お題【書くこと】モノクロの世界をカラーリングする
四畳半一部屋にも、
四畳半二部屋や、四畳半二部屋+六畳一部屋にも、
同じ大きさの黒いテレビがあった。
キッチンと呼べるところは、ただの通路だったり、
なんとかテーブルを置けるスペースもあったりするけれど、
ともかく、どの番号の部屋にも不似合いなサイズのテレビがあった。
それは支援を示す、赤十字社のマークがひとつ残らず付いていて、
同じマークはメタリックグレーの冷蔵庫にも付いていた。
みんな、お揃いだ。
阪神淡路の時の、お下がりだという仮設住宅は、
入居したその日に、壁と鉄骨の隙間から太陽が見えた。
その頃、スピードアップがたったひとつの目標だったから仕方がない。
誰もが忙しく、私でさえも、考えなければならないことや、
やらなければならないことが、なんだか限りなくあった。
赤いマークの付いた、黒い大きなテレビの画面からは、
いろんな色といろんな声が乱雑に飛び出してきて、
それは、生活の中に無遠慮に響き渡る。
ほんの何か月前は、ただの生活の背景だったのに、
テレビの中に繁殖している色の乱雑さは、耐えきれなくなったことを知る。
私の頭の中に侵食して来て、思考をかき回すように渦巻いていく。
雑誌は、ファッション雑誌であれ、なんであれ、
色の付いたものは、私の頭の中で整列を乱していくので、
次第に「考える」という作業から遠ざかっていく。
紙に印刷された黒い文字だけが頼りだ。
ある、と、ない。
そうだ、と、ちがう。
あらゆる判断のアドバイスが、
白と黒の二色であれば、なんとか感じ取れた。
それ以外は、ただ、とてもうるさいというだけ。
世の中が、こんなに不必要なものが多いとは知らなかった。
もちろん、私にとって、ということに過ぎないのだけど。
本は穏やかさを、連れてはくるけれど、
それはただ一時的な安心感であって、
長く続くモノクロの世界でさえ、集中力が途切れてしまう。
文章は読んだ先から、離れてしまって、
体に残る言葉をなかなか見つけられないのだ。
細切れの言葉を重ねるように、一日と一日を繋いできた。
自分の歳や家族の歳を数えると、いつもひとつ足りなく数えてしまう。
それどころか、もう歳なんてどうだっていいのだ。
小さな甥が「どうしておトイレの床が汚いの?」と尋ねた時に、
初めて埃だらけの四隅に気づく。
ずっと、「都」と読んでいた一文字は「郁」だったことを知る。
いつも、モノクロの世界の、空中に漂って暮らしていた気がする。
パソコンのメールやガラケーや、それからスマホに変わったメール。
SNSや掲示板への投稿。
文章を綴ることは、頭の片隅を少しずつ整えてくれることに気づいた。
それは自分が自分に戻るための、必死の作業に違いなかった。
日常はいつもどこかで、選び取る判断に迫られる。
いるもの、いらないもの。
付き合う人、付き合わない人。
建前と本音。
嘘と真実。
テトリスのように、不必要なものが選ばれて、片づけられていく快感。
友人のひとりは「私はきっと0.05%位の元気しか上げられないけれど」と、
ハガキや手紙を時々送ってくれた。
「だけど、その0.05%をたくさん集めればきっと」と続けた。
(そんなものが何だと言うの)と、うそぶきながら、
納得のていで、彼女に付き合い続けた。
彼女にも他の友人にも、仕方なく、ハガキや手紙の返信を書き続けた。
ある時は「何も書くことないなぁ」と書き始める。
綺麗なイラストの描きこまれたカードが送られてきて、手元に飾る。
彼女の落書き交じりの文章に、思わず笑う。
便箋に似合った、青いボールペンの文字に心が動く。
だから、同じように相手を思い描いて、文字を頑張って書いてきた。
頑張ったのだ。
思考から文字を書きこむに至る時間は、少しずつ短くなっていった。
目の前のハガキや便箋や、ある時は宅配便の送り状の宛先欄に。
文字は私の思考とちゃんと連動するように、
つっかえることなく、迷いなく、私の右手で書かれるようになっていった。
ポップな丸文字、丁寧なつもりの楷書、それから筆文字。
この指で考えてることを書くことが、こんなに簡単だなんて。
もう頭の中が随分と整理されてきて、
世の中に綺麗な色が存在していたことに、ふと気づいてしまう。
ただちゃんと、書き続けてきたことで。
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