青春の叫びが地域をつなぐ@沖縄〜高校生による発信の持つ威力とは〜
沖縄の高校生が手作りで成功させた「第1回Manabi-Ya文化祭」
2022年8月吉日、沖縄県うるま市勝連において、「地域活性化と多様性」をテーマとして開催された「第1回Manabi-Ya文化祭」。
イベントの持つ価値は何と言っても、この「言いたいことも言えない世の中」にあって、高校生という若い高エネルギー集団が、手作りイベントという形で発信したということだ。
ちなみに筆者は2016年から5年間沖縄に在住し、研修医として医師人生のスタートを切った人間である。
沖縄以上に自らを育ててくれた土地は他にない。島を離れた後も、社会人としての価値観や行動規範のほぼ全ては沖縄で得たことの延長であり、そのことを心から誇りに思っている。
ゆえに誘いをいただいた時、二つ返事で参加を決めた。自分のエゴかもしれないが、この機会を「恩返し」だと思って、「大人側」(事務局)のメンバーに加えていただくこととなった。
2022年春に始まったメンバー集めで、20人ほどの高校生が手を挙げたが、最終的に残ったのは地元の高校に通う7名の高校生たちであった。皆、目を輝かせていた。高校もジェンダーもバックグラウンドもバラバラであった彼らは、最初こそ固かったものの、ほどなくしてすぐに打ち解けた。
「高校生主体のイベントをする」という発案自体は「大人側」によるものであったが、実際に行動を起こして形にすることは全て高校生が主体であり、「大人側」は基本的に口を出さない。当然、高校生はその壁の高さにすぐにぶち当たった。彼らにとって、何もかもが初めての経験であった。
集まりの場所・頻度、それぞれの役割決定から始まり、会場の選定・催し物の決定・演者への出演交渉・ラジオ局でのPR・会計・地元企業や有志からの協賛集め・・・「大人」でさえ難しいこれらの仕事のほとんど全てを、高校生が主体となって行った。「大人」たちで構成される事務局が行ったことといえば、活動場所の提供、後援をいただいた市教育委員会への橋渡し、感染ガイドラインやzoomのアカウント作成ぐらいであった。
彼らは大会や受験、就活が控える大事な3ヶ月を使い、イベントの準備に没頭した。
イベントは、地元のバンドや文化系団体、ローカルお笑い芸人が出し物を披露する屋外ステージと、地域活性化と多様性をテーマとしたトークショー・ポスター展示を行う屋内ステージの2箇所に分かれた。
屋外ステージについては、地元の大御所タレント(ひーぷーさん)によるMCでスムーズに進行することがわかっていたが、高校生が実際にトークショーの進行を行う屋内ステージに関しては、特に綿密な準備が必要であった。
「結局、みなさんは何を伝えたいのですか?」
室内ステージでは、「多様性について考える」「平和について考える」の2つの企画が行われた。
「多様性について考える」については、ジェンダーを取り巻く諸問題にテーマを絞った。
地球活動家として活動するプレゼン力モンスターの島袋みことさん(bisexualであることを公表)、上間フードアンドライフを34歳の若さで引っ張る新社長の上間園子さん(transgenderであることを公表)をお招きし、運営側の高校生スタッフ2人と会場を巻き込んでのトークショーを企画した。
高校生スタッフの周りにもいわゆる「LGBTQ+当事者」はたくさんいるとのことで、上の世代よりも当事者たちへの親和性は非常に高かった。しかし、実際にトークショーの進行を行うとなれば、それ相応の知識インプットと綿密な打ち合わせが必要不可欠である。
なにより難しいのは、その結論の持って行き方だった。
LGBTQ+というのは当事者にとって、あくまで数あるアイデンティティのうちの一つにすぎないのは当然である。故に、例え入口がLGBTQ+であっても、トークショーが目指す議論の持って行き方や結論は、LGBTQ+という言葉にとらわれない、一般的で普遍的なものでなくてはならない。さもなければ、高校生や聴衆が、学んだことを自分の世界にどう溶け込ませるかというプロセスがなされず、1回限りのものになってしまう。
ここの話し合いについては、ゲストと高校生だけでなく、「大人」(事務局)側のメンバーも入って行かざるを得なかった。
ウクライナから沖縄に亡命したウクライナ人5名を交えて行ったトークショー「平和について考える」も、同じ課題にぶち当たった。こちらは、さらに共通言語がないため、通訳を介さざるを得ず、ショーのテンポがどうしても停滞するというハンデがあった。
「結局、みなさんは、ゲストの方々を使って何を伝えたいのですか?」
「大人」(事務局)側から高校生たちに何度も投げかけられる厳しい質問。あくまで発信するのはゲストではなく高校生であることを自覚してもらわねばならない。
高校生たちは必死になって考え、プレゼン資料を作り、ゲスト本人たちとも相談を重ね、当日を迎えた。
当日は両企画とも和やかな雰囲気で終わった。企画の進行も大きなミスなく進行し、聴衆からの質問も多数飛び出した。高校生側も、打合せになかったアドリブも交えつつ、積極的に自分の意見を述べた。
「周りにLGBTQ+の子たちはたくさんいるし、自分にとっては当たり前のこと。その人にはその人の個性があり、それを認められる社会にしていかないといけない」
「自分たちには、実際に戦場を経験し、祖国が危機に陥った経験がある皆さんと同じ目線に立って考えるのは難しいが、同じように地上戦を経験した沖縄に暮らす人間として、平和という言葉が持つ意味を共有できたなら嬉しい」
もちろん、議論はまだまだ成熟したとは言い難いし、トークショーの内容についてはまだまだ改善の余地がある。なにより、「一般的・普遍的」な結論を導くことは最後まで困難であった。また多様性企画の方のゲストの方々は非常にパワフルで、進行についても任せてしまう場面も目立った。
