【30代-60代男女👫研究者10名のキャリアパス】~社会人院生、研究と事業の両立、企業研究員から大学教員など~
A-Co-Laboでは、事業開発における研究企画や専門的な課題に対して、現役研究者・技術者の知見とともに支援を行う、研究開発特化型ナレッジシェアサービスを提供しています。
研究者や技術者の研究経験や知識・スキルを活かして、企業様の新規事業課題を解決するサービスです。
社会には、あなたの研究知識を必要とする企業がいます。パートナーとして登録いただくと、副業や兼業といった形で以下のようなプロジェクトに参画することができます。A-Co-Laboから、企業の事業課題を解決していただくためのご相談をさせていただきます。
現在、分野・年齢・所属など多様な研究者や技術者が約250名ほど登録しており、自身の専門性を活かして企業案件に参画しています。
今回のnoteでは、そんなA-Co-Laboの多様なパートナー研究者の代表者10名(30代-60代)のキャリアパスをご紹介します!
パートナーの皆さんには、以下の内容でこれまでについて伺いました🙌✨️
Uさん 30代 男性
博士後期課程を修了後、海外でのポスドク勤務を選択
①これまでのキャリアパス
明治大学大学院博士後期課程を修了後、ミシガン大学でポスドクとして勤務中。
②どうしてこの経歴になったか
博士前期課程で国際学会に参加し、世界の最先端の研究に触れたことで、自分も彼らのように最先端の研究を行い世界に発表したいと憧れをもったため。
③苦労したこと
1.現在のPIに博士後期課程修了後にポスドクとして雇ってもらえるか伺った際に、研究費の関係上、給料を支払えると確約ができないと言われた。
2.現在の苦労としては、同ラボに所属するミシガン大学の学生の指導も行わせてもらっているが、語学力の差や、日米での高校までに習得している知識や経験の差に戸惑っている。
④ どう乗り越えたか
1.海外留学助成金を得ることで解決した。
申請書作成の際には、自分とは異なる分野で研究を行なっている知人から意見をもらうことで、自分の申請書を客観的・多角的に評価しながら作成を行った。
2.とにかく学生たちと会話することでそのギャップを埋めようと試みている。
Dさん 30代 男性
大手メーカー勤務から個人事業へ
① これまでのキャリアパス
工学系の大学院修士課程を修了後、大手家電メーカー2社で8年精密メカ設計に携わった後、独立創業。
② どうしてこの経歴になったか
学部・修士での研究は楽しかったが、ものづくりがしたい、との想いでメーカーへの就職。メーカーで様々な経験を積み、もっと多くのメーカーに自分の技術やノウハウを役立てたいと思い独立。
③ 苦労したこと
独立している以上、自分の技術は自分でお客様に売り込まなければいけないが、元々がエンジニアということもあり、自分の技術を他人に伝えることが苦手で、相手になかなか理解してもらえなかった。
④ どう乗り越えたか
保険の営業マン、飲み会で知り合った人など、とにかく誰にでも話をしてみた。その際に様々なフィードバックやときとして厳しいことも言われたが、それらを全て糧にして、自分の話し方や資料を修正していき、徐々にファンを増やしていった。
Oさん 30代 男性
個人事業主として独立後スウェーデンで修士を修了し、研究と事業を両立しながら博士課程で研究に従事
①これまでのキャリアパス
大学卒業後、教育NPOで表現教育の企画運営。5年半働いた後、コロナ禍で退職し、個人事業主として独立。地元でアフタースクールを立上げ。スウェーデンの大学院へ留学し教育科学(修士)を修了。留学中に研究と並行して合同会社を共同創業。帰国後、会社でも学びの場づくりをしながら日本の博士課程で研究を続ける。
② どうしてこの経歴になったか
