「痛み」はすべてかすり傷!ただし、我が子の場合を除く。
【親子で経験した初めての「痛み」】
ゴツン!「わぁーーーーーん!!」
!!!!!
(えっ!!!嘘!!!)
やってしまった。
娘が斜めに倒れて、おでこを床にぶつけた。
ほんの少し、本当にほんの少し目を離した隙に。
(うわ、どうしよ。えっ頭のほう大丈夫かな…?!アザって残る?!…)
もうとにかくひたすら焦る。
冷や汗が止まらない。
「あ゛ぁーーーーーー!!」
泣き続ける娘。
(私も泣きそう。ほんま泣きたい。ごめんごめんごめん。ごめんな。私が目を離したばっかりに。うわ〜…青く腫れてきた…痛いよな。こりゃ痛いわ。あーーーごめんなぁ。)
すぐそばにいたのに、怪我をさせてしまった。
ちゃんと守ってあげられなかった。
気づくのが遅れて、とっさに受け止める手が出なかった。
いくらそんなことを言っても、時間はもう戻らない。
頭では、「仕方ない。終わったことより次のこと!」と考えられるけど、心がまだそう思えない。
(なんとかして時間を戻したい…)
なんて、絶対無理なことを願ってしまう。
ぶつけたところのアザが少しでも引くように、とにかくおでこを冷やし続ける。
娘が伝い歩きをするようになってから、硬いところにゴツンとして赤くなってしまうことはあったけれど、ここまでのアザになったことがなくて。
しばらくの間、軽いパニック状態から抜け出せない。
(ちゃんと見とったのに。いや、でも隙を作ってしもた。とっさに助けてあげられんかった。最悪や。とにかく冷やさな。顔やし、痕になったらどうしよう。ごめん。ごめんな。私のせいや。)
頭の中でも現実でもひたすら娘に謝り続け…
幸い、娘は割とすぐに泣き止んだけれど、アザは少しずつ青くなり腫れてきた。
顔を見る度にそれが目に入って、胸が痛くなる。
赤ちゃんの娘が私を責めたりするわけじゃないから、申し訳ない気持ちが余計にどんどん強くなる。家には私しかいなかったのに、なんで守ってあげられなかったのかと。
こうなったらもう、一人で無限に負のループ。
考えてもどうしようもないことばかりぐるぐるぐるぐる…。
〈 私は泡になりたい 〉
さらにそんなときに限って、
「わんわんわん!!」
愛犬が構って攻撃をしてくるし、
「まんまーーーー!!」
一旦落ち着いた娘も、私がそばにいないと泣くし、離れるとわざと頭を壁にゴンゴンぶつけるし。(最近ずっとする。ほんまにやめて欲しい)
家のことやら自分のやりたいことが、メンタル的にも状況的にも何にもできなくなってしまって。
気持ちの糸がぷつんと切れて、私はうわーっと泣き出してしまった。
わんわん泣きながら娘を抱っこして家の中を歩き回った。
落ち着くためにも一人になりたかったけど、どうしようもなくて。
なんかもう泡みたいに、静かに跡形もなく消えてしまいたくなった。
(私は何をしてるんや。助けられへんのやったら、何のために娘のそばにおるんや。
でも私毎日ずーっと娘のこと見てたもん。泣いたらあやして、呼ばれたらそばにいって、抱っこしながら家事して…
サボってたわけじゃない。ずっと見てたのに。
ほんまに一瞬気を抜いただけ…
でも、その一瞬があかんかった。今までの頑張りも全部、水の泡になった…)
〈 一人になるためには一人じゃだめだった 〉
もう限界。
一人じゃこの罪悪感に耐えきれない。
夫に、即LINE。
私「しんどい。一人になりたい。
早く帰ってきてほしい」
夫「わかった。もう帰りよるから!」
夫の仕事は午前で終わったらしく、早めに帰ってきてくれて、事情を伝えると娘の部屋を安全に改装してくれた。そのおかげで、私のメンタルはなんとか持ち直した。
〈 泣く理由も笑う理由も 〉
その日の夕方、娘がバシネットに顔を押し付けて変な顔をして、いっぱい笑わせてくれた。
昼間あんなに泣いたのに、同じ日にこんなに声を出して笑えると思わなかった。
結局、今日は娘のことで散々泣いたけれど、一番笑わせてくれたのも娘だった。
そんな1日を振り返ったときに、
「こうして、娘と一緒にいろいろ経験していくんやな。私が娘に何か教えるというよりも、娘からいろいろ教えてもらうことのほうが多いな」
と思った。
夜、スヤスヤ寝ている娘のおでこにある青いアザを見ながら、1つ思い出したことがある。
【母の誕生日、事件は起こった】
私が1歳くらいの頃の、母の誕生日。
ケーキの包み紙ですべって机をおでこにぶつけて切った傷を、病院で縫ってもらったことがあった。
その傷は今でもうっすら残っていて、母はいまだに「あのときはごめん」と言うが、怪我をした張本人は全然気にしていない。
というか、普段はすっかり忘れていて、久しぶりに傷跡のことを思い出した。
鏡で見てみると、うっすら線が残っている。
30代になった今はもう、悲しいかな、おでこのシワと一体化してほとんど目立たない(笑)
母に何度もその話をされたり、「顔に傷が残ってごめんな」と謝られたりしたけれど、私のほうは「そんなん全然大丈夫やで」みたいな感じで。
やっぱり、怪我をした方とさせてしまった方とでは、そのときの捉え方は違う(小さいときのことは記憶が薄れるというのもあるが)ということを自ら経験したし、その後の家族との楽しい思い出のほうが、そのときの痛みよりもよっぽど強く覚えているものだなと気付いた。
何より、母が謝るときの悲しそうな顔が忘れられなくて、幼い私は、もう私が理由で母に悲しい顔をさせたくない、笑っていてほしいと思ったものだった。
〈 起こる出来事には全て意味がある 〉
次は私が、娘から学ばせてもらっているんだなと思って、今回のマイナスなこと以上にプラスになることを見つけて、これからに活かしていこうと思う。
血が出なくてよかった。
傷にならなくてよかった。
大怪我じゃなくてよかった。
泣いてよかった。
(頭を打ったのに泣かない=意識を失ってる)
すぐ泣き止んでよかった。
夫が帰ってきてくれてよかった。
娘がいる場所の安全を見直せてよかった。
一人だったけど、独りじゃなくてよかった。
何より、
自分の限界に気づけてよかった。
知らず知らずのうちに、我慢が積み重なってしまっていた。
そのことを、娘が体を張って教えてくれた。
だから今回のことは、ただの悲しい出来事にして終わらせない!
