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続・昭和生まれのちょい悪男?

いろいろ思い出したが、舞台は病院だ。

続、の意味はそこにある。

前回の記事だけを読みなおすと、なんだかいい話にしか思えない。

私は終活ノートにnoteのURLも記載して、
娘達へ残したい気持ちもあるので、なんだか誤解されそうな気がする。

しかし前提として、亡父は学はないが、
頭は悪くなかったとフォント72位で、大きく書き込みたい気分だ。

そうでないと、
私と娘たちのアイデンティティというものが脅かされる危険がある。

亡父の思い出はさまざまある。

例えば山好きにピントをあてると、一番に富士山登山を思い出す。

「八合目で二時間待ってるのに、お義父さんが降りてこない」
と、電話が来て、楽しいお茶を囲んでのお喋りを凍り付かせる。

「富士山でも携帯電話がつながるんだねぇ」と、
お客様が気を使って話題を逸らしてくれる。

山梨側から登ったのに、
外国人と仲良くなって一緒にお喋りしながら静岡側に下山。
(注:もちろん、どんな外国語も喋れません)

五合目の周回バスで戻るも、反省の色はない。

楽しかったから。

子供好きにピントを当てると娘のやきもちを思い出す。

「おじいちゃんはよその孫ばかり可愛がる」

高校生になって、祖父の存在など鼻にもかけないのに目に余るらしい。

それを聞いて、孫にお小遣いはふんだんにあげるが、
生来の子供好きは、やきもち焼きの孫の前でも演技できない。

ただの口止め料?

そしてエンドレス。


病院の話にピントを当てると、ひとつに絞ることは難しい。

難しいが、、、子供心に衝撃的だったことを思い出すと、
母が怒りだしたことを一番にあげなければいけないかもしれない。

父のファッションセンスの問題がからんでくるが。

娘のひとりは就学するというのに、「け」が発音できず、
「おかたづちぇ」「ちぇーと」とあらゆる単語を駆使して、
「けっけっ!」などと特訓を重ねた思い出がある。

しかし、私はそれよりも幼い頃に「びょーいん」と言えず、
「ぼーいん」と発音していた。

平仮名が読めるようになって「ぼーいん」が「びょういん」で、
「すずか」が「しずか」と発音するのが正しいと知り、
子供なりに大きなカルチャーショックを受けた。

その頃の話だ。

母親が怒っている状態と言うのは、子供にとっては大きな不安になる。

「お宅のお父さんは病院で噂の的だ」という話を聞かされたからだ。

その頃の入院といえば、パジャマは持参らしかった。

車はあったが、母は運転免許がなかったので、
移動手段はバスに頼るしかなく、簡単には入院先の病院には行けなかった。

行けなかったので、たぶん電話か人づてか、何かの手を打ったのだと思う。

我が家に家訓のようなものがあるとしたら、
間違いなく、「何事もこだわらない」という一言だと思う。

祖父は新しもの好きだし、忙しい人だったので
「天気が良ければ、その日はいい日だ」という口癖のせいか、
あまり関係ない気はするけれど、13日の金曜日の仏滅に亡くなった。

祖父母参観日は、教室の後ろの戸を開けて、
「みなさん、おはようございます」と帽子を脱ぎ、
朗々と挨拶するので、授業までが一旦途切れて、注目の的だ。

あれはあれで恥ずかしかったが、大人になっても恥ずかしいとは思わない。

祖父は頭の先からつま先までオシャレだったのに、
父はまったくその点は、似ていない。

服装は自分で選ぶと、「どうしてこんな組み合わせが思いつくのか」と、
目が点になるほど程ポップだ(綺麗に言えば)。

いつぞや、私の仕事場に訪れたことがある。

ふつうならジャケットなら、ネクタイだと思うが、
ジャケットの下はVネックの真っ青の薄手のセーターで、
登場の仕方もカジュアルだった。

「いや~取引先のシトかと思って、
まだわかんねえから焦っちまったよ(笑)」

異動したばかりの江戸っ子の上司の言葉を思い出す・・・。

若かりし頃というのは、
世間的な平均像というものが、何につけ、頭にあるので、
顔から火が出るほど恥ずかしかった。


あの時、母も20代だったはずだ。

叔母が入院中の父のお見舞いに出向いた時に、
父用の新しいパジャマと、「お義姉さんにも」といって、
可愛らしいピンクの花柄パジャマを置いて行ってくれたらしい。

あろうことか父は真っ先に
「ピンクの花柄パジャマ」を着て、病院内で闊歩していたらしい。

「せっかく置いて行ってくれたから綺麗な方を」というのが理由だ。

意味が分からないが、母の怒りは想像できる。

「お父さん、若い頃は不良っぽくてカッコよかったんじゃないの?」

友人がそんな風に大袈裟に褒めてくれたことがあるが、
もちろんそんなことはない。

そんなことはないが、そういうタイプの人がつまり、
「ピンクの花柄パジャマ」なのだから、
母の恥ずかしさは、誰もが想像できて、気の毒に思えることだろう。

あの時の母の怒りがなんだったのかは、
もう少し大きくなってから知ることになった。

私自身も「幼い頃の話で良かった」と思う程恥ずかしい。

父は「そんなことくらいで」と言いたかったとは思うが(怒)





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野原 綾
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