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過ぎていく平和の夏

八月のお盆を過ぎると、朝の風はやはり秋を孕んでいる。

30℃越えの日々が続き、(嘘でしょー、今日も)という毎日。

南の地や、盆地に暮らす人の寝苦しさを想像してしまう。

停電した地域の、絶望的な不安感を想像してしまう。

この夏はパリオリンピックの開催もあり、テレビニュースを彩ったけれど、
特に関心も関係もない私には、絵空事の出来事のひとつだ。

親戚の子が、(もしかして甲子園切符手に入るかも?)と、
ローカルニュースに一喜一憂した日々も、最後の最後に近いところで逃す。

「頑張ったね。後は受験に切り替えないと」と声を掛けると、
「やっぱ甲子園は簡単じゃなかった」と吹っ切れた声。

「野球ロスになってるんじゃないの?」との問いに、
「全然。解放されてスッキリしてる」と思いがけない返事。

「そうか、主将は大変だったか」

「まあね」

八月はいつも、現実と想像の間で過ごしているように思う。

六日には、三月十一日と同じように、
長い長いサイレンが響き渡って目を閉じる。

「黙祷ありがとうございました」

防災無線から聞こえるいつもの男性の声は、心なしかキリリとしている。


お墓参りのための草取りやお墓掃除、地区の共同作業の草刈り、
地域の団体が日にちを変えて作業するので、
「綺麗」をキープし続ける一ヶ月になる。

山あいの市道は、建設会社の夏のお決まりのバイトのような草刈り。

そのチームワークによっても、つくづく仕事の綺麗さが違うと感じた今年。

単線道路の両側のガードレールの向こうまで、完璧を目指したように綺麗。

心なしか、平均年齢が随分若いチーム。

娘の同級生の姿も混じっていた。

暑い夏の体力仕事だものね。

震災後に、来る日も来る日も、
瓦礫の詰まった側溝掃除をしていた人々の姿を思い出した。

世界中からやって来た肌の白い人、黒い人、髪の明るい人、長い人、
綺麗な女性、カッコいい男性、みんな笑顔で、汚くて危険な掃除をする。

毎日の通勤時に、暑い中のその笑顔に元気をもらって、
フリーズしていた心のどこかが、少しずつ立ち上がっていったように思う。

どこかのおばあちゃんが、彼らに冷たい飲み物を差し入れる。

彼らが寄ると思われる町中のお店の入り口に、
言わずにはいられない気持ちを誰かが代表して、
大きな感謝の思いを綴った、小さな一枚が貼られていた。

小さな思いが、小さな行動になって、共通の大きな思いを生む。

戦争を知らない私たちは、八月にはあらゆる物語と出会い、
あらゆる思いを想像する夏になる。

その想像は国中を覆う平和への希求となって、
共通の、ひととしての受け継ぐべき意思となっていく。

「どうして空に花火をあげるの?」

「綺麗だから、亡くなった人たちも空の上から楽しみにしてるのよ」

あちこちの花火大会のもとで、子供たちが考える疑問が、
いつか大きな大きな世界の力になりますように。


Yasuさんと同じことを、今でも真剣に想像しているので、
少しばかり、驚いた朝でした。

くらがりの 天地てんちにひびく 花火哉はなびかな

正岡子規


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野原 綾
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