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みんな・いつも・普通・常識*追記

こんなタイトルにしたからいけないのね・・・と後悔。

書き込みたいことが多すぎて。

「思い出して考えがまとまらなかった」のは、
それだけでなくて、十代の方のお通夜に参列する予定があるから。

きっと本人はそんなことないと思う。

目の前の世界が「普通」だったはずなので。

だけどいくつも年を重ねた私にとっては、
地震や津波で怖い思いをして、
工事だらけの、荒れた景色の中で子供時代を過ごして、
校庭には仮設住宅が並んでいるので使えなくて、
それからコロナとかいう騒ぎがあって、
病気と闘って、諦めるものは諦めて、とたどると、
楽しいことはたくさんあったのかな、と悲しくなります。

可哀そうと、ひとことで語るのは、
誰に対しても、どんな人に対しても失礼なことは承知。

いくら、大変だ、辛いと、我が身を振り返っても、
苦労はまだまだ足りないと、反省してしまう。

自分の甘さに結構フリーズしてしまうわけです。

みなそれぞれ抱えているものも違うし、
考えることも意見も違うし、
普通とか常識というものは、実態がないし、
みんなの「いつも」はみんな違う。

だからこそ、相手の立場を考えてみることは必要だと思う。

もし、災害にあって、自分が体育館いっぱいの古着の山から、
家族用のあれこれを探し出すとしたら、どんなに大変か。

「古着探しは楽しいよ」と言えるのは、平時の話。

とりあえず、なんでもいいから、体に合うものを探すと思う。

だから、被災した人の服装は、どこかがちぐはぐで絶対に身の上が分かる。

サイズや色や似合わない柄だとかの、何かのちぐはぐ。

子供はすぐに大きくなってしまうし、幼児の服はサイズも細かいので、
「130 女の子」「110 男の子」などと書かれて、
袋にまとめられたものはとても良い考えだと思った。

それと同じで、古着の支援は、個人対個人のやり取り以外は、
「女性M」「男性XL」などのサイズを記入して、
1セットごとに袋詰めすると便利なのに、と、当時思った。

そして画像だとか、手書きの絵だとか、あるいは言葉で、
「白のTシャツ、黒のトレーナー、カーキ色のチノパン、
広島カープのキャップ」などと書き込んでくれれば、
支援する側に負担はあるが、支援される側の負担は大幅に減る。

探す方も一揃いで貰えれば、ひとり2、3セット貰えれば、
急場しのぎには充分だ。

仕分けの必要作業が、大幅に減る。

探す作業が、大幅に楽になる。

もちろんそれに下着や靴下も入ればいうことはない。

セットで古着支援するなら、日本人はセンスがいいと思うので、
ジャージにフリフリブラウスのセットは作らないと思う。

それに、大抵の人なら、下着位は新品をと、考えると思う。

一枚でも新品が入れば、気持ちが晴れやかになる。

この気持ちは、味わってみなければ、
経験して見なければ、本当に分からないと思う。

被災地の古着支援は、こういうことが常識になれば、と願っていた。

もちろん「古着だから支援できるのであって、
セットにするとか、新品を混ぜるとかなら無理だ」という場合は、
そういう支援には参加しない方がいいと思う。

古着は居住地のゴミに出せば済むのだから。

相手の立場を想像するというひと手間が加わることで、
相手にもそれが伝わり、それを災害時の共有の常識にすれば、
感謝の輪が無限に広がり、祈りやエールの気持ちさえ届けられるのに。

防災いっぽさんの記事を読んで、そんな気持ちを思い出しました。

明日は、晴れやかないいお天気になりますように。







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