自分が実現したかった留学という夢に向き合った結果、準備のためにNPOを卒業して地元の旭川に戻ってきたため、個人事業主になったのは出会いとタイミングだった。生きた学びを提供する「人生の学校」を作りたいなと大学卒業前から思っていたが、共通する想いを持っていた人との出会いがあって、意気投合してアフタースクールを立ち上げた。
NPOの中でもたくさんの教育の現場を見てきたが、それぞれが素敵な想いをもってやりながらも、経験則でやられていることが多かった。その経験則と蓄積された学術知を繋げられる、社会と接続できるようなコトをしたいと思った。自分でスクールを立ち上げながらも、その想いが大きくなり留学へと踏み出した。
修士留学をした結果、まだまだ研究の入り口を覗いたばかりなことに気づく。本気で研究を深め実践と繋げるには博士課程に進むことが必須だと思い立ち、進学した。
③ 苦労したこと
コロナ禍で接触が禁じられた中での、人間らしいふれあいがある学び舎づくりは苦労した。留学では初めて長期間異文化に飛び込み、マイノリティ、外国人として暮らす中で様々な難しさを経験した。
博士課程は日本ではまだ海外ほどリスペクトされず、経済的にも難しい状況にある。会社事業と何とか並行しながらも、研究を諦めずに両立することには苦労している。
④ どう乗り越えたか
どんな環境も永遠に続くわけではない。また、スウェーデンで「Lagom(程よく、適度に)」という考え方を知ってから、肩の力が抜けながら持続的に努力するというマインドセットを学べたことは大きかった。
Aさん 30代 女性
研究員を行った後、科学教室を立ち上げ
①これまでのキャリアパス
東京薬科大学大学院生命科学部、博士号(生命科学)取得 。後、JAXA, 大学の助教勤務、研究所研究員。2020年、アメリカ在住中に、科学教室を立ち上げる。
② どうしてこの経歴になったか
子どもの時に「宇宙に地球以外にも生き物はいるに違いない」と思い研究者の道を目指す。
博士課程に在学時に、研究よりは、教育に携わりたいと思ったが、一度決めた道をやり通したいと決意し、10年にわたり宇宙実験に携わる。宇宙研究への寄与、やりきった達成感を得た。
研究者としてのキャリアを積み重ねることより、子ども達と一緒に活動できる科学教室を立ち上げることを決めた。
現在は、研究者の目線を通じ「自分で問題を見つけ、考え、取り組む力」くせを持つ子供を増やしたい、との想いで活動している。
③ 苦労したこと
子どもの時に夢見た道を突き進んだが、自分の体力や能力以上のことを求められることが多かった研究者時代は、楽しいよりは義務感の気持ちが多かった。
ずっと関わった研究テーマ以外の新規テーマを見つけられず苦しかった。
④ どう乗り越えたか
新規テーマを見つけられないこと、研究論文を書いて業績を出していくのが自分に合っていない、とすっぱりと研究者のキャリアを諦めた。
10年間、責任を持って宇宙実験を、個人的には真摯に取り組めたことで、自信がついたのかもしれない。
現在は、研究者時代とはことなり、マーケティングなど違う問題が出てきた。研究者時代に培った、探究する考え方を駆使し、地道に努力していきたい。
Yさん 30代 女性
博士課程で海外留学し、帰国後大学へ就職。子育てを機に一度アカデミアを離れた後に再度大学教員として就職
①これまでのキャリアパス
大学院進学後、博士課程で海外留学。帰国後、大学に就職。その後、子育てを機に一度アカデミアを離れ、経済的事情で再度大学に助教として就職。
② どうしてこの経歴になったか
家庭と仕事の両方を大切にしたいと思い、その都度家族の事情に合わせて選択。
③ 苦労したこと
自分の想像以上に、社会が「健康で昼夜問わず働くこと」を前提に仕事が組まれていることや、プライベートを大事にしながら研究をしていくロールモデルが見当たらなかったこと。
④ どう乗り越えたか
まだ何も乗り越えられておらず、毎日を切り抜けている状態だと思っている。ただ、学生時代の知り合いや先生方に声をかけていただいて、アカデミアとの縁が切れなかったことは幸運だった。
Sさん 40代 男性