しかし、高校生が必死になって準備したことはしっかり生きていたし、それなしには絶対にうまくいかなかっただろう。来年に向けてもっと深い議論ができるよう、企画の練り直しをやっていけばいいだけの話である。高校生たちはこの難題を立派にやり遂げたと言って良いだろう。無論、フツーの高校生には、できないことだ。
文化なしには成り立たない沖縄の生活、そして閉幕へ
屋内の文化系ステージを終え、屋外ステージではクライマックスを迎えようとしていた。
地元が誇る文化を体現する「江洲(えす)青年会」さんによるエイサー演舞、「与勝(よかつ)高校表現同好会」さんによる肝高の阿麻和利(「きむたかのあまわり」:勝連地域の中高生による、ロングランヒットを誇る現代版組踊り)をベースにした演舞に、酷暑の中集まった住民の目は釘付けになった。全島エイサーなど夏のビッグイベントが続々中止になり落胆していた地域住民は、一気に湧きあがり、最高のクライマックスを迎えた。酷暑にもかかわらず立ち上がって手を叩くオジィ、オバーもいた。沖縄の生活は、こうした文化なしには成り立たないのだ。
トリの演技が終わり、実行委員長の仲田優生(3年)をはじめ全員が来場者への感謝の言葉を述べた。
そして来年の実行委員長を務める久保田玲仁(2年)にバトンが渡され、今後もManabi-Ya文化祭が続いていくこと、そしてメンバーを募集し、NPO法人化を目指していることがアナウンスされた。
来年が今から楽しみでしょうがない。
「沖縄の高校生」の発信が、情報過多社会に与える大きな意味
私たちは、情報過多社会と言われる激動の時代を生きている。
情報の洪水の中を泳ぎ続けることを強いられる現代社会。どの藁(情報)にしがみつけばいいのか、判断することは難しい。どの情報が重要で、正しいのか、あるいはそうではないのかを正確に分析し、把握する力の差が如実に現れる弱肉強食の時代だ。
この混沌とした世の中を生き抜くためにはどうすればいいのか。それは、自分が「発信者」になるしかないのだ。
発信者とは何か。筆者の解釈では、
「現状を正確に根拠を持って把握し、自らの知識、経験、バックグラウンドというフィルターを通して解釈した情報のかけらを統合して、形を作り、社会に発信することを十分な熱量を持って行う人間」
のことである。
別に「専門家」である必要はないし、発信する情報は必ずしもオリジナルでなくてもいい。ただ、この時代に流されないためには、自分自身がこの大航海時代の浮標になるしかないのだ。
「自分は何者で、今後どうしていきたいのか。」
継続的な発信を続けることで、健全な議論が生まれる。「沈黙は金」というのは過去の話だ。政治、経済、道徳心・・・世界を形作る見えない基盤は、そうやってしか、安定させていくことはできない。
現代に生きる高校生は、自らの最も多感な時期を「敢えて」この激動の時代にぶち当ててきたツワモノたちである。彼らは、情報の激流を横っ面にまともに食らいながらも、がむしゃらに、その両腕を、その両足を動かし続ける。そして、その計り知れないエネルギーで、信じられないことに、大人たちがあれほど苦しんでいるコロナショックさえも泳ぎ切ろうとしている。
当然のことながら、彼らは次の世代を形作っていく人々であり、またそれぞれが根を下ろす場所で、オピニオンリーダーとなっていくべき人材たちである。
さらに重要なのは、沖縄で高校生をやるということには、内地(本州)にはない特別な意味があるということだ。
誰もが知っているように、沖縄は歴史的に常に支配される側に回る運命にあり、それは基地問題という形で現代まで継続している。戦時中も唯一地上戦を経験し、想像を絶する悲しい歴史を味わってきている。コロナショックについても、観光業をメインの産業に据える沖縄が被ったダメージは計り知れない。
しかし、沖縄は独自の文化と多様性で、今日までその力強さと誇りを維持してきた。そして、日本のどの地域よりも「平和」という言葉の重みを知り、さまざまな表現方法でそれを伝えてきた。
そんな沖縄で育った高校生が、地元を盛り立てていく原動力になることを地域から期待されるのは、当然の流れである。そして、もし彼らが沖縄を離れることがあっても、沖縄出身というだけで注目されてしまい、それぞれが活躍する土地で、彼らは「沖縄代表」の看板を背負うことになる。彼らはどこに行っても、責任ある「発信者」となる運命にあることを、理解していなければならない。
だからこそ、沖縄の高校生がこの時代に自ら発信することには、特別な意味があるのだ。沖縄の高校生こそ、発信者とならなければいけないのだ。
「地域の活性化と多様性」をテーマに銘打ってイベントを成功させた彼らは、間違いなく地域社会に大きなインパクトを与える「発信者」であった。
しかし、ここで明確にしておきたい。最も重要なことは、発信を継続することだ。沖縄だけの問題ではない。まだまだ議論は成熟していないし、高校生も大人も、必死になって考え抜くだけではなく、発信を続けて行かねばならない。そうしないと、本当の自由を勝ち取ることはできず、世界の平穏なんて実現できっこないことは、明らかなのだ。
地域とは何か?平和とは何か?今後も、高校生と「大人たち」が互いに学び合いながら、ここ沖縄から発信し続ける。もうすでに、来年のイベントが楽しみで仕方がない。
最後に、今回のイベントアンバサダーを務めてくださった沖縄の大御所タレント、ひーぷーさんのメッセージを引用して、今回の記録の締めとしたい。
(おわり)
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