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セカンド・プロポーズ with パール

「あら、こんにちは。今夜はお刺身?」

「こんにちは。カツオのたたきにしようかなと思って。
あとはナスでも炒めようかな」

「うちも毎日ナスよ。あとキュウリとトマトのエンドレス」

スーパーの鮮魚コーナーで、近所の奥さんとバッタリ出逢った。

今年の猛暑で、トマトの皮が固くなりすぎて困るなどと、
野菜の出来具合の話が止まらなそうにないので、早く帰りたい旨を告げる。

「今晩、お父さんが旅行から帰ってくるので、夕飯は早めにこしらえて、
ゆっくりしてもらいたいと思って。お先しますね」

「ああ、ご主人は会議所の研修旅行ね。聞いた聞いた。それじゃあね」


田舎の人間関係は濃密と言えば、濃密だ。

誰かの行動や噂話は、早いスピードで千里を駆け巡る。

考え方に寄るもので、そこを開き直って暮らすことで良い点はある。

なんとなく皆に知られていることが多いので、見栄を張ることもなく、
よっぽど困ることだけ、上手い嘘をつけばいい。

プライバシーがどうのと、嫁いで来た頃はストレスだったが、
隠すことが無理ということは、結構気楽な人間関係を作れるということだ。

「何も問題を抱えていない家などない」というのが、共通の不文律だ。

それが、良くも悪くも田舎独特の包容力のようなものじゃないかと思う。

人間はごった煮のように暮らしていて、都会のような階級社会はない。

それぞれに付き合いというものはあるにせよ、
基本どんな人にも、居場所というものが用意されているのを知った。

日和見する人間の割合が、田舎では少ない人数だから目立つ、
都会では多い人数だから目立つという点が違うが、
生活のストレスはどこで暮らしても、変わりないなと思う。

ここで何年も暮らしていると、
何かあっても噂話の種を提供してあげたと思えるし、
伝言ゲームのように話が変わってしまうのも、実は楽しんでいる。

分かってる人が分かってればいいんだもの。

世間や世間体というものは本当に実態がないものなのだな、と気楽になる。

実際のところ、建前の多い人ほど田舎では暮らしにくいのだと思う。



「ただいま。外は暑かった。今晩のおかずはなんだ?」

いつもの様子で夫が帰って来て、安心する。

「おかえりなさい。お風呂沸かしといたから先にどうぞ」

「おーっ、そうする!」

いちいち宣言するような大声を響き渡らせるので、笑いたくなる。

この人の、裏表のない、
言ってみれば素直で単純なところは、本当に可愛いと思う。

近所に住む孫も、甘やかし放題だ。

「孫より、我が子の方がずっと可愛いに決まってるじゃないか」と、
当たり前と言えば当たり前の言葉を、本人を目の前にサラリと語るので、
娘の心をつかみ続けているのは、羨ましくも思う。

離婚した友人が「この人がいると私は生きていけない」と話してくれたが、
私の場合は「この人がいないと私は生きていけない」と思う。

それだけで、人生に恵まれたと思わなければ。

スーツケースを勝手に開けて、二泊三日の荷物の整理をする。

包装紙に包まれたいくつかのお土産も混じっていた。

「お父さん、カバンの中片づけたからね」

洗濯物を手に持って声を掛けると、髪を洗っている途中なのか、
シャワーの水音にかき消されて「わかったから」と返事が返ってくる。

テーブルの上に用意した夕食のそばに、お土産もあれこれ並べておく。

いくつかの菓子折りは、まずお仏壇に。

涼しくなってきたので、エアコンを止めて扇風機を回したまま、
団扇を手に、テラスで涼みながら、お風呂から上がるのを待っていた。

夕闇の空いっぱい響きわたるような、やまないヒグラシの鳴き声。

奥の方から、「上がったぞー」とくぐもった声が聞こえる。

「はーい」と返事して、
慌ててカツオのたたきの皿を冷蔵庫から取り出す。

それからテーブルの小さなカヤを畳んで、お味噌汁を盛り、
ご飯をよそって、冷凍庫から少し前に入れた缶ビールを取り出す。


「餅は餅屋だなってつくづく思ったよ。で、若い奴らにも感心した」

事業承継をからめて、交流ある福井のいくつかの事業所に訪れる目的が、
今回の商工会議所主催の研修旅行だった。

地域を盛り上げようとする事業承継者たちの中には、
移住してきた、福井に全く縁もゆかりもない若者もいたらしい。

そしてそれを受け入れる若者、地域を主導していく若者とも出逢い、
世代間の摩擦を減らす固定観念を捨てる努力も、目の当たりにしたらしい。

「俺らの時代は、何本も敷かれたレールの中から選ぶ位だった。
いまの奴らは、ゼロからレールを作り出すことも必要になってる。
育てる土壌を、みんなで力をまとめて作らないとダメだなって思ったよ。
ひとりひとりの能力や個性を認めるってことが、
結局は地域を盛り上げるってことだなって、つくづく知らされたよ」