博士研究員の後、企業での研究を経て大学教員へ
①これまでのキャリアパス
大学院修了と同時に学位を取得したのち、博士研究員として公的研究機関で2年間勤務。その後、民間企業社員を経て大学教員となった。
②どうしてこの経歴になったか
大学院の学生時代、民間企業に勤務することを目指して就活したが、就くことができず、博士研究員を経験。
その後、目標であった民間企業に就職できたが、理想とは大きく異なり、子供のころからの夢であった大学教員になることに。
紆余曲折あったが、結果的にはどのキャリアも今の自分にとって重要なものとなった。特に民間企業での勤務では、多くのことを経験でき、得るものも多かった。
③ 苦労したこと
民間にせよ、アカデミアにせよ、ポストを得るのは大変だった。「お祈りメール」を受け取る度に、「自分は本当に社会に必要とされているに人間なのかな?」と考えてしまった。ただ、このことは大学教員となった今でも思うことで、ポストを得てもこの悩みは解決していない。
④ どう乗り越えたか
一つ目は後悔しないようにまずは自分から何かを始めること。前例には拘らず、自分が必要だと思うことはやってみるのが良いと思う。
二つ目は、自分を取り巻く人間に、結局は支えられていることを認識すること。自分のこれまでのキャリアを振り返ると、岐路に立った時は必ず、自分以外の人からの支えがあった。他人への感謝は、とても大事だと常々思っている。
Sさん 40代 女性
ライフイベントに合わせながら企業研究員を歴任
①これまでのキャリアパス
大学院修士課程修了後民間企業に研究職で就職し、その後結婚・出産などのライフステージの変化に合わせて転職を繰り返す。現在5社目。
②どうしてこの経歴になったか
大学院ではバイオサイエンスを学び、修了後民間企業にて食品添加物受託開発の研究に従事。その後結婚による転居のため転職。主に動物試験・抗体作成受託の仕事を行う。
出産のため退職し、3年ほどのブランクの後派遣研究員として食品用酵素開発に従事する。
その後子供が小学校入学を機に大学発ベンチャー企業に転職。前職の抗体作成と受託業務の経験を活かし、モノクローナル抗体探索の研究を行うとともに、受託対応業務にも携わる。
その後、抗体関連の知識とベンチャーでの経験を買われ、現在の会社にスカウトを受け転職。異業種(自動車関連)の組織の中で新規事業開発の業務を行っている。
③苦労したこと
1)就職氷河期真っ只中の就職。
2)結婚による転居により転職。大学のテクニシャンの仕事をしながら半年ほど転職活動した
3)出産により退職。当時従事していた動物試験の仕事は続けられる環境ではないと思った。
4)子供2人出産後、下の子が1歳の時に復職。3年のブランクの上に育児と新しい職場での仕事で大変だった。
5)上の子が年長の時に乳がんになる。仕事と保育園の役員と乳がんの治療をこなした。
6)ベンチャーに転職したが、経営不振により解雇(その後復職)
④どう乗り越えたか
1)中途採用を行っている企業に片っ端からメールを送って何とか就職できた。結果、即戦力として仕事に携われたので、よかった。
2)あまり良い条件での転職ではなかったが、少人数の職場だったため多くの仕事を覚えたことと、部下を持ち仕事を回す経験ができたのはよかった。
3)子育て中の3年の無職期間はキャリアを見つめなおす期間でもあった。
4)職務経験をつなげることだけを目的に派遣の仕事を選んだので、無理せず割り切った。
5)部長ががん治療中で、直属の上司の奥さんが乳がん経験者であったため仕事をしながらの治療に理解があり、派遣だったが契約を切られることはなかった。
6)解雇後、経営が持ち直したことから数か月で復職となった。この時に登録した転職サイトの職務経歴を見て現在の会社からスカウトを受けることとなった。
Fさん 40代 女性
博士課程を修了後、特許事務所に就職、弁理士として活躍後、キャリアコンサルタントへ
①これまでのキャリアパス
