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【A-Co-Laboに登録してる女性研究者のキャリアパス】子育てとキャリアの両立・研究者として歩む中で苦労したことや乗り越え方など
A-Co-Laboでは、事業開発における研究企画や専門的な課題に対して、現役研究者・技術者の知見とともに支援を行う、研究開発特化型ナレッジシェアサービスを提供しています。
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研究者や技術者の研究経験や知識・スキルを活かして、企業様の新規事業課題を解決するサービスです。
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現在、分野・年齢・所属など多様な研究者や技術者が約300名登録しており、自身の専門性を活かして企業案件に参画しています。
皆さん本業もありながら、
・副業でも研究開発に携わりたい
・今よりも色々なスキルを持って研究に携わりたい
・社会や様々な企業と繋がることで刺激を得たい
といった思いから、副業として登録をしてくださっています!
今回のnoteでは、A-Co-Laboパートナーで女性研究者5名の方がこれまでどんなキャリアを歩んできたのかや、ワークとライフの両立について、キャリアでの困難をどう乗り越えられたのかをお聞きしまとめてみました🙌
🔻これまでの変遷を以下の観点で伺っています🔻
① これまでのキャリアパス
② どうしてこの経歴になったか
③ 苦労したこと
④ どう乗り越えたか
Yさん 30代 女性
博士課程で海外留学し、帰国後大学へ就職。子育てを機に一度アカデミアを離れた後に再度大学教員として就職
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①これまでのキャリアパス
大学院進学後、博士課程で海外留学。帰国後、大学に就職。その後、子育てを機に一度アカデミアを離れ、経済的事情で再度大学に助教として就職。
② どうしてこの経歴になったか
家庭と仕事の両方を大切にしたいと思い、その都度家族の事情に合わせて選択。
③ 苦労したこと
自分の想像以上に、社会が「健康で昼夜問わず働くこと」を前提に仕事が組まれていることや、プライベートを大事にしながら研究をしていくロールモデルが見当たらなかったこと。
④ どう乗り越えたか
まだ何も乗り越えられておらず、毎日を切り抜けている状態だと思っている。ただ、学生時代の知り合いや先生方に声をかけていただいて、アカデミアとの縁が切れなかったことは幸運だった。
Aさん 30代 女性
研究員を行った後、科学教室を立ち上げ
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①これまでのキャリアパス
東京薬科大学大学院生命科学部、博士号(生命科学)取得 。後、JAXA, 大学の助教勤務、研究所研究員。2020年、アメリカ在住中に、科学教室を立ち上げる。
② どうしてこの経歴になったか
子どもの時に「宇宙に地球以外にも生き物はいるに違いない」と思い研究者の道を目指す。
博士課程に在学時に、研究よりは、教育に携わりたいと思ったが、一度決めた道をやり通したいと決意し、10年にわたり宇宙実験に携わる。宇宙研究への寄与、やりきった達成感を得た。
研究者としてのキャリアを積み重ねることより、子ども達と一緒に活動できる科学教室を立ち上げることを決めた。
現在は、研究者の目線を通じ「自分で問題を見つけ、考え、取り組む力」くせを持つ子供を増やしたい、との想いで活動している。
③ 苦労したこと
子どもの時に夢見た道を突き進んだが、自分の体力や能力以上のことを求められることが多かった研究者時代は、楽しいよりは義務感の気持ちが多かった。
ずっと関わった研究テーマ以外の新規テーマを見つけられず苦しかった。
④ どう乗り越えたか
新規テーマを見つけられないこと、研究論文を書いて業績を出していくのが自分に合っていない、とすっぱりと研究者のキャリアを諦めた。
10年間、責任を持って宇宙実験を、個人的には真摯に取り組めたことで、自信がついたのかもしれない。
現在は、研究者時代とはことなり、マーケティングなど違う問題が出てきた。研究者時代に培った、探究する考え方を駆使し、地道に努力していきたい。
Sさん 40代 女性
ライフイベントに合わせながら企業研究員を歴任
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①これまでのキャリアパス
大学院修士課程修了後民間企業に研究職で就職し、その後結婚・出産などのライフステージの変化に合わせて転職を繰り返す。現在5社目。
②どうしてこの経歴になったか