真面目になって、真剣にあれこれ語りだす。

「良い旅行になったのね」

「おう、珍しくな。なんだ?ビールがシャーベットだぞ」

プルトップを引き上げて、気にもせず笑ってくれる。

「あら、時間が長かったのね。暑かったから考えたんだけど」

「いいよ、いいよ。溶けるのを待つさ」

そう言いながら両手を両足に付けて、私に向かって深々と頭を下げた。

「今まで本当にありがとうな。こんな田舎までやって来てくれて。
子供達も素直に育ててくれて、やったことない畑仕事なんかもさせてさ。
今回の旅行で、慣れない場所の苦労とか慣れない仕事の苦労なんかを
じっくり聞いて、お前のことを思い出したよ。俺もがむしゃらだったから、あんまりその苦労に気づいてやれなかったかも知れないな」

「お父さん、ひと口でもう酔ったの?」

なんてこの人は優しいんだろうと、嬉しさを誤魔化す。

「これはお前の土産。若狭パールだ。開けて見ろ」

包装紙を丁寧に解いて、
蓋を開けるとイヤリングとネックレスのセットだった。

「綺麗。高かったんじゃない?」

「今度から葬式行く時はそれにしろよ」

「え、なんで?」

いつもお葬式や法事には、
イミテーションの黒真珠のネックレスを付けて出かける。

それを付けたのを見るのは嫌なんだという話を、
とうとうと語りはじめるので少し意外だった。

「なんで年を取ったら黒いのをつけるのかと思ってたんだ。
昔、皇后さんが付け始めたら、皆が真似して流行ったらしい。
でもあれは、お前には全然似合わないよ。
葬式なんて気持ちが暗くなる場所に行って、黒い涙ってのは・・・」

「黒い涙ってなに?」

「葬式の時に真珠だけ許されてるのは、涙の象徴なんだってさ。
女でも知らないんだな。俺は今回の旅行で勉強になったぞ。
お義父さんから貰った白の真珠のは、結婚式の時に娘にあげただろ?」

「あれはピンクの照りが強い、若向きのネックレスだったから」

「やっぱり!それで時計屋行ったら、そこの娘さんが
金色がかった真珠を薦めてくれたんだ。
黒じゃなくてもいいんだとかいろいろ教えてもらった。
うちのはピアスだと言ったら、どなたかに先々お譲りすることもあるって、イヤリングとネックレスのセットを見せてくれてさ。
最初はネックレスだけでいいと思ってたのに、後でイヤリングを
買いたくなってもネックレスと色味が違うものになりますよって、
教えてくれたんだ。なるほどな、といちいち思ったよ」

夫は首にかけたままのタオルで、額の汗をぬぐう。

あわてて扇風機の調整を少し強くする。

「それで店を出る時の言葉にも、グッと来たよ。
若狭パールは地元に必要なものですからって。
うちの娘もパーマ屋なんかになってしまって、
俺は少しもったいないと思ったんだ。成績も良かったしな。
でも好きなんだからしょうがない。店を構えた時に、
お父さんどんな田舎でもパーマ屋は必要なんだって言ったのを思い出した。それで、ああ、お前にちゃんと育ててもらったんだなって感謝した。
その感謝のお土産だ。いつもそんなエプロンにジーパンばっかりだから、
たまにはこれをつけてくれ、葬式じゃなくても」

「…ありがとう。そうね、控えめな粒だし、たまにはオシャレするかな」

「おっ、ビールちょうどよくなったな。カツオも旨い。お前も早く食べろ」

「待って。お義父さんとお義母さんにも素敵なものをいただいたって
ご報告しなきゃ。青天の霹靂、棚からぼたもちよ」

「なんだっていいさ。しろしろ。俺は腹減ったから食べてるぞ」

仏壇の菓子折りの上に、真珠のセットの蓋を開いて乗せた。

それから、ろうそくに火をつけてお線香を取り出す。

白檀の香りに包まれて、綺麗な音色で響くリンを小さく二回鳴らす。

静かな気持ちになれて、こぼれ落ちそうな涙が乾いてきた。

あの人で良かったと、感謝の気持ちが湧いてくる。

リビングからは野球中継のテレビの音が聞こえてきた。

今一度、真珠のネックレスを手にとって、贅沢な気分に浸る。

少しざらついた、ひんやりした小さな粒は、
ひとつひとつが涙のようにキラキラと輝いて、本当に美しくて幸せだ。







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