大学院博士課程を修了後、特許事務所に就職。翌年に弁理士試験最終合格。医薬品やバイオテクノロジーの案件を中心に、国内外の企業・大学の特許権取得を18年間に渡りサポートしてきた。その中では、特許事務所の共同経営職への昇格や、大学非常勤講師の兼任なども経験した。
しかし、2018年に自身の体調面で大きな転機を経験したことから、転機を乗り越えていくことや女性活躍などキャリア支援への関心が増し、国家資格キャリアコンサルタントを取得した。現在は、個人支援のほか、大学・企業向けのセミナー、書籍の執筆などの活動をしている。2021年より日経xwomanアンバサダー。著書に『仕事のモヤモヤ・イライラを止めて自分を取り戻す 小さなルーティン』(あさ出版)がある。
② どうしてこの経歴になったか
まず、ファーストキャリアとして特許業界に進んだのは、当時「ポスドク1万人計画」で任期つきのポストが多かったのと、私はもう少し腰を据えて仕事をしたいという気持ちが強かった。大学院在学中にインターンとして在籍した米国のバイオベンチャーで弁理士という職業を知り、目指したい気持ちが強くなった。特許業界は一般的に新卒採用がほとんどないが、博士号を取得した人材が欲しいという事務所とのご縁があり、特許業界に入るに至った。
セカンドキャリアとして、キャリア支援の活動を選択したのは、上述のとおり自身の体調面で大きな転機を経験し、乗り越えたことがきっかけである。
③ 苦労したこと
まず、ファーストキャリア選択にあたっては、博士課程進学者のほとんどが研究職を希望する中、新卒で特許業界に入るというのは異質であり迷った。特許業界に入った後は、働きながら弁理士試験の準備をした。1年半ほどで約1800時間の勉強時間を捻出したが、大学院修了してすぐに受験勉強を開始したのも功を奏したと思われる。
セカンドキャリアの選択にあたっては、特許事務所で共同経営職に昇格して3年ほどが経過して、まさにこれからという矢先に突然原因不明の自己免疫疾患を発症するという大きな転機に見舞われた。服薬で症状はコントロールできるようにはなったものの、以前のように多数の案件に関与することが難しくなってしまった。案件数を減らして同じ職場で働き続けることも可能ではあったと思うが、自分を成長させる機会や自分だからこそできる仕事から遠ざかってしまうことが非常に残念で、このままでいいのかという思いがつのった。
④ どう乗り越えたか
ファーストキャリア選択に際しては、就職活動をする中で様々な方と話をする中で希望する働き方を実現できる職場であると感じられ、ご縁をいただいた事務所で働きたいという思いが強くなった。
セカンドキャリア選択に際しては、信頼しているコーチのサポートも受けながら自分のあり方や、特許実務のスキルに拘らず広く自分の興味を見つめ直した。そうしたところ、これまでに学んだ脳科学コーチングのスキルやマネジメント経験を活かしてキャリア支援をしていきたいという思いを抱くに至った。その上でキャリア支援の専門知識を得るべく国家資格キャリアコンサルタントも取得し、現在の活動につなげている。
現在の状態は通過点と捉えており、今後はこれまでの経験をさらに統合していくべく、理系人材の育成や、経営という視点でキャリアも知財も俯瞰できる活動にも繋げていきたいという夢を追いかけている。
Hさん 50代 女性
2度の社会人院生、4つの職業を経て独立系研究者へ
①これまでのキャリアパス
大学卒業後、民間企業を経て日本語教師に転職。3年目から仕事をしながら大学院博士前期課程に進学、修了と同時に私立中高一貫校の専任教員に。
教員11年目の年に大学院博士後期課程に進学、D4になるタイミングで中高専任教員を退職、大学の非常勤講師やフリーランスとして仕事をしながら博士号を取得。
博士課程修了後、1年間のポスドクを経て、大学専任教員(准教授)として4年間勤務後、独立系研究者に。
② どうしてこの経歴になったか
