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道草日記*12月18日

大きな大きな椿の木は、そこかしこにあって、
その近くを通ると、雀たちのお喋りが遠慮なく聞こえてくる。
にぎやかな椿の木の懐の様子は、さっぱり見えないけれど。
夏の間もそうだったのだろうかと思いつつ、
そう言えば散歩歴はほんの2か月目なので、
雀業界の歴史は見当がつかないなあと、残念に思う。
思うけれども、冬の間の、鳥たちの安息宿を知っている人や、
気にしてる人がどれだけこの世にいるのだろうかと、ぼんやりと考える。
だけど、風が冷たくなるほどに椿の木から雀の喧騒が聞こえてくるので、
きっとこの辺りでは冬に移動する有名別荘地なのだろうと思う。
あまりに賑やかすぎて、雀達のお喋りの話題がなんだか気になる。

椿の大木が並んだ一角には、大きな花梨の実がたわわに実っていて、
取りきれない柿の実も、枯れ枝にバランスよくぶら下がったままだ。
黄色とオレンジのビタミンカラーが冬の陽ざしを受けて、
葉を落としたセピア色の風景に瑞々しさを加える。
椿の葉でさえ、濃い緑色がピンとして艶めいて、生き生きとしている。
ピンク色のサザンカは、きっちりとすました姿で咲き誇っている。

出かけると、右手を骨折している姿は隠しようもないので、
思いがけないところで、さまざまな人たちに話しかけられる。
ドアを開けてくれたり、支えてくれたり、買い物を詰めてくれたり、
ねぎらいやお見舞いのような言葉までも掛けられる。
普段なら私の方が気配りしそうなおじいちゃんや、おばあちゃんや、
優しくは見えなさそうなおじさんや。
顔をださなきゃいけないイベントでは、小さな小学生の女の子が、
「大変ですね。大丈夫ですか」とまで、心配を伝えてくれた。
みんな見知らぬ心温かい人たち。

お釈迦様に死んだ我が子を生き返らせて欲しいと嘆き願った母親は、
「その薬を作るには、死者が出たことのない家の芥子の実が必要だ」
と言われ、母親は必死に訪ね歩いたが、
そんな家はただの一軒もなかったことを知るという話がある。
自分だけが不幸に見舞われたのではないことを理解するという訳だ。

その話をいちいち思い出してしまう程、数々の骨折経験も聞かされた。
アドバイスと労いといたわりの思いが身に染みる。
人はこうして「言って欲しい言葉」「言ってはいけない言葉」とを、
選り分けながら学ぶのだな、と思う。
それにちょっとした対応で、その人を知る。
いい悪いではなく、ただ(やはりこういう人なのだな)という納得。
人は人に支えられて生きる、というけれど、
その支えるという最小単位は、
「あなたを見ていますよ」という会話なのだな、と強く思う。

困った時にお金を援助する、労働を援助する、
衣食住のなんらかを援助するというのが目に見えた支え方なのだけれど、
心を援助する、というやり方が日常にあふれていることに気づいた。
そこに触れることで世界は違って見えるのかも知れないと思う。


穏やかな冬の風は、港湾の海に、
まるで青海波の絹を広げたように規則的に波を揺らす。
黄色の浮き球に黒い水鳥が一羽止まっている。
ひときわ高い空では、トンビがのんびりと周回している。
つられてカモメが何羽か、一斉に羽ばたいて鳴きだす。
波間に魚の群れでも見つけたのだろうか。
シャープに風を切り、海面すれすれでホバリングする勢いのある姿。

それから新しい風がやってくる。
風は、氏神様をお守りする杉林を強く強く揉みしだく。
この揺らし方は、まるで茶碗の中でもこもこと対流するお味噌汁のよう。
海はといえば、この風で、個性的な絞り染めのように波がたち始める。
どこからか雀の一団もやってきて、やってきた風を合図に
陸の船の下に、乱れることなく、いっせいに、素早くもぐりこんだ。
その立ち会った一瞬に、どこか得をした気分になる。

風に遊ばれるこの地上の風景は、
トンビには空からどんなふうに見えているんだろう。
今日も、蜂蜜色の夕焼けの気配を感じる。



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野原 綾
花の苗を買って、世界を美しくすることに頑張ります♡どうぞお楽しみに♡

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