薬膳を学んだときから、何が起きてもただでは転ばないと決めている。
【薬膳とカラーの力を借りて】
今の私はもう、過去のことをずっと引きずって落ち込んでいた以前の私とは違う。こうなったときの対処法を知っている。
本当は、こうなる前になんとかしたかったけど。
起こってしまったことをプラスに変える力も、磨いてきたから大丈夫。
まず、体を整えること。こんなメンタル状態になるのは、血が減っているからだ。生後10ヶ月の今もなお、母乳をゴクゴク飲んでいる娘。出産、授乳、そして寝不足で、デフォルトで血が足りてないのに、それを補うための葉物野菜(ほうれん草やチンゲンサイなどの、緑が濃い野菜を選ぶのがポイント!)を、最近しっかり食べられていなかった。あらためて、それを毎日たっぷり摂るようにしよう。小松菜やブロッコリーは、鉄分がたっぷりと必要な娘にもいっぱい食べてほしい食材だから、離乳食のストックにも補充しよう。
色彩心理学的にも、緑は癒しの色。最近散歩のときに、どこを見ても緑が広がる田んぼ道を通りたくなったのも、疲れていたサインだったんだ。自然と体が求めていたんだなぁ。
次に、自分の心を満たすこと。
これは、カラーコミュニケーションの知識を活かす。夫は、ブルーのカラーが強く出るタイプだから、実績があることや能力を褒めつつお願いすると、気持ちよく動いてくれる。ただ、感情論で理解するのが苦手なので、わかってほしい気持ちについては細かく伝えるようにする。
それを心がけて、
「今日はいっぱいいっぱいになってしんどかったから、早く帰ってきてくれて嬉しかった。夫がいてくれたから気持ちが落ち着いた。私は話を聞いてもらえたらすっきりするから、また爆発しないように、これから毎日あった出来事をめんどくさがらず聞いてほしい」と伝えた。
ブルーの夫は、自分の感情をオープンにするタイプじゃないので、そのときのリアクションはやっぱり薄かったけれど(笑)、これまで以上に家事をたくさんフォローしてくれるようになったり、彼なりに話をふんふんと聞いてくれるようになったりした。
さらに、「やらなきゃ」と思っていることや、自分にとって違和感があることを手放す、というのを思いっきりやると決めた。つまり、娘と愛犬のことプラス、自分がやりたいことだけをやる日を作った。
それは私にとっては、大好きなバンドのDVDを何も考えずにボーーーッと観て、その世界に浸ること。心が浄化される癒しの時間。歌詞が胸に刺さって涙が出る。3時間で、胸がいっぱいになった。
【親としての本音】
「命を失うこと以外はかすり傷」
という言葉を聞いたことがある。
これは、「人生のさまざまな困難に対して前向きな心を持つことの重要性」を示している。「どんな困難も一時的なものであり、そこから立ち上がる力が私たちには備わっている」ことを表しており、「常に前を向き、困難を乗り越える力を信じて進んでいくこと」を意味している。
なるほど、確かにと思う。
今回、アザになる怪我をさせてしまったのは悲しかったけれど、命を失うような大きな怪我じゃなくてよかった。娘が元気に生きていてくれてよかった。
どんなことがあっても、娘が笑って生きてさえいてくれたら、それだけで幸せ。百点満点。
ただ・・・
やっぱりもう、怪我はさせたくないし、できることなら心も体もなるべく傷ついてほしくないと願うのが、親としての本音。
0歳の今でこれでは、私の心臓がいくつあっても足りない。(笑)
でも、これから先、娘と一緒に1つ1つ困難を乗り越えながら、後々「こんなこともあったね」と笑いあえたら、どんな傷も人生の勲章にできるんだと思う。
今の母と私がそうであるように。
「痛みはすべてかすり傷!」
次は自分が母として、娘とそう言いながら
笑い合える未来を願って。
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