙で汚していく歩きタバコ野郎(ポイ捨て付)。
こっちは忙しくて13時間くらい会社にいるのに、常に遅刻してきてさっさと定時で帰る、何をするのも緩慢な同じ年のおばさん。
非通知で、営業妨害か?というくらい1日に何回も電話をかけてきて、内容も25歳も超えたこどもに干渉している、毒親臭しかしない客。
母親と対決しようとしていた何年か前には、世の中のすべてが腹立たしかった。
まわりのすべてが敵だった。
わたしの怒りは外へ向かい、いろいろ攻撃した結果、Wワークの方は解雇になりさらに怒りを募らせた。
今回毒親界隈では(たぶん)有名な「毒になる親」を読んだが、わたしの怒りの源泉が書いてあった。
「毒になる親」つまり「毒親」という言葉の生みの親が書いた本で
・毒になる親とはどんな親で、
・こどもはそういう親に育てられるとどういう大人になってしまうか、
・毒になる親から人生を取り戻すにはどうすればよいか、
等々書いてあり、毒親持ちにはぜひ読んでほしい本だ。
わたしは怒っている。
それを的確に怒れていなかった。
例えば昔投稿した「母親を諦める」記事。
まだそこまで毒親とその影響について知識として得る前に母親に書いた手紙:
「わたしことなんて気にしてる余裕も金もなかったよね」と結局母親の状況を慮り、
全く心にもなかった「育ててくれて感謝してます」。
その後母親から送りつけられてきたオナニーノートにはさすがに度肝を抜かれたが、
ー言っても仕方ない
ー言っても無駄だ
noteやメモ帳に書き殴っている間に怒りも萎えて、
すっかり諦めたつもりになっていた。
でもここは怒るべきところだったみたい。
ー親の状況(金が無い・こどもが増えたなど)はこどものわたしには何ら責任のないこと。
ー親の問題(男の名前をつけられた・父親がアル中でDVでモラハラパワハラである)はこどものわたしには何の責任もないこと。
これを「母親が気の毒なのでなんとかしてあげたい、許してあげたい」と思ってしまう境界線のなさが、そもそものわたしに植え付けられたわたしの問題点。
「毒になる親」の本の中には、こういう
「親の責任であって」
「こどもには何ら責任のないこと」はどんなことかを具体的に明記してくれていた。
こどものわたしには責任がないにもかかわらず、親の問題や状況によって親から不当な扱いをうけたり、粗末に扱われたことは、ちゃんと怒りを覚えないといけないようだ。
そしてその怒りは適切に対処されなければならない。
すっかり怒るのも諦めたつもりになって、こころの奥底にある怒りに蓋をするから、どんどん溜まっていってあるとき大爆発をする。
特に疲れてくると仕事中にもかかわらず勝手に涙が出てくるし、睡眠の質もダダ下がり。
怒りが自分に向かえば鬱とか自傷行為になるし、怒りから自分を防衛するために、相手を攻撃したり、人の言いなりになったりする。
勢い余って怒りが他人に向かえば、よくある事件の1つが起きるだろう。
そもそも自分に沸き起こる怒りの対処もできないので、自分に対して怒ってくる人の対処も当然できない。
諦めるのが得策だとはよく聞く話だし、毒親には何を言おうが無駄と思っていたけど、この本によると親とはちゃんと対決したほうがいいらしい。
記事をずっと読ませていただいてる新原わたりさんも「下剋上」という言い方で、親との対決に成功されてから自分を取り戻されつつある。
わたしも親が死ぬまでに、できれば親が70歳になるまでに一度親と対決しよう。
そのためにまず、自分が怒る時ももちろん、自分に向けられる怒りへの対処も意識的に学んで、繰り返し怒りへの対処を練習する必要がありそうだ。
諦めるのでなく、親への怒りを昇華?(消化?)いろんな字が当てはまりそう(笑)するために対決しようと決めただけでも、なんだか力が湧いてくる気がする。
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