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不幸は自動的、幸せは意思。

各スポーツの中でも特にメンタルが重要だと言われるテニス。それを長いことやってきたからか、人より少しばかり感情のコントロールが得意になりました。

特に意識はしていませんでしたが、これによって

・些細なことでも「イライラや怒り」を感じ、表情・態度に出てしまう
・ちょっとしたミスや失敗、人の意見に落ち込みやすく辛い
・不安や怖れで思うようなパフォーマンスを発揮できない

みたいなことにはならなくなったのはすごく良かったなと思っています。そして、そのベースとなる考え方は以前にも書いているんですが、

今回は少し派生して、”機嫌”について書いていこうと思います。

というのも、電車とかバス、職場とかでやけに機嫌が悪い人がいたりします。もちろん納得いかないことで怒られたり、忙しい日が続いたり、友人や家族との関係がうまくいかない、体調が優れない...などなど、事情はあるんだろうなと思うんですが、機嫌が悪いだけで負のスパイラルに自分から入っていくようなものです。

当たり前ですが、機嫌が悪いと周りは気を遣います。これでは絶対に人から好かれません。人に機嫌を取らせていてはダメで、自分の機嫌くらい自分で取らなければなりません。

赤ん坊のときは「わぁーん!」と泣けば食べさせてもらえて、眠いときには寝かせてもらえて、オムツも替えてもらえました。ただ大人になってから不機嫌なのは、赤ん坊が「わぁーん!」と泣いて、周りにオムツを替えてもらっているようなものです。

まず不機嫌な人には、なぜか不機嫌な出来事が頻繁に起きます。「普通にしているのに、何も良いことが起きません」という人がいますが、普通にしていたら、普通なことしか起きないのは当たり前です。

なぜなら幸せは降ってくるものではなく、自ら気づいて感じるものだからです。言い換えれば、不幸は自動的、幸せは意思。そして意思があるのは人間だけです。

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前澤さんが宇宙にいってニュースになっていますが、いくら人間に近い動物であるゴリラやチンパンジーでも、宇宙船に飛ばされると、重力がなくなり、体がプカプカ浮き始める状態にネガティブになり、さらにはパニックに陥り、地球に戻る頃には死んでいるそうです。

でも人間は意思の力で、重力がないその状態を「新たな発見だ」と捉えることができる。ですから、自分の機嫌くらい、絶対に自分でコントロールできるはずです。

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ちょっと別の視点で考えると、不機嫌な人は、不機嫌が許される状況だから、不機嫌でいられるのかなとも思ったりします。周りが、自分の機嫌の悪さを察してくれるだろうという甘えがあるのかもしれません。

世の中の人間関係は、単純に「好き嫌い」の感情で動いています。理屈抜きに、明るくて機嫌のいい人が好きだし、不機嫌な人は好きになれない。他人は、全てを受け入れてくれる人ばかりではありません。多くは、不機嫌な人を「できるだけ避けたい」と思っています。それが人間の感情というもの。

それに不機嫌な人は、どんなに仕事ができたとしても、幼稚に見えてしまいます。嫌なことをすぐに顔に出したり、少しのことで騒いだり、人のミスを非難したり...。「愛されたい」との思いで不機嫌な態度をとっていても、不機嫌な人は愛されず、信頼もされません。

私の尊敬する経営者は、いつも上機嫌です。もちろん疲れが顔にあらわれていることもありますが、機嫌が悪いところをみたことがありません。だからこそ、周囲のメンバーも安心して気持ちよく前向きに働いています。

類は友を呼ぶと言いますが、不幸は伝染するので、不幸でいると不幸がな人が集まります。逆に上機嫌の種を蒔いていると上機嫌な出来事が起きます。そんなものです。

くどいようですが、不幸は自動的、幸せは意思です。
そして、この世の中の最高のボランティアは機嫌よくいることだと私は思っています。

皆さん、最高のクリスマスをお過ごしください。


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