狂気と恍惚とダリまでの距離
「シュール」という意味は実はよく分からない。
友人から貰う漫画を読むと、(彼女はシュールなのが好きよね)と思う。
現実的でかつ尖っている感じ、という意味で私は捉えているのだ。
芸術の素養はまったくないけれど、
何かで目にしたこの絵はとても心に残っていた。
ミックさんの記事で、それが
「死に誘惑する「水」に落ちていく狂気の女性、オフィーリア」と知り、
狂気のひとことに驚いた。
ハムレットのオフィーリアの最後だったんですか。
私は恍惚の表情だと思って、
(気持ちよさそうな絵)だと心に残っていたから。
新しい雪原に寝転びたくなるように、
人目の付かない隠れた場所で、川の流れに身を任せてみた女性かと思った。
背景は緻密な描写でとても綺麗だし、花の色は象徴的だし、
浅い小さな川か沼のような、光と影が穏やかだし、
何より私が小さい頃から、こんな風に海に浮かんで楽しんでたから。
堤防の外の小さな石浜は、
いきなり深くなるので潜って遊ぶことが多かった。
西向きの、その場所は太陽を遮ってくれる大きな木々が陰になってくれて、
体中の力を抜くと、ぽっかりと波間にゆらゆらと浮かぶ。
耳は海の中の音を聞き、閉じた目は陽炎のような木漏れ日を感じる。
(このまま、お昼寝をしてしまいそうになると流される)という現実が、
時々襲ってくるので、潜って感じる冷たい海水温に、
ようやく正気にさせられて岸に戻る。
海水に横たわってみる世界は、刺激的だった。
自分が自然とひとつになる感覚。
(そうか、恍惚ではなく狂気か・・・)と我が身を振り返ってしまう。
ダリの絵はユニークで、日本に原爆投下されたのちの、
科学に影響を受けたらしいその作風は唯一無二のものだ。
シュルレアリスムとは、人間の無意識の領域を、
芸術を通じて表現することだという。
私には訳が分からなくなるけれど、初めてダリの絵を見た時に、
馬や人がたくさん描かれた大作の方が、ドキドキした。
チーズみたいな時計とか、足長すぎる動物の変な絵、とかは、
チクリと一瞬胸を刺すけれど、ドキドキなんてしなかった。
もしかしたら、無意識の中で、人間誰もが、
共通して持っている「非現実」という夢の世界だからなのかも、と思った。
味わうというより、「無意識を覗かれた」みたいなバツの悪さがチクリ。
緻密な絵は緻密さを味わえる。
同じチーズ時計でも、彫刻なら、触ってみたい欲望や、
左右前後に眺めてみたい欲望にかられる。
前衛的に見えても、超現実的にひとりひとりの心のうちにあるものは、
描くのが、やがてつまらなくならないのだろうか。
描くことが、自分を批判することにつながらないのだろうか。
「世間が決して飽きない唯一のものは誇張表現だ」と語ったダリ。
でも世間と自分は違うよね。
狂気でも恍惚でも、どちらでも美しく描きたかったに違いない。
赤のケシの花に目が行ってしまう。
花言葉は「死」か。
そうであっても、ただ美しい。
ダリには描きたくても、描けない絵だったのかも知れない。