天津祝詞の清々しい歌声*お気に入りの歌
ボーカロイド、初音ミクが歌っているのと比較すると、
本当に清々しい気持ちになる声。
天津祝詞は大祓祝詞の短縮バージョンだ。
シャーマンのような歌声。
毎年6月と12月に全国の神社で「大祓」という神事が行われる。
穢や災い犯した罪や過ちを祓い清める儀式。
一年の折り返しの6月に行われるものを「夏越しの祓」、
年越しの12月に行われるものを「年越しの大祓」と呼ばれている。
神道とよばれるものに教義はないので、いつの頃からか
神道はよく生きるためのもの、仏教はよく死ぬためのもの、
というような区分けを自分の中で作っていた。
なんとなくの感覚なので、説明しろと言われても無理だけれども。
自然に近く暮らす人々は生活の中の「神さまごと」を大事にする。
伝統行事とは何かしらの意味があるものだし、
続いていくものは続けるだけの意味が持たされている。
その昔は神様と呼ばれる何かと心近く暮らしていたのかも知れない。
神棚は家々のあちこちにあり、その場所も吟味される。
毎朝のお供えや柏手を打ってのお祈りは、
ただ言葉にならない感謝で頭をたれているだけではないかと思う。
何年か前に、四面楚歌の状態から抜け出せなくなった時に、
生まれて初めて頼るのは神仏だけになってしまった。
人に頼れず自分に頼れず毎晩夜空を見上げベランダの壁と向かい合う日々。
こういう時期は誰にでも訪れるものなのかも知れないと思いながら
(また朝が来てしまった)と目覚める。
頑張っても頑張っても相手のあることはどうしようもなく、がんじがらめに、人身御供のような状態に置かれた気分だった。
逃げ道がない。
行き当たったのはなんとか平常な気持ちを保つこと。
毎日、延命十区観音経を唱える。
不動明王の真言を唱える。
虚空蔵菩薩の真言を唱える。
薬師如来の真言を唱える。
毎日ルーティンにして張り付くような笑顔で過ごした。
その環境から抜け出す日がようやくやってきたが、
逃げるしかない打開策がない辛さというのは三度目の体験だった。
「教えてくれた不動明王の真言、すごく効きます~」
何年か後に知り合いに言われたので、私には実感が何もないが、
見えないところで見えない誰かか何かが助けてくれたのかなと
面倒なので思うことにしている。
分からないことを分かろうと思うのは無理だし、
見えない人に見えるものを説明するのも到底無理だし、
やっかいなことは多いなあと思う、ただのひとり言。
コメントをいただいた方にコメントを返そうとして、
夜に落ち着いてからPCを開いたら、コメントが削除されていた様子で、
その方のページを訪ねたら、コメントも送信できず、スキもできない。
初めてブロック機能があることを知った。
なんでだろう。
すぐに返信できなかったから?
世の中が閉塞的になり始めた時に、そういう世の中の状況を
身体中で吸い込んだのか引きこもり始めた友人がいた。
他の共通の方との会話の中で、
彼女の直情的な性格を心配していることを聞いた。
真っ直ぐで心優しいけれど、自分を守るために、
自分の感情が一番大事なことのようだった。
連絡をしても返信が返ってくることはなかったのを思い出す。
拒絶の意味は私が作り出したものだろうと思いながら、
ただそれを受け入れて、あとは何もできないことを自分に強く戒めた。
今、自分のいる場所や、もしくは自分の心こそが高天原。
家で唱える時は、自分の心こそが高天原という事。
この場に神様に降りて頂けますように。
私の心に神様に降りて頂けますように。
弥栄。
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