あいちトリエンナーレ2019音楽プログラム サカナクション暗闇-KURAYAMI- レポート
『音楽は立体である。
しかし、視覚はそれを見えないようにする霧だ。』
2019年8月1日から行われている国際芸術祭「あいちトリエンナーレ」では、今回から新たに音楽プログラムが追加されることとなり、そのひとつで大きな目玉となったサカナクション『暗闇 -KURAYAMI-』を鑑賞してきたのでここにレポートを行う。全てを語ることはしないものの、当然ながら内容に触れる部分が含まれるので未見の方はご注意頂きたい。当日券を購入するか迷っている方、見る予定のない方、見られない方におかれては、この文章が多少なりともその想像力に寄与できることを願う。
8月8日 14:30、愛知県芸術劇場大ホール。その入り口前には老若男女問わず、様々な人たちが溢れていた。サカナクションのグッズを身に着けている方々が6割程度。トリエンナーレを目的に来た方々にも今回のライブを体験してもらいたいという思いから当日券もある程度販売されたようだ。
幸いにも第一次先行でS席のチケットを獲得できたので、1階席の6列目、左寄りという良い位置で観覧することができた。
ホール内に入ると、誘蛾灯のようなぼんやりとした照明で観客席は照らされていた。スモークがうっすらと会場を満たしている。
開場BGMは大きな鐘のような音が断続的に鳴らされているだけで、他に音はない。このどこから聞こえているか不明瞭な音が不気味な雰囲気を醸し出していた。
黒子装束を身を纏ったスタッフが小さな壺のような形をしたアロマデュフューザーを手に持ち場内をゆっくりと歩いており、既に演出が始まっていることを示唆される。
舞台上には5つの台とラップトップやDJコントローラーのような機材が見える。
場内を見渡すと、相変わらずなサカナクションの音へのこだわりが見て取れる。
舞台上にスピーカーが7本、舞台両端に2本と、天井から吊り下げられているラインアレイスピーカーが5本、その奥に低音用ラインアレイが2本、開場両側面にサイド用のスピーカーが2本ずつ、見た限りでは以上18.2chのシステムが今回の構成のようだったが、2階席・3階席の方までは見ることができなかたので、もしかしたら他にも小さなスピーカーが設置されていたかもしれない。
今回はd&b audiotechnik社の「Soundscape」というシステムが導入された。
音の定位(音をどのような配置で観客に聞かせるか)と残響(音をどのような空間で鳴っているように聞かせるか)をコントロールし、従来の2ch・ステレオではできなかった制度の高い音像を実現する目論見だ。
通常のステレオやサラウンドのシステムでは舞台正面・あるいは中央付近にいる観客にしか意図したサウンドを届けられない(音量・音質や定位などのミックスバランスは観客の位置によって聞こえ方が全く異なる)。これはハース効果などの音響心理や壁や天井などの反射による問題であるが、これを解消し、どの席にいても同じようなサウンドで音楽を楽しむことが出来るというシステムのようだ。
入り口でもらったレジュメには今回のライブを行うにあたっての経緯や、「暗闇」を実現するための注意事項、そしてこの日の演奏プログラムが書かれていた。
【構成】
プラクティス
チューニング リズムのずれ
第一幕
Ame(C)
第二幕
変容
第三幕
響
第四幕
闇よ 行くよ
(演出なし完全暗転)
開演ブザーが鳴り、黒子がステージ上に登場する。
5つの台にそれぞれ、人が入れるくらいの大きなカバーとカーテンをかけ、機材の明かりも含め完全に光源を遮断する。
サカナクションのメンバー5人が登場する。客席からの拍手や歓声はなく、皆が皆これから起こることへの期待と緊張を抱えていることが伺える。
メンバーはそれぞれ箱の中に入り、姿が見えなくなった。
プラクティスと名付けられた演目の前には、暗闇での音楽鑑賞で気分が悪くなった場合はこの時点で退場すべしというアナウンスが流れる。観客を暗闇に慣れさせ、また、完全に視界が遮断される異常事態に耐えられるかどうかという確認も含めての「プラクティス」だということがわかる。
照明が落とされ、完全な暗転となる。都会の人工的な明かりはもちろん、星や月の光しか感じられないような夜よりも暗い、完全な闇に包まれる。
目が慣れるということはない。どれだけ瞳孔が開こうが、まったく光源がないのでは像を結ぶことができない。