中学生の頃より日本語教師になることを夢見ており、日本語教師になる資格が取れる大学に進学。
日本語教師として十分に生計を立てるには、社会人経験と修士号があったほうがいいと大学院の日本語の先生方に助言され、まず社会人経験を積むことにし、大学卒業時に民間企業に就職することを選択。
会社を辞める際、日本語学校で経験を積むか、大学院に進学するか迷ったが、その時はまだ日本語教育の分野で研究したい明確なテーマがなかったため、日本の日本語学校に就職。
2年目に研究したいと思えるテーマがみつかり、3年目から大学院博士前期課程に進学、進学時に教職を取ることを事務職員の方に勧められ、教員免許を取ることにした。
博士前期課程修了時に、中国の大学の日本語教員(任期2年)と日本の私立中高教員(任期なし)になるチャンスをいただき、迷った結果、日本の私立中高教員を選択。
中高教員として勤務していた学校が90周年を超え、100周年を迎えるにあたり、これまでの教育を見直すことになり、自分の担当科目(地理)がどのように継承されてきたか研究する機会に恵まれた。
研究を進める中で、未着手の重要な事実が判明し、大学院の恩師等に相談したところ教員をしながら博士課程で研究するよう助言され、教員を続けながら博士後期課程に進学することにした。
博士課程3年次までは中高教員との二足の草鞋だったが、4年目になる際博士論文の指導教授に背中を押される形で中高教員を辞し、大学非常勤としてアカデミック経験を積みながら、集中して博士論文を書き上げ、6年間で博士号を取得。
1年のポスドクを経て、運よく大学専任教員に転職できたが、大学教員として膨大で多岐にわたる業務を経験し、これからの研究者としての生き方を深く考える機会があった。自分との対話を重ねた結果、大学教員を4年間経験した後、独立系研究者の道を選択。
③ 苦労したこと
・研究と仕事、プライベートのバランス
博士後期課程の受験勉強時間を確保するのが大変だった。当時子どもが保育園児で、私は中高教員で多忙を極めており、通勤時間くらいしか勉強ができなかった。
中高専任教員の仕事と学業(特に調査や学会発表)の両立は思った以上に大変だった。
・セカンドチャレンジならではの悩み
アラフォーで受験したので、英語が全然できるようにならず、悲しい思いをした(大学までは得意科目だったのですが…)。
・アカデミックポスト、研究を続ける難しさ
大学専任教員のポストを得ることは簡単ではなかったこと、その後自ら大学教員のポストを手放し、退職するまでの一連も苦労した。また、大学を辞めてからの(科研費等の)受入研究機関を見つけるのも苦労した。
④ どう乗り越えたか
・時間は有限、タイムマネジメントを徹底
徹底的にタイムマネジメントをして、仕事、家事等をこれ以上できないくらい効率化したり、最低限だけすると決めた。
・家族の協力
家族(夫や義実家)にも全面的に協力してもらい、子どもにも幼いながら自立してもらった(と思っています)。
・職場と学業の優先付け
職場には合格した後に研究日の調整や学会発表の際の引率等を代わってもらうなどし、基本的に仕事を優先した。大学の指導教授に相談して学業のほうをペースダウンしながら進めた。
・自己分析とキャリアをあきらめない心
大学専任教員の公募に出すも、鳴かず飛ばず。どうやったら公募が通るのか全くコツがわからず、とにかく出し続けた。結果的に指導教授の先生などの紹介で就職することができた。
プロ(カウンセラー、コーチ等)の力を借りて徹底的に自分と向き合い、お世話になった先生方・先輩、専門家とも長時間にわたり相談を重ねた。また、研究仲間や指導教授の先生等にも積極的にキャリアの相談をした。
Tさん 60代 男性
エンジニア兼研究者として活躍後、大学で非常勤講師を務めながら、高校理科教師に
①これまでのキャリアパス
