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心と身体について

今年の3月に、急に左腕が痛み、夜も眠れない日々が続いた時期があった。

腕を引き絞られるような痛み、と言えばいいだろうか、左肩から左腕、そして左手の指まで痛みが走り、あまりの痛みに毎日3時間ほどしか眠れなかった。睡眠不足が続き、体重が5キロほど落ちた。

整形外科に行ってレントゲンを撮ってもらうと、頚椎椎間板ヘルニア(首のヘルニア)だと診断された。首がストレートネックになっていて、そのせいで椎間板が飛び出して神経根を圧迫し、痛みが出たのだそうだ。

ノートPCをずっと使って仕事をしていたのが姿勢に良くなかったし、発症の一週間ほど前に寝違えたことがあったので、それが直接の原因かもしれない。左腕に症状が出るのに、原因は首にあったとは意外だった。

頚椎椎間板ヘルニアになって初めて知ったのだが、よっぽど重度の症状でないかぎりヘルニアは手術をしないそうだ。痛み止めを飲み、首元を温め、血行をよくする。治療はこれだけだ。あとは自然治癒というか、ヘルニアとの接触で腫れていた神経がそのうち元のサイズに戻っていくことで、ヘルニアと触れないようになり、痛みが治まるというのが治癒のメカニズムだ。

整形外科の先生に治癒まで2ヶ月と言われ、この痛みがそんなに続くのかと暗澹たる気持ちになったのだが、5月の末になると毎日の痛み止めを飲まなくても夜眠れるようになったので、やはり日にち薬の要素が大きいということなのだろう。

ヘルニアだと診断される前、ぼくはこの痛みには何か意味があるのではないかと考えていた。

もちろん痛みは生理的な疾患によるものだ。だが、病というものは単なる身体的な不具合ではなく、もっと本人の存在に深く結びついたもの、もっというと自分自身からの一つのサインではないか。

ぼくがそう考えるようになったのは、アーノルド・ミンデルのプロセス指向心理学に触れたことがあるからかもしれない。

ミンデルはユング派の心理学者で、プロセス指向心理学とはざっくりいうと、病をただ治すべき対象と捉えるのではなく、「病や夢はそれ自体が何かの目的を持つもの」として捉えていくという考え方だ。プロセス指向心理学はユングだけでなく、ネオ・シャーマニズムからも影響を受けており、ぼくはまさにネオ・シャーマニズムを学んでいく過程でミンデルと出会ったのだが、その話はまた別の機会に。

自分の身に起こった病には意味がある、という考えは、一つ間違うと大変悲惨な自己暗示の世界に人を引きずり込んでしまう。狂気と紙一重といってもいいかもしれない。

だがその狂気性を十分認識しつつも、ぼくはこの左腕の痛みの意味を考えずにはいられなかった。

当時、ぼくの周囲は苦しんでいる人が多かった。仕事の負担が急に増え、だがそれを投げ出せない状況の人たちがぼくの身の回りにいた。

ぼくはそうした人たちの苦しみに無関心ではいられなかった。できる範囲で手助けをした。だが、ぼくも限られた時間のうちにやるべきこと、書かなければならないことがあり、周囲の人々へ深い共感を寄せるよりも、自分の仕事を優先させることを選んだ。

ぼくは周囲の苦しみを自らのものとして受け入れることを拒み、時間がないことを理由に、自分のやるべきことという大義名分のなかに逃げ込んでいた。

痛み止めが切れると襲ってくる左腕の神経痛は、他者の痛みから逃げ出すなと、夜毎ぼくに突きつけてくるように感じられた。それはぼくの罪悪感が生み出す思い込みなのかもしれなかったが、同時にぼくはこの痛みを受け入れなければならないのだとも感じていた。

周囲の人々の苦しい状況は続いた。やがて春になり、一番厳しかった時期をなんとかくぐり抜け、周囲の状況は次第に改善されてゆき、ぼくの症状も少しずつ快復していった。

ぼくが自分の左腕の痛みにどんな意味を見出そうと、現実は何も変わることはない。現実は現実だ。周囲の人々の状況が改善したのも、ヘルニアによる神経痛が治っていったのも、ぼくの思考とはまったく関係ない。

だが痛みの意味を受容することで、ぼく自身は少し変わった。少なくとも、ヘルニアになる前と後では、ぼくの人格に多少の変化が生まれているはずだ。それが成長かどうかはわからないが、変化であることには間違いない。

どのような体験にも意味がある、というのは本人だけが言っていい言葉だ。他人が誰かの人生体験に意味づけすることはできない。それは不遜であるばかりか危険な洗脳に結びつくおそれがある。

だが、人が人生を生きていくためには意味が必要だ。そして、体験からどのような意味を汲み取るかは、本人が世界をどのように生きるかというスタンスに大きく影響を与えるし、どのように自分は世界をかたちづくるか、というあり方につながっていく。

頚椎椎間板ヘルニアの痛みは去ったが、長期間の神経痛はぼくの身体に爪痕を残した。度重なる神経痛に耐えたせいで、ぼくの左肩と腕の筋肉はすっかり縮こまってしまい、硬く収縮してしまっていた。

ぼくはかかりつけの整骨院に通い、佐々木先生という若い院長と一緒に、自分の身体のバランスを再び取り戻すことに取り組み始めた。

ぼくの筋肉は左右で不均衡に固まっていて、左半身の硬さが右半身にも影響を及ぼしていた。ヘルニアと神経痛の関係と同じく、ここでも原因と結果は別の場所にあった。

佐々木先生の施術を受けていると、身体というものは自分自身で治すものなのだと気づかされることが多い。補助を受けながらストレッチなどの身体の各部位を動かす動作が施術の中心となるのだが、当然のことながら身体を動かす主体者は自分だ。そして自分の身体の挙動を意識して動かすことで、施術の効果はより高まる。

自分一人ではなかなか意識して動かせない部位を、先生の補助を受けながら動かしているうちに、いつのまにか自分の身体との対話が始まっているのに気がつく。普段意識していなかった筋肉の動きを内側で感じ、筋肉が動くことで心も柔軟さを取り戻していく。身体と心はつながっているのだと、自分の身体の動きを通じて気づいていく。

病の治療とは、症状とその原因を取り除くだけがすべてではないと思う。発症した原因に目を向け、なぜそのような原因が生まれたかという生活上の背景にまでさかのぼる。それはとりもなおさず、自分自身の過去と対話することだ。

そして治療のプロセスを経て、自分の心と身体に何が起きたのか、しっかりと見つめることもまた治療の一部ではないかと思う。

ヘルニアの痛みは消えたが、そのような意味では、ぼくの治療はまだ続いている気がする。春先の頃から、暑い夏がくれば大丈夫だという直感があった。もう少しだ。

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丸山 篤郎
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