鳴り続けている鐘の音に被さるように、左側からバイオリンのような弦楽器の音が聞こえる。それに続いてシンセサイザーの音が右側から聞こえる。それぞれ異なる音程で鳴り始めた2つの音は、同じピッチにシフトして姿を消す。
続いて、8拍子でメトロノームの音が鳴り始める。メトロノームの実音に加え、ホールからの反射音が遅れて聞こえる。シンプルな単音源ということもあるが、注意して聞かないと気が付かないような反射音が明瞭に聞こえてしまうのはこのこの環境がそうさせるのだろう。先程と同様に、遅れて右側から電子音で4拍子が打ち鳴らされる。テンポの異なる2つの音源は段々と足並みをそろえ、ピタッとタイミングがあったところで消える。
プラクティスが終わると場内にはうっすらと照明が灯り、本編へと移行する。
細かな内容についてはこれから見る人のために言わずにおくが、どの曲も「サカナクション」というバンド・スタッフ含めたチームでないとできなかったことで、紛れもなくサカナクションの音楽であった。そして、どの楽曲も新鮮さと驚きに溢れていて、既存の音楽の見方・聞き方をアップデートさせてくれる。
これは完全な暗闇という状況に置かれ、視覚が奪われたときに人間の感覚はどうなるかを問うインスタレーションであり、新たなライブ形式の模索だ。
真っ暗闇だからこそ見えてくる光があり、視覚以外から出来る限りの情報を得ようと聴覚は鋭敏になる。
ただ、このような試みは決してサカナクションだけが行っているものではない。
例えば、現在ICCで開催されている「OPEN SPACE2019」では細井美裕氏の"Lenna"という作品を体験することが出来る。
これは、22.2chのサラウンドで制作された作品を2chステレオにダウンコンバートし、一般的な視聴環境で再生できるようにしたものだ。
部屋は無響室(音の反射を限りなく無くした部屋)となっており、観客は1人ずつその中央に設置された椅子に座って、照明を完全に落とした状態で音楽を聞く。眼の前にあるのは2つのスピーカーだけだが、無響室という環境をうまく利用し、バイノーラル作品のような擬似的なサラウンドとして360°の音場を作り出す。
スピーカーを複数設置し、その場の空間に合わせて定位と響きをコントロールして大勢の観客に見せる「暗闇」に対し、スピーカーを限りなく減らし、響きがない部屋で作り出した擬似的な空間を一人ずつ体験させる"Lenna"の対比がある。
これはもちろん、どちらがより優れているかという問題ではなく、視覚と聴覚の関係を問い直し、新たな音楽体験を模索する試みは数多く行われてきたという事だ。そして暗闇とLennaは、サラウンド・マルチチャンネル作品を発展させ、今以上の普及や議論が起こることを意図している点で共通している。
その上で、培われた実績や経験を十分に使って、その試みを多くの人(愛知県芸術劇場大ホールは最大2480人の収容人数がある)に体験させることができたサカナクションの功績は大きいだろう。
サカナクションの特徴と言われる日本的なメロディとエレクトロミュージックの融合は今回も遺憾なく発揮されたままで、もう一歩先へ観客を連れて行こうとするその姿勢には頭が下がる。
今回のライブにおけるサカナクションの狙いは視覚や聴覚などの外的要因が大きく変化したときに、我々の内面つまり心はどう変化するかということだったと感じた。
視覚が奪われ、聴覚が音楽で満たされていると自然と他者の存在が希薄になる。非常事態におかれているという不安を感じる。その環境において自己と、あるいはその「孤独」と向き合うことこそが、他者との繋がりの切実さをより強く認識させるのだろう。それはあたかも暗闇にひとつ灯った星のように。
そして、それは今回のあいちトリエンナーレのテーマである「情の時代」に通ずるものである。
芸術監督である津田大介氏は「世界を対立軸で捉えるのではなく、この世界に存在するあらゆるものを取り上げられるアートの持つ力で、人々の『情け』に訴えることによって、問題解決の糸口を探っていきたい」と話す。
今回の演目で最初に行われたプラクティス「チューニング リズムのずれ」というのは、ただ観客を暗闇でのライブに慣らすことだけが目的ではない。
自己と他者との繋がりやその価値観を尊重し寄り添おうとする、足並みを揃えようとするその情けこそが、何も見えない暗闇のなかで手探りで前に進もうという試みが、「暗闇 -KURAYAMI-」に込められた思いだと感じる。