30年以上にわたり、大手IT企業でエンジニア兼研究者として活躍。プリンターや液晶ディスプレイなどの素材開発から情報処理装置など幅広い製品開発に携わる。また、現在は大学で教鞭をとるかたわら、A-Co-Laboパートナー研究者としても活動。今年度より高校理科の講師として、理科好きを増やすことを目的に活動。
② どうしてこの経歴になったか
元々パソコン好きが高じてIT業界を目指し、入社。当初は予想外の機械設計を担当することになったが、CAE(Computer Aided Engineering)の導入などを通して着実に実績を積み重ね、様々な製品開発に携わることになる。また、製品開発における問題解決のために大学院で研究を行い、博士号を取得したことも、その後のキャリアに大きな影響を与えた。
③苦労したこと
物理学のバックグラウンドを持ちながら、入社当初は製図も書けない状態からのスタート。また、製品開発においては、予期しない不具合の発生など、様々な問題に直面し、原因究明のために大学院で改めて研究を行うなど、大きな苦労を経験する。
④ どう乗り越えたか
持ち前の探求心と粘り強さで様々な苦労を乗り越えた。周囲のアドバイスを受けCAEをいち早く学び、製品開発に適用したことで、エンジニアとして大きく成長することができた。また、解決困難な課題に直面した際には大学院での研究などを通して、新たな知識や技術を積極的に習得することで問題解決に導いた。
A-Co-Laboパートナー10名のそれぞれのキャリア、いかがだったでしょうか?皆さん様々なキャリアを歩まれているのがわかりますね!それぞれの道に正解や不正解はありません。本業がある中で、副業や兼業としてA-Co-Laboのプロジェクトに参画するのもキャリアにおける選択肢の1つです。理想とするキャリアを追い求める中で困難なことや、壁が立ちはだかる時もあるかもしれません。また、人との出会いやものごとのタイミングも環境や状況によって異なりますが、どうしたら自分のやりたいことを実現できるか、どうするのが自分にとって心地よいか、その都度向き合うことが大事なのかもしれませんね!🚶♂️✨️
A-Co-Laboのパートナーに登録いただくと、研究経験と企業経験のあるコーディネーターに、キャリア形成について、いつでも無料で相談することが可能です!企業の研究開発プロジェクトに参画しながら、自身の次のキャリアについても考えるサポートを受けることができますので、ぜひご活用ください🙌
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A-Co-Laboについて
弊社では、研究者が持つ研究経験・知識・スキルを活かして企業の課題を解決することを目的としています。研究者のキャリア問題に課題を感じている研究者3名で立ち上げました。
弊社の事業内容を始め、立ち上げの想いやクライント・パートナー研究者の声などが紹介された動画はこちらからご覧いただけます。
【研究者の方】
自身の研究経験やスキルを本業だけでなく、副業・兼業といった形で活かしてみませんか?
弊社では短期から中長期まで、研究者に合った様々なプロジェクトへの関わり方をご提案しています。
これまでの研究で培ったナレッジやスキルを、プロジェクト単位で企業の事業開発に提供することができます。またプロジェクト毎に専属のコーディネーターが伴走することで、安心してプロジェクトに参画することができます。
また、A-Co-Laboは企業でのビジネス経験を持つ研究者で運営しています。自身の研究者としての経験を活かしたキャリア形成について、いつでも無料で相談が可能です。
【企業の方】
「どの専門家に相談していいかわからない」という新規事業課題に対し、パートナー研究者達を含めたA-Co-Laboチームが解決に向けたサポートを行います。新しい挑戦をしたいと思っている企業様と、社会に挑戦したい研究者の共創の場を作っています。
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