大学院ではバイオサイエンスを学び、修了後民間企業にて食品添加物受託開発の研究に従事。その後結婚による転居のため転職。主に動物試験・抗体作成受託の仕事を行う。
出産のため退職し、3年ほどのブランクの後派遣研究員として食品用酵素開発に従事する。
その後子供が小学校入学を機に大学発ベンチャー企業に転職。前職の抗体作成と受託業務の経験を活かし、モノクローナル抗体探索の研究を行うとともに、受託対応業務にも携わる。
その後、抗体関連の知識とベンチャーでの経験を買われ、現在の会社にスカウトを受け転職。異業種(自動車関連)の組織の中で新規事業開発の業務を行っている。
③苦労したこと
1)就職氷河期真っ只中の就職。
2)結婚による転居により転職。大学のテクニシャンの仕事をしながら半年ほど転職活動した
3)出産により退職。当時従事していた動物試験の仕事は続けられる環境ではないと思った。
4)子供2人出産後、下の子が1歳の時に復職。3年のブランクの上に育児と新しい職場での仕事で大変だった。
5)上の子が年長の時に乳がんになる。仕事と保育園の役員と乳がんの治療をこなした。
6)ベンチャーに転職したが、経営不振により解雇(その後復職)
④どう乗り越えたか
1)中途採用を行っている企業に片っ端からメールを送って何とか就職できた。結果、即戦力として仕事に携われたので、よかった。
2)あまり良い条件での転職ではなかったが、少人数の職場だったため多くの仕事を覚えたことと、部下を持ち仕事を回す経験ができたのはよかった。
3)子育て中の3年の無職期間はキャリアを見つめなおす期間でもあった。
4)職務経験をつなげることだけを目的に派遣の仕事を選んだので、無理せず割り切った。
5)部長ががん治療中で、直属の上司の奥さんが乳がん経験者であったため仕事をしながらの治療に理解があり、派遣だったが契約を切られることはなかった。
6)解雇後、経営が持ち直したことから数か月で復職となった。この時に登録した転職サイトの職務経歴を見て現在の会社からスカウトを受けることとなった。
Fさん 40代 女性
博士課程を修了後、特許事務所に就職、弁理士として活躍後、キャリアコンサルタントへ
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①これまでのキャリアパス
大学院博士課程を修了後、特許事務所に就職。翌年に弁理士試験最終合格。医薬品やバイオテクノロジーの案件を中心に、国内外の企業・大学の特許権取得を18年間に渡りサポートしてきた。その中では、特許事務所の共同経営職への昇格や、大学非常勤講師の兼任なども経験した。
しかし、2018年に自身の体調面で大きな転機を経験したことから、転機を乗り越えていくことや女性活躍などキャリア支援への関心が増し、国家資格キャリアコンサルタントを取得した。現在は、個人支援のほか、大学・企業向けのセミナー、書籍の執筆などの活動をしている。2021年より日経xwomanアンバサダー。著書に『仕事のモヤモヤ・イライラを止めて自分を取り戻す 小さなルーティン』(あさ出版)がある。
② どうしてこの経歴になったか
まず、ファーストキャリアとして特許業界に進んだのは、当時「ポスドク1万人計画」で任期つきのポストが多かったのと、私はもう少し腰を据えて仕事をしたいという気持ちが強かった。大学院在学中にインターンとして在籍した米国のバイオベンチャーで弁理士という職業を知り、目指したい気持ちが強くなった。特許業界は一般的に新卒採用がほとんどないが、博士号を取得した人材が欲しいという事務所とのご縁があり、特許業界に入るに至った。
セカンドキャリアとして、キャリア支援の活動を選択したのは、上述のとおり自身の体調面で大きな転機を経験し、乗り越えたことがきっかけである。
③ 苦労したこと
まず、ファーストキャリア選択にあたっては、博士課程進学者のほとんどが研究職を希望する中、新卒で特許業界に入るというのは異質であり迷った。特許業界に入った後は、働きながら弁理士試験の準備をした。1年半ほどで約1800時間の勉強時間を捻出したが、大学院修了してすぐに受験勉強を開始したのも功を奏したと思われる。
セカンドキャリアの選択にあたっては、特許事務所で共同経営職に昇格して3年ほどが経過して、まさにこれからという矢先に突然原因不明の自己免疫疾患を発症するという大きな転機に見舞われた。服薬で症状はコントロールできるようにはなったものの、以前のように多数の案件に関与することが難しくなってしまった。案件数を減らして同じ職場で働き続けることも可能ではあったと思うが、自分を成長させる機会や自分だからこそできる仕事から遠ざかってしまうことが非常に残念で、このままでいいのかという思いがつのった。
④ どう乗り越えたか
ファーストキャリア選択に際しては、就職活動をする中で様々な方と話をする中で希望する働き方を実現できる職場であると感じられ、ご縁をいただいた事務所で働きたいという思いが強くなった。
