A_006 会社員というステータスの重要性
”仕事と趣味は別がいい”
よく聞く言葉。今回はこの言葉とともに、会社員でいることの重要性を書きたいと思います。
1.入口は広いが出口が狭い残酷な世界
いきなり地獄の始まりみたいな見出しですみません。憧れや好きを仕事にすることはとても素敵なことです。私自身、そう思いますし、そうありたいと何回も思いましたし、今でも思います。人生に余命という消費期限があるからこそ好きなことを続けて生きていたい。
でも、生きることと好きなことを続けられるかは必ずしも生活においてイコールではないと思いませんか?これに気づくまでに、私は何度か高い授業料を払いました。
たまたま私もそうなりたいと思ったから言えるのですが、「役者」や「声優」という職業があります。これらは、すぐに目にもつくし、耳にも入る、入り口が広い世界です。入ろうと思えば、養成所なり劇団なり入ってその扉を開くことは簡単です。大きくて軽い、そして非常に眩しい扉です。扉の向こうに何があるか?答えはとても小さな出口。その出口は、必ずしも万人が入ることができるものではないのです。その出口の残酷さに気づくタイミングというのは人によって差があると思います。写真の世界も、基本は同じだと考えています。ただし、被写体になる人(オファーを受けてくれる人)は、芸能の世界よりも多く、需要を見れば確かに確度の高いことのように感じます。
一方で、憧れのフォトグラファーの撮っている作品のように撮れて、評価されて…とはならないと思います。今は、編集技術も機材もかなり進化しており、誰でも「似たような」作品ができます。需要と供給で見ると供給過多。たった半年SNS上で写真を見ているだけでも、似たものは自分も含めてごろごろしています。一歩抜けるには、正直、その出口は遠いのかなと感じます。出口の遠さに気づいて、挫ける、そして、仕事にするともう逃げ道はありません。それで飯を食うわけですから、好きも嫌いもなく「作業」として写真と向き合うことになると思います。地獄の中でも楽しみや創作意欲が湧けば、天職でしょう。
でも、世の中はそんなに優しくないのです。
2.好きなことが嫌いになるのを見てきたからわかること
私の仕事は、自動車販売をするセールススタッフ育成です。これは以前自己紹介で少し触れました。
毎年4月になると新入社員が入ってくるわけですが、毎年1人は少なくとも「車好き」が入ってきます。好きなことを仕事にする、先ほども書きましたが素敵なことです。ですが、プロとして、仕事として選択する以上は、嫌いも含めてその全てを見つめなければなりません。今まで価値のあるものが、一変する。コップに溜めた水も、溢れるまで継ぎ足せばこぼれます。こぼれた瞬間、好きが嫌いになる人がいます。そして、職業として選択をやめます。
何が言いたいかというと、適度な距離が必要だということ。だから問います。好きなことと、やらなけらばならないことの距離は適切ですか?
3.会社員というステータス
フリーランスのフォトグラファーでなければ、雇われている(であろう)ので、会社員。私は、一般企業の会社員です。これは、社会的に見て自立している存在であり、生活の後ろ盾でもあります。
生きる上で、「お金」は切っても切れない存在。
ならば、楽しむために稼ぐという価値観も生まれてきます。そして、会社員として一定のキャリアを積めば、それに応じた評価も得られます。男性的な価値観かもしれませんが、仕事が最も承認欲求を満たしてくれて、自己肯定感も強く持てるステータスです。ただし、高みを見て、頂上付近に来ると気づくのです。
「もう、これ以上はない?」
いわゆる乾き。仕事を手馴れでこなせるレベルになると、満足が行かなくなる。挑戦しようという気持ちが萎える。色々なマイナスの作用が現れたりします。だから、ここに仕事以外の強い気持ちもを持てるものが必要だと私は考えます。会社員としている自分とフォトグラファー(カメラマンではなく、創作に挑むの意味で使っています)になりたい自分。底辺からスタートすることで、仕事にも張りがでます。
会社員でフォトグラファーというと、何かカッコいいじゃないですか(笑)社会的な地位を確保し、趣味に仕事に時間を両立できることが、自らを高めてくれ、非常に満足度が高いのです。写真で認知されるには、まだまだ長い年月が必要と感じます。その道のりが、会社員として今の自分を形成してきた道のりの追体験のようで一つの投稿とっても、楽しみなのです。何よりそう感じられることがこのステータスの重要性の一つです。
4.有名な作家も、会社員だった
文学の世界では、しばしば会社員で小説を書いている人が芥川賞を取りました!とか聞きますよね。好きなことを続けていく上で必要な日常がある。これは欠かせない事実です。
そして、仕事によって得られる達成感と金銭が、好きなことを続けることを支えてくれます。お金で買えるものに価値はないとか言いますが、お金がないと始まらないことが残酷なほど多いです。お金で時間を買う人は、お金をかけてでも得たい「何か」を持っている。それも素敵なことです。
憧れを形にするために、私は会社員でい続けたい。定年というゴールテープはありますが、働く中で日常を感じながら、写真を撮ることでその瞬間を感情のまま、美しく切り取れるなら、
それは、一つの「こたえ」
なのだと思います。もちろん、写真家に憧れて目指す人のことを否定するわけではありません。ですが、稼がないと憧れに近づけないという現実があることも知って欲しいのです。細く長く続けることでそれなりの出口があることも知っています。若い人は、可能性の翼を広げて、自分の好きな高さから、出口・こたえを見つけることも良いと思います。若くなくても、可能性の翼は折れているわけではなく、広げていないだけなので、歳をとっても諦めないこと。歳の分だけ、最短距離で飛ぶ方法を見つけることが容易になっていることにも気付けると思います。
最後に、職業としてフォトグラファーを将来的な選択肢にしない理由
多分それは、自分が撮る写真に自信がないからだと思います。自己評価が高い人には、なりたくないですし、褒めてくれてもその30%位の自己評価がちょうど良い。そう思っています。
事務系スキルがメキメキ伸びている昨今では、プレゼンテーション資料を作るスキルがイメージボード作成に役立っています。今も昔も、仕事も趣味も連続性があるものなので、そういった意味で多角的にかつ批判的に物事を見る力を養えるので、社会人やっておくのも悪くないかもですね。
私は、定年まで会社員でいたいと思っています(笑)