鍵穴に鍵を差して、指先で重さを確かめる。まだ帰ってきてない。 お腹空いた。冷凍してあるご飯を温めて、残っていたカレーも温めてとか無意識に浮かぶ考えを、鍵を右に強く回してかき消した。 「ただいま」 誰もいないけど、口元でつぶやく。 置きっぱなしになっている愛生(あいお)の靴を蹴る。蹴られたくせにスニーカーは相変わらず白いままで、それが余計にむかついた。 靴を脱いで、靴箱にしまう。愛生が転んだらどうするの、と母に怒鳴られてから習慣になった。 リビングに入った所でカバンを
先週の誕生日にプレゼントされたネクタイを締めた時、自分達の結婚式を思い出した。 白いネクタイをキュッと締めると、自分の、なんだか大人としての人生がこれから始まっていくと同時に身も引き締きしまった気がした。 ドアをノックする音で振り向くと、天からの贈り物だと思える彼女が、純白のドレスに身を包んで立っていた。慣れないハイヒールで一歩ずつ私に向かってくる夕子を、これから先もこんな気持ちで見つめるのだろうと胸が熱くなる。心配そうに上目遣いで見つめる彼女が愛おしくて、「綺麗だ
「あなたには足、あるんだもんね」 と、彼女は今日も息をするように失ったものを見つけていく。 今朝の秋晴れは、今の幸子にとって眩しすぎる青さだろう。 「何言ってんだ。目線が高けりゃ、見たくないものも見えちまうんだぞ」 言い終わらないうちに目をそらした。慰めようとしても、うまくいかない。 幸子の反応を伺う。売店で急遽買い足した入院着の袖から、色のない幸子の腕が伸びている。地割れのような手術痕が這い、動かない。 「だって、あなたはこれからどこにでも行
危うく飲み込みかけたほっけの骨を、指でつまむ。 「喉に骨が刺さったら、ご飯を飲み込むんだよ」 お母さんがそんなこと言ってたなと、魚の器に骨を置く。 味噌汁に口をつける。湯気も一緒に吸い込むと、いつもの一人暮らしのインスタントでは感じようのない出汁の香りが鼻に抜けた。 「銀座 ランチ 定食 おすすめ」で上位に出てきた星4.4のここの魚は、ふわふわして炭の味がする。 「伝票置いておきますね」 店員さんのタイミングも素晴らしい。こちらから一度も声を掛けることな