セカンドキャリア選択に際しては、信頼しているコーチのサポートも受けながら自分のあり方や、特許実務のスキルに拘らず広く自分の興味を見つめ直した。そうしたところ、これまでに学んだ脳科学コーチングのスキルやマネジメント経験を活かしてキャリア支援をしていきたいという思いを抱くに至った。その上でキャリア支援の専門知識を得るべく国家資格キャリアコンサルタントも取得し、現在の活動につなげている。
現在の状態は通過点と捉えており、今後はこれまでの経験をさらに統合していくべく、理系人材の育成や、経営という視点でキャリアも知財も俯瞰できる活動にも繋げていきたいという夢を追いかけている。
Hさん 50代 女性
2度の社会人院生、4つの職業を経て独立系研究者へ
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①これまでのキャリアパス
大学卒業後、民間企業を経て日本語教師に転職。3年目から仕事をしながら大学院博士前期課程に進学、修了と同時に私立中高一貫校の専任教員に。
教員11年目の年に大学院博士後期課程に進学、D4になるタイミングで中高専任教員を退職、大学の非常勤講師やフリーランスとして仕事をしながら博士号を取得。
博士課程修了後、1年間のポスドクを経て、大学専任教員(准教授)として4年間勤務後、独立系研究者に。
② どうしてこの経歴になったか
中学生の頃より日本語教師になることを夢見ており、日本語教師になる資格が取れる大学に進学。
日本語教師として十分に生計を立てるには、社会人経験と修士号があったほうがいいと大学院の日本語の先生方に助言され、まず社会人経験を積むことにし、大学卒業時に民間企業に就職することを選択。
会社を辞める際、日本語学校で経験を積むか、大学院に進学するか迷ったが、その時はまだ日本語教育の分野で研究したい明確なテーマがなかったため、日本の日本語学校に就職。
2年目に研究したいと思えるテーマがみつかり、3年目から大学院博士前期課程に進学、進学時に教職を取ることを事務職員の方に勧められ、教員免許を取ることにした。
博士前期課程修了時に、中国の大学の日本語教員(任期2年)と日本の私立中高教員(任期なし)になるチャンスをいただき、迷った結果、日本の私立中高教員を選択。
中高教員として勤務していた学校が90周年を超え、100周年を迎えるにあたり、これまでの教育を見直すことになり、自分の担当科目(地理)がどのように継承されてきたか研究する機会に恵まれた。
研究を進める中で、未着手の重要な事実が判明し、大学院の恩師等に相談したところ教員をしながら博士課程で研究するよう助言され、教員を続けながら博士後期課程に進学することにした。
博士課程3年次までは中高教員との二足の草鞋だったが、4年目になる際博士論文の指導教授に背中を押される形で中高教員を辞し、大学非常勤としてアカデミック経験を積みながら、集中して博士論文を書き上げ、6年間で博士号を取得。
1年のポスドクを経て、運よく大学専任教員に転職できたが、大学教員として膨大で多岐にわたる業務を経験し、これからの研究者としての生き方を深く考える機会があった。自分との対話を重ねた結果、大学教員を4年間経験した後、独立系研究者の道を選択。
③ 苦労したこと
・研究と仕事、プライベートのバランス
博士後期課程の受験勉強時間を確保するのが大変だった。当時子どもが保育園児で、私は中高教員で多忙を極めており、通勤時間くらいしか勉強ができなかった。
中高専任教員の仕事と学業(特に調査や学会発表)の両立は思った以上に大変だった。
・セカンドチャレンジならではの悩み
アラフォーで受験したので、英語が全然できるようにならず、悲しい思いをした(大学までは得意科目だったのですが…)。
・アカデミックポスト、研究を続ける難しさ
大学専任教員のポストを得ることは簡単ではなかったこと、その後自ら大学教員のポストを手放し、退職するまでの一連も苦労した。また、大学を辞めてからの(科研費等の)受入研究機関を見つけるのも苦労した。
④ どう乗り越えたか
・時間は有限、タイムマネジメントを徹底
徹底的にタイムマネジメントをして、仕事、家事等をこれ以上できないくらい効率化したり、最低限だけすると決めた。
・家族の協力
家族(夫や義実家)にも全面的に協力してもらい、子どもにも幼いながら自立してもらった(と思っています)。
・職場と学業の優先付け
職場には合格した後に研究日の調整や学会発表の際の引率等を代わってもらうなどし、基本的に仕事を優先した。大学の指導教授に相談して学業のほうをペースダウンしながら進めた。
・自己分析とキャリアをあきらめない心
大学専任教員の公募に出すも、鳴かず飛ばず。どうやったら公募が通るのか全くコツがわからず、とにかく出し続けた。結果的に指導教授の先生などの紹介で就